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◆番外編◆ 【帰省】

これは響が零号士になる前の話です。

 聴き覚えのあるBGMが聴こえてくる。曲名は分からないが、毎年それを聴くとクリスマスが近付いてきたことを実感させられる。配色や構造などが無機質な箱空間を思わせるこの防衛施設にも、そんなBGMが流れる場所があった。社員食堂やトレーニングルームがそれに当たる。オレは今、社員食堂で昼食を摂っていた。メニューは海鮮塩焼きそばと鶏の唐揚げ。それにおまけみたいなコールスローサラダも付いていた。男にしては少食なほうかもしれない。周りには一人でラーメンに炒飯と餃子とか、カレーライスにキングサイズのハンバーガーとコーラなんて奴もいる。そういう奴は大抵巨漢だが……。それにしても、よくそんなに食えるものだ。これから空を飛行ぶっていうのにタフな胃袋だ、と感心してしまう。

 この時チームメイトの高藤樹羅たかとう じゅらも午前の巡回パトロールが終わって休憩時間だったが、彼女の姿はそこにはなかった。特に気にかけているわけでもなかったが……まぁ、そのうち来るだろう。

 BGMはクリスマスソングがメドレーで流れていた。クリスマスまであと十日。オレはクリスマスとその次の日の二日間、有給休暇を使って休みを取っていた。毎年クリスマスには実家に帰ることにしている。そうしないと母親が寂しがるからだった。

 理由はそれだけではなかった。父が事故で消息を絶ってしまい、母を傍で支えてやらなくてはならない一番大事な時期にオレは家を出て防衛施設に入ってしまったので、母には申し訳ないことをしてしまったという罪悪感が心の中に残留していた。父がいなくなってから母は家で一人ぼっちになってしまった。その母を支えるのは自分の役目だと思っている。

 父がいなくなって五年になる。母は今年で四十ニ歳だ。もう若いとは言えない年齢なのかもしれない。とは言え、息子のオレが言うのも変だが、歳を取っても母は綺麗だ。言い寄って来る男性もいるらしく

「今日、デパートに行ったら二十歳ぐらいの若い男の子に告られちゃった〜」とか

「同僚にお食事に誘われたの」と言った話を電話やメールで聞かされたこともある。だがそうやって楽しそうに、明るく振る舞えば振る舞うほど、逆にそれが痛々しかった。普段はそうでも、クリスマスだけは必ずオレを家に招待するカードを送ってくる。そして部屋を賑やかに飾り付けして、カラフルなライトを点滅させたツリーを飾り、手作りの豪華な料理やケーキを並べてオレを出迎える。温かい家庭の温もりがそこにはあった。だがいつも堪らなく切ない気持ちにさせられた。ぽっかり空いた父が座るはずの席を見て。

 そしてもう一つ。

 まだ帰ってくると思っているのだろう。冷蔵庫には必ず、父の好きなコーヒーゼリーが入れられている。


 十二時ニ十分か。ちらりと壁掛け時計を見るとオレは腰を上げた。空になった食器をカウンターに返却し、食堂を後にする。

遠山響(とおやま ひびき)ッ」

 通路に出るとすぐ、誰かが自分の名を呼んだ。

 この声は――

 警報装置作動。

 シグナルが危険を報せる赤色に点滅。

 水色の長髪をなびかせた長身痩躯の少年がこちらに接近してくる。

「なんか超〜久しぶりって感じだね? 元気?」

「はぁ……(四日前に会っただろ)」


 相楽臣(さがら しん)

 要注意人物1。

 危険度:レベル40/100


 オレの防衛本能がそれらを認識した。見えない防壁を瞬時に築く。

 要注意人物――相楽臣はオレの前で足を止めると、サラサラストレートヘアを掻き上げながら言った。

「遠山響はクリスマスどっか行くの?」

「実家に帰ります」

 と抑揚のない声でオレは即答。相楽臣は「ふ〜ん、そうなんだぁ」とつまらなそうに唇をへの字に曲げた。じゃあ、とオレは速やかにその場を立ち去ろうとし

「ねぇ」

 即、呼び止められた。相楽臣を尻目に

 なんだよ……?

 声に出さずともはっきりオレの目がそう物語る。しかしそんな露骨な態度を見せても、相楽臣は顔をしかめるわけでもなく笑顔。興に入った目でオレの顔を覗いてきた。

「遠山響って彼女いないの?」

 “クリスマス”イコール……やはりそう来たか。冷めた声でオレは答えた。

「いません」

「そうなんだぁ、遠山響ってなんか奥手そうだもんねぇ」

 腕組みしながらこちらを窺う相楽臣の水色の瞳。

 勝手に分析するな! とオレはムッとした顔で睨んでやった。相楽臣(こいつ)のプライベートなんかに興味はないが、こいつはきっとクリスマスかイヴは女か派手な友人とでも過ごすんだろう。こんな軽い性格なのに誰かと連んでいるところを見たことがないのが謎ではあるが……

「オレはねぇ、イヴは汐名(しおな)と過ごすんだ。クリスマスと二夜連続。

 あ、このことは絶対、誰にも話しちゃ駄目だよ? 会社の人に知られたら大変だからね」

「……」

 後半から声を潜める相楽臣。片方の掌で口元に壁を作り、オレに耳打ちする。

 そんなに秘密にしたいことをオレに言うなよ――ていうか、こいつ本当に霧島マネージャーと付き合ってるのか? ま、嘘でも本当でもどっちでもいいが。

「じゃッ、そういうことだから」

 話したら気が済んだのか、相楽臣は陽気に鼻歌を歌いながら去って行った。

 なんか疲れた……

 心の中でそうぼやき、再びオレは通路を歩き出した。

 今日は午後の予定がフリーだった。施設内であれば、自由に行動していいことになっている。ケータイが鳴らなければ(出動命令の)、寝ていても良いわけだ。

 何をしよう……

 考えを巡らすとふとあることが頭に浮かんだ。シミュレーションルームへと向かう。休憩時間と言ってもいいフリーの時間を普段仕事で乗っている機体の飛行を忠実に再現した擬似体験装置に乗って過ごそうとは、どこまでオレは宇宙空間対応飛行機(MECA)マニアなのか、自分でもおかしくなってくる。

 ま、遊び(ゲーム)感覚で。そう、あれは遊び(ゲーム)みたいなものでもある。その画面(フィールド)上では誰も死なない。どんなに標的にミサイルを撃っても実際に誰かが死ぬことはない。統べて仮想現実の中の出来事だ。リセットボタンを押したら真っ暗な画面に。

 電源をオフにしたら情報がディスプレイの奥に吸い込まれて消滅する。一瞬にして。

 気分転換にはいいだろう。時には戦乱(現実)を忘れて。だが、皮肉にもオレがこれからやろうとしているのは敵機撃墜の対戦擬似体験だった。





 エレベータで上階に行き、シミュレーション・ルームにやって来た。受付で社員証を提示すると係員から鍵を渡される。それで擬似体験装置のロックを解除するのだ。装置は一列に並んでおり、オレは鍵と同じ番号の装置を見付けてドアロックを解除した。その操縦席に潜り込んでドアを締める。内装は本物とほとんど変わらない。操縦席の椅子は全く同じ物が取り付けられており、操縦桿なども作りは一緒だ。違うのはディスプレイに映る景色が総て疑似体験映像になっている所だ。とは言え、その画面と座席は操縦に合わせて傾きを変え、まるで本物の機体に乗っているかのような感覚を味わうことができる。オレはシートベルトを締め、電源ボタンを押した。

 短い電子音が鳴り、黒一色だった画面に空を背景にした黒い文字が表示される。オレは操作ボタンを押し、設定画面に切り替えた。


 チーム、ペア――矢印下ボタン。

 単機――決定ボタン。

 難易度1、2…4指定、決定ボタン。

 コース――設定、決定ボタン。

 待機場所選択・基地周辺地図表示・位置指定――決定ボタン。

 設定完了――決定ボタン。


  ミッション・スタート。





「はぁ……」

 十五分後、家庭用ゲーム機とはまるでスケールが違う擬似体験が終了した。結果は敵機二機をミサイルで撃破。右翼被弾。そして残りの敵機三機に追尾され、ロックオンされ、逃げている途中でタイムアップした。

「はは……」

 見事な惨敗ぶりに引き攣った笑いが零れる。

 これが本番なら死んでるな。

 相楽臣やモーゼズはこんな対戦を繰り返しているのだろうか。“現実世界”で。この結果をあいつらが聞いたら笑うだろうな。“お前にはいくつ命があっても足りない”って。なんだ、そう考えたらあいつらって凄かったんだ。現実世界で闘って、まだ“生きてるんだから”……


 オレは装置の電源をオフにした。シートベルトを外してドアを開け、床に足を下ろす。するとタイミングをほぼ同じくして一台の装置のドアが開いた。厳ついブーツを履いたどでかい足が顔を出す。

「ふぁああぁあぁ〜」

 豪快な欠伸とともに二本の長い足を投げ出して、乗っていた奴が頭を出した。床を踏み締めて立ち上がると同時に怠そうに顔を上げる。

「?」

「?」

 そいつとオレの視線が衝突した。みるみるオレの表情は険しくなる。相手は軽く瞠目してからニヤリとした。球技のスポーツ選手さながらの均整の取れた長身。白い無地のTシャツを大胸筋で隆起させ、黒いカーゴパンツとトレッキングシューズというハードな格好を違和感なく着こなし、ゆるいウェーブがかった黒髪には浮き立つようなエメラルドグリーンの瞳と彫りの深い西洋人風の端正な顔立ち。どこか邪悪な異彩を放つその容貌は“奴”しかいない。神出鬼没の潜伏兵――

 緊急事態発生! 直ちにこの場から退散せよ!

「なんでお前がここに……!?」


 要注意人物2。

 危険度:レベル69/100……7*/100……79/100……8*/100……89/100……9*/100……99/100……**0/100…………(計測不能)


 モーゼズだった。こいつが笑みを浮かべるといつも、何か企んでいるように見える。オレは懐疑の眼差しを光らせた。

「またオレのことを監視してるとか言うんじゃないだろうな?」

 敵意と嫌悪と警戒心で細めたオレの眼が、軽蔑するようにモーゼズを射る。モーゼズは「ははは」と小馬鹿にしたように軽笑した。装置のドアをロックして、鍵を片手にぶら下げながらこちらに向かって歩いて来る。

「それより、かわいい女の尻を追いかけるほうが楽しいな」

 だろうな、とオレは冷めた眼で奴を見た。するとモーゼズは、子供を相手にするように自分の胸に身長差二十センチメートルぐらいあるオレを抱き寄せた。そしてオレの頭上から喋る。

「そんな不機嫌な顔するなよ、響。今度、相手してやるからな」

 更にオレの顔を覗き込んでボソッと一言。

「顔が赤いぜ」

 こ、こいつ……ッッ! 沸騰寸前。怒りと恥ずかしさでオレの顔はより紅潮した。振り向いて奴を睨み付け、敵意を剥き出しにするが、まるで相手にしていないと言った様子で奴は軽笑していた。大人と子供ほどの体格差がある。悔しかったが太刀打ちできるわけもなく

「ちっ!」

 オレは舌打ちするに止まる。そこへ装置を清掃しに来た係員が、それを尻目に小さく苦笑した。居心地が悪くなったオレはその場から早く逃げ出したい一心で、素早く装置の鍵穴に鍵を差し込み左に捻る。

「それよりお前、この装置で何をやっていた。まさか飛行トレーニングでもやってたのか?」

 鍵を引き抜き、オレは振り向いた。装置のフロントに手を置いていたモーゼズを仰ぐ。

「いいだろ、何だって」

 ちらりとだけ顔を見て、そう吐き捨てた。すると

「ふっ、相変わらず無愛想な奴だな。でも、そこがかわいい。へへ……」とモーゼズ。

 うるさい。変態。とオレは毒づいた。





 受付で鍵を返却するとオレは通路に出た。後からシミュレーションルームを出て来たモーゼズと一緒になる。オレは速足で奴から逃げようとしたが、奴は足が長いせいかすぐに追い付いてしまったのだ。モーゼズがオレの前に回り込み

「なぁ」

 ニヤニヤしながら話しかけてきた。

「何だ?」

 冷めた眼差しでオレは返した。

「お前もあの装置のシミュレーションゲームをやってたんだろ?」

「ああ」

 だったらなんだ? とオレは怪訝そうな眼差しでモーゼズを見た。何か引っ掛かる気がした。

「あのゲーム、なかなか笑わせてくれるよな。市民を守る防衛パイロットってヒーローに、ああやって戦闘術を叩き込もうとしてやがるんだから。戦争否認主義が聞いて呆れるぜ」

 火星コロニーでは、人々が地球で暮らしていた時代、多発していた戦争を否認している。そのため、コロニー政府機関である防衛組織でも、戦争を連想させる“軍”という表現を用いないことにしているのだ。

「だが、市民の安全を守るためには、そうやって訓練することは必要不可欠だろ」

 理屈では正しいことを言っているはずなのに、自分の発言に嫌悪した。市民――その中に“仮設地区住民”は含まれていない。

「安全を守るためか……」

 モーゼズが言葉を切り、意味を持たせるような間を空けた。それから独り言のように呟いた。

「その防衛パイロットを考案した政府こそが、“市民”の安全を脅かす暴動が起きる原因を作った張本人なのにな」

「……」

 オレは何も言えなくなった。口の端だけ上げて笑うモーゼズを直視できなくなり、おもむろに視線を外した。するとモーゼズは反転してオレに背中を向け、オレの先に立って歩き出した。会話が途切れたまま通路を進む二人の空気は重く、歩く速度もまた錘を足に付けたように重く遅くなったように感じた。

 やがてエレベーターの前にやって来るとモーゼズが切り出した。扉の横にある階数ボタンを押しながら。

「お前は気付いたか? あの“ブラックジョーク”に」とこちらを向く。

「ブラックジョーク?」

 きょとんとしてオレはそう問い返した。

「敵の機体にナンバーがなかっただろ。それがどういうことなのか分かるか?」

 挑戦的な目でそう促すモーゼズに、オレは眉を潜めた。

「ゲームだからだろ?」

 創作物として出している以上、架空のナンバーを付けることも可能だろうが、便宜上そうしなかっただけと考えるのが自然だと思った。するとそれを嘲笑うように、モーゼズが腕組みしながらオレを見下ろした。

「それはどうかな。オレにはそれらの機体が個人認証番号を持たない、“NO ID’s”を象徴しているように思える。響、お前はあのゲームをクリアしたことがあるか?」

「いや」とオレは首を振った。モーゼズ(こいつ)はあるのか? それが実戦を勝ち抜いてきた者の――零号士の実力なのか。

「じゃあ、教えてやる」とモーゼズは言った。

「あれは全ミッションをクリアすると、まず派手な花火がバンバン打ち上がる。そして盛大なパレードが始まり、統首がスピーチで、攻めて来る敵がいなくなったこと、火星コロニーに平和が訪れたことを祝福した言葉を述べる。それでゲームは終了だ。

 あくまでも、コロニー住民の平和のみを祝い」

 そこで言葉を区切ってから、モーゼズは次の句を継いだ。

「最後に流れてくるテロップはこうだ。

『火星コロニーに平和を』

『This World――この火星コロニー(世界)を戦争のない世界へ』」

「……!」

 モーゼズの言った言葉が、オレの眼前を白くした。爆発の瞬間を目にした時に似ていた。そう、形あるものが霧散して、空間を束の間の空白地帯に変えた時の虚無感に。

 モーゼズが言葉を継いだ。

「それが政府が主張する『戦争のない世界――“Peaceful world”』だ」







 モーゼズとは降りる階数が違ったので、エレベータを降りてから行動を共にしなくて済んだ。離れてほっとした。あいつが背負っているものは重すぎる。あいつがオレに教えてくることは、オレには耳を塞ぎたくなることばかりだ。知らなければオレは、地球旅行へ行くことを夢見て、パイロットとして希望に満ちた日々を過ごしていただろう。

 いつか父のような立派な零号士になって。

 大切な人を地球に連れていく。

 父が果たせなかった夢を叶えるため――そう誓いを立てて火星コロニー防衛パイロット養成施設に入ったのだ。

 仮設地区住民には同情する。しかしそれは政府が抱えている問題で、オレ個人がどうこうできるようなことではない――そう割り切っていただろう。それが少しずつ狂い始めている。父のことをよく知る人間から父の話を聞かされ、聞けば聞くほど放置できなくなってしまった。仮設地区住民たちの問題を。これは最初から決まっていたことなのか? 父の意思を受け継ぐためにオレが養成施設に入り、そこで彼らに出会うことは。まるで運命に導かれているように、何かに引き寄せられているように感じる。オレはどこへ向かっているのか。自分でも分からなくなってきた。

 頭がパンクしそうだ。


「くそ、モーゼズ(あいつ)に会ったせいだ……」

 オレは頭を抱えて小さくそう罵った。







 勤務時間が終了するとオレはまっすぐ寮に帰宅した。今日は酷く気疲れしたので自室のベッドで眠りたかったのだ。そして帰宅後ベッドで休んでいると不意に玄関の扉が開く音がした。眠りに着こうとした矢先のことだった。オレは瞼を閉じて寝たふりをするが

「は〜い、ハニー。おみや買ってきたぜ〜!」

 歌うように陽気な声と靴を脱いで室内に上がり込んでくる足音。さらには紙袋か何かのパリパリ言う音が聴こえてくる。帰ってきたのか……。ベッドの上でオレは落胆した。

 “奴”が襲来した。

「疲れた時には甘いものが一番だろ?」

 そう言って奴――モーゼズはオレが寝ている二段ベッドの前に来て、紙袋の中からドーナツを取り出した。眠たそうに首を傾けるオレの目の前でそれをうまいうまい、と自分で頬張る。

「うざい……」

 薄目を開けて見ていたオレは、上掛けを顎まで引き上げ、背を向けて再び寝に入る。瞼を閉じて……1、2……

 数秒後。

 なんだ、この殺気のようなものは?

 背後にそれを感じ、粟立つ背中。

 後頭部に何かが突き当たる。

「Ⅰ shoot you if you sleep」(寝たら撃つぞ)

 背後からそう声がした。何かを押し付けられて擦れた髪がジリジリ言った。

「ああ〜もう、わかったよッ!」

 投げやりになってオレは言った。するとふっと後頭部がその圧力から解放され、そこに押し当てられていた物が離れて行くのが分かった。やむを得ずオレは起き、二段ベッドの下段から出ると

「BANG!」

 とモーゼズが手を銃の形にして、それをこちらに向けて撃つ真似をした。茶目っ気たっぷりな顔で。

「……」

 怒る気力なし。

 オレは閉じた貝になる。

 付き合いきれない。





 結局――

「これが新作らしいぜ。お前も食ってみろ」

「食いかけはいい」

 モーゼズに差し出された歯型付きドーナツを見て、雑巾を見るような目をしてオレは断った。あれから結局モーゼズに付き合わされる羽目になったオレは、カーペットにクッションを敷いて奴と仲良く(?)ドーナツを食べていた。ドーナツはうまかったが、モーゼズ(こいつ)がいると全く安らげない。そんな息苦しさを感じながら。

「なぁ、響」

 テレビを見ながらモーゼズが言った。オレは面倒臭そうに「なんだ」と返すとオレの方を向いて奴が言った。

「耳かきしてくれ」

「は? オレはお前の彼女か!?」

 明らかにオレが拒絶する態度を示したのに、引き出しの中から耳かきを取り出すとそれを持ってあぐらをかいた足を崩さずに、カーペットの上を滑って前進してくるモーゼズ。傍らに来ると奴は勝手にオレの太股に頭を乗せた。オレに向かって耳かきを差し出し

一言。

「Do it」(やれ)

 なんだこいつ!?

 ムッとしたオレは憎々しげに奴を睨み、わざと手を滑らせてやろうか? と企んだ。ん? すると横になったモーゼズの生え際を見てあるものを発見。オレは躊躇わず無の表情でそれを、ぶちっ! と引っこ抜いてやった。多少悪意有。

「Ou! what are you doing!?」(いてッ! なにすんだ、お前!?)と驚いた拍子に英語で叫び軽く飛び上がるモーゼズ。労るように首筋に手を当てたモーゼズに、オレは坦々と呟くような口調で言った。

「お前、金髪だったんだな?」

 親指と人差し指で挟んだ一本の髪の毛を顔の前で眺める。明らかに黒じゃない。キラキラしてナイロンみたいだ。ふ〜ん、とオレはその毛髪をそれが生えていた襟足部分に当てた。生え際に同色の部分があった。それを見てなんとなく金髪のモーゼズを想像し、それが何故か王子様みたいに柔らかい微笑をする姿を形成して思わずオレはニヤリとした。

 モーゼズは横臥したまま首だけ傾けて

「違う。“ゴールデンブラウン”だ」

 きっぱりとそれを否定した。その頑なさが妙に笑えたオレは首を傾げる。

「絶対金髪のほうが似合ってると思うけど」







 クリスマス当日――

 今日と明日オレは一般の生活に戻る。昼前に寮を出て、徒歩でビル街に繰り出した。

 ここは平和だな。

 最寄りの駅へと続く街並は、どこもかしこもクリスマス一色だった。建物の外装も、聴こえて来る音楽も、店の前に貼ってあるポスターも、み〜んなクリスマス、クリスマス、クリスマス! 特別気にかけていなくても通るだけで強制的にクリスマスに参加させられる。別にオレはクリスマスが嫌いというわけではなかったが、目がチカチカする。ちょっとウザい。まぁ、そんな感じだった。居る人はほぼ二人組の男女。毎年よく見るそんな光景の中にオレは同化していた。パイロットスーツも着ていなければ、こんなただの私服姿では、誰もオレが防衛パイロットだとは思わないだろう。つい先程まで防衛施設のパイロットとしてその施設の寮にいたのに、不思議な感じがした。まるで自分が普通の中学生になったみたいに、そこにいるとそんな気分にさせられた。

 途中、母に渡すプレゼントを買うためにデパートに寄った。そこはいわゆる高級デパートという場所だった。母には普段何もしてやれていないので、クリスマスぐらいは何か感謝の意を示すようなことをしてあげたかった。それで少し、背伸びしてこういう店を選んだのだ。

 入口の重厚なガラス扉を開けて店内に入ると高級感漂う雰囲気に圧倒されそうになった。「いらっしゃいませ」と来店を出迎える声の響きにも、どことなく品があった。洋服売り場などの店員は制服を着ていなかったが、皆清潔感のある服装で首には社員証をぶら下げていた。お辞儀の仕方から、言葉遣いから、所作まで、何から何まで教育が行き届いているのが窺える。オレのような庶民には場違いのように思えて、少し気後れしてしまう。

 金のラインが入った茶系の制服と同じ布でできた帽子を被った姿のエレベーターガールが案内するエレベーターに乗って、上の階にやって来る。そのフロアは宝石などの貴金属、バッグなどが置かれているフロアだった。そこでオレはシンプルなデザインの革のカードケースを選んで手に取った。脇にベルトが付いていて、その中央にブランドの頭文字を象ったシルバーの金具が付いている。母親の趣味をなんとなくしか理解していないオレだったが、そのカードケースが母のイメージに合っていると思った。

「贈り物ですか?」

「はい」

 店員に尋ねられて少し頬が赤くなる。買おうとしているのが女性物だということもあったが、今までこういうことをした経験がなかったので気恥ずかしかった。それをその女性店員が預かってレジに持って行く。そして丁寧に袋に入れたものを真っ赤なクリスマス用の包装紙で包み、さらにはそれを紙袋に入れて金のリボンを十字に巻き付けていく。それを尻目に早く買い物を済ませて店を後にしたかったオレは、素早く財布から電子マネーのカードを取り出した。傍らにいた男性店員がそれを受け取りカードリーダーに通す。残金を伝えて返されたカードをオレは財布にしまった。後からレシートが渡される。……万。高級ブランドだったのでそれなりの金額だったが、事前に調べていたのと同じ金額だったので驚きはしなかった。この日のために貯めておいた金なので、使った後で困ることもない。これで母が喜んでくれると良いが……そう願うだけだった。





 駅からの移動手段は電動車両だった。それは従来の電動式の乗り物――いわゆる電車よりも、振動も騒音も少ないらしい。乗り心地は悪くない。それに乗って数分後、実家の最寄り駅で下車した。

 母は都内のマンションで暮らしている。そこは交通の便が良く、通勤には最適の場所だった。そうなると賃貸であればそれなりの稼ぎがなければ住むことは困難だったが、父はそのマンションを購入していたため、残された家族がそのマンションの家賃を払う必要はなかった。

 本当はオレもそこで暮らせばいいのかもしれない。母もそう思っているだろう。あのマンションは、一人で住むには広すぎる。だが、もしそうしたとしても、そこにはほとんど帰らないだろう。父がそうだったように。零号士でない分、多少はオレのほうが融通が利くだろうが、いずれはオレも零号士になるつもりだ。――なるべく近いうちに……





 オレは実家の玄関の前までやって来た。右手には先刻デパートで買ったプレゼントが入った紙の手提げを持ち。それは小さくて表面をビニルコーティングがしてあるエナメルのような光沢がある小さいやつだった。いかにも、“買いましたッ”という感じだ。そんなこともあり、すぐにインターホンを押そうという気にはなれなかった。こんな袋を持っていたら、ブランド物を買ってきたということがバレバレだ。言わなくても親切に袋にブランドのロゴが入っている。こういうのって普通、大人の男性が恋人とかに贈る物だよな。家の前でこんな物をぶら下げてたら怪しすぎる。誰かに見られないうちにさっさと家に入ったほうがいいな。

 オレはインターホンを押すことを決意した。溜め息を一つ吐いて 気を落ち着かせる。その時。

「こんにちわ」

 若い女性の声がした。オレはぎょっとしてその方向――左に顔を向けた。するとモデルのようにすらりとした体型の女性がドアの前の通路を歩いて来た。衿にベージュのファーが付いた白いロングコートのボタンを止めずに羽織り、その隙間から黒いブーツを履いた足が歩く度に覗いている。カツンカツンカツンと小気味良い靴音を響かせて、彼女はうちの左隣のドアの前で足を止めた。つい見入ってしまっていたオレは遅れてからの

「こんにちわ」

 お隣りさんだったのか。こんな綺麗な人が……。それを知り、ほんのり頬が赤くなるのを感じた。

 女性は雑誌が入りそうな大きめのトートバッグの中からキーケースを取り出した。持ってる物がどれも高そうでブランド品のようだった。それが似合っている。“大人の女”という感じだ。

 振り返って彼女が言った。

「息子さんですか?」

「はい……」

「そうなんだぁ、何歳なんですか?」

「十五です」

 急に笑顔で友好的な雰囲気になった女性に、オレは少し戸惑った。質問はまだ飛んで来た。

「じゃあ、高校生か中学生?」

「いえ、パイロットです」

「パイロット〜!?」

 と女性の声のトーンが2オクターブぐらい上がった。その反応は大袈裟ではない。オレの歳でパイロットをやっているというのは珍しいことなのだ。さらにオレが防衛施設で働いていることを伝えると彼女は

「へぇ〜〜、凄ぉ〜〜い!」と瞠目していた目をもっと大きく見開き、オレの姿を上から下から眺めやる。うわ、そんなに見るなよ! オレは右手に持っていた紙の手提げ袋を彼女の視界に入らぬように、右後ろに移動させた。すると彼女の目がぱっと輝いた。内心焦るオレ。

「それ、彼女に?」

「いえ、そういうんじゃ……」

 顔が上気するのを止められずオレは俯く。すると

「かわいい〜〜ッ!」

 と女性は黄色い声を上げた。そう言われてオレはますます動揺して顔が赤くなる。それから女性は「頑張ってね! 応援してるから!」と言って自室のドアの向こうに消えた。残された後オレは

 ……最悪だ。マザコンだと思われたかもしれない――と小さく歎くのだった。

 ようやくインターホンを押す。

「お帰りなさい〜」

 高らかな母の声。すぐに玄関のドアは開いた。防犯カメラにこちらの姿は映っているので、来たのがオレだと分かっていたのだ。

「さぁ、上がって。お腹空いてるでしょ?」

「うん」

 母に急かされ、オレは靴を脱いで家に上がった。「ただいま」と言うのはむず痒い。

 玄関の壁には松毬や葉っぱなどを巻き付けたリースが何個か吊してあった。おそらく母の手作りだろう。教わりながら一緒にリースを作ったり、壁に飾るのを手伝ったことがある。オレは床に出してあった客用のスリッパに履き替えると母に先導されてリビングに向かった。

「今年はホワイトにしてみたの」

 リビングの扉を開けて母が言った。その中を見てオレは少し驚いた。テーブルの隣に白い妖精が立っている。いや、毎年ツリーを飾っている場所にあるツリーが、ホワイトになっていたのだ。白い葉が点滅する電球の光を受けて、それより柔らかな色を表面に浮かび上がらせている。淡い虹色の木になっていた。まるで幻想ファンタジーの世界だな。賑やかなツリーを想像していたオレには軽い衝撃だった。

「新しいツリー買ったんだ?」

 そう尋ねると母は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「お店に飾ってあるのがあまりにも綺麗だったから、どうしても欲しくなって買っちゃったの」

 オレは新しいツリーを傍で眺めながら「ふ〜ん」と呟く。母は普段、衝動買いなどしない人なのに。珍しい。

「綺麗じゃない?」

 ツリーを眺める母はその姿にすっかり酔いしれていた。

「ねぇ、響」

「ん?」

「ホワイトクリスマスって知ってる?」

「ホワイトクリスマス?」

「そう、地球ではクリスマスに雪が降るとそう言うんですって」

 母は「雄二さんから教えてもらったの」と付け足す。“雄二”とは、父のことだ。母は昔から父のことを名前で呼んでいた。

「きっと素敵よね。雪の降る日のクリスマスなんて」

 母は目をうっとりさせ、掌を胸の中央で重ねた。ロマンチックな気分に浸る若い娘のように。

 雪の降るクリスマスか……オレはぼんやりとそれを解釈した。雪の存在をオレも知っている。だが天然の雪やそれが降る様子を映像以外では見たことがなく、漠然とした光景しか頭に浮かばなかった。

「昔、言ってたのよね。雄二さんと。

『いつか、真っ白な雪が降るホワイトクリスマスを過ごせるといいね』って」

「……」

 母は愛おしそうにツリーに触れた。しかし意識がそこにないように、どこか虚ろな視線で。その瞳が見詰めているのは過去の風景か。父と恋人同士だった時代の。それとも

 見たことのない風景か。


 雪の降るクリスマス――“地球”の


「……」

 しばらく無言でツリーから手を離さない母を見て、オレは心に誓った。

 いつか、自分が地球に連れて行ってやろう。本物の雪が降る季節に。

 父の代わりに。


「あら、いけない」

 ふいにはっとしたように、母が顔を上げて立ち上がった。

「お腹空いてたわよね、響?」

「うん……」

「じゃあ、座って食べましょうか」

 そう言った母は、表情に明るさを取り戻していたのでオレは少し安心した。





 食卓は四角い木製テーブルで、木の椅子が四脚並んでいた。オレは出口とは反対の右側の席に着く。向かい側が母の席で、その隣が父の席だった。あの手提げは、脱いだ上着の横に置く。渡すタイミングが分からなかった。

 テーブルの上には取っ手付きの蓋を被せた大皿がいくつも並んでいた。

「さぁ、召し上がれ」

 母がその蓋を持ち上げるとふわっと肉やスパイスの香ばしい匂いが立ち上った。母が蓋を外していくのを手伝ってオレも立ち上がる。適当な場所にまとめて蓋を置く。

「貸して」

 母がシャンパンの瓶を持ってぼーっとしていたので、その瓶を受け取った。中身が溢れ出るわけでもなく、特にリアクションもなくスムーズに栓が抜け、母のグラスと自分のグラスにシャンパンを注ぐ。ちなみに未成年のオレでも飲めるノンアルコールのやつだ。すると黙っていた母が

「やだ、響ったら……」と笑い混じりで言った。

「?」

 母が何故笑ったのか分からず、オレは困惑した。なんだか嬉しそうな顔で母が言う。

「“パパ”みたい」

「?……」

 オレはますます困惑した。

「そうやってさりげなく言って栓を抜いてくれる所なんかそっくり。響、最近パパに似てきたわね?」

「そう?」

 ただ蓋を開けただけなのに。

 しかしそう言われてみれば、そんなこともあった気がする。母が困った顔をしているとすぐに父が手を差し延べていたような――そうするとすぐに母の顔は笑顔になり……

 他にも二人がキッチンに立って食材を切ったり、フライパンで調理している所や母が作った熱々の料理の入った皿を食卓に運ぶ父の姿が目に浮かぶ。まだ小さかったオレはそれを真似。父は多忙な人ではあったが、家にいる時はそうやって家族や家庭のことを気にかけてくれていた。

「じゃあ、乾杯」

「乾杯」

 母が切り出し、カチンとグラスをぶつけて乾杯した。二人ともグラスを口に運び、傾ける。グラスを下ろすと同時に顔を正面に戻すと、嬉しそうな顔で母が見詰めていた。オレとお揃いのグレーの瞳が幸せの弧を描き、テーブルに肘を突いて顔を包み込む両手に、愛が溢れている。

「……」

 オレはまた困惑した。だが今度はそうしている理由が分かる気がした。それに、さっきのように悲しい顔をされるよりはいい。

「あのさ……」

 オレはぼそっと切り出した。視線を徐々に下げていく。隣の椅子の上にある“あれ”に。すると

「ああ、“あれ”ね?」

 母が瞳を輝かせ、パチンと手を叩いた。「ちょっと来て」そう手招きされて、オレは立ち上がり、冷蔵庫に向かう母に付いていく。

「ドアを押さえてて」

 そう言われて母が開けた冷蔵室のドアをオレは手で押さえた。開けた時点で見えていたクリスマスケーキらしきものを乗せた皿を母が取り出した。振り向き様ににやっと笑う。

「すごいでしょ〜?」

 母が食卓にケーキを運び、オレは冷蔵室のドアを閉める。食卓に戻り、母の傍らで関心げにケーキを眺めた。断面が生クリームとスポンジの渦巻きになっている白いブッシュ・ド・ノエルだった。上にチョコレートでできた丸顔のサンタとトナカイの大きな顔が乗っかっている。

「“ホワイトクリスマス”をイメージして作ったの。分かってくれた?」

「うん、なんとなく。白いから」

 オレが率直にそう答えると何故か母は不機嫌な顔をした。

「もう〜、冷めてるわねぇ。もっとロマンチックなこと言えないの〜?」と拗ねる。

 オレは

 ロマンチックなことってなんだ?

 と理解不能だった。頭に疑問符を浮かべながら、テーブルを回り込んで自分の席に戻る。

「そういう所はパパに似てないのよね……」と母は困ったような複雑な顔をしてオレを見た。父さんは言ってたのか? ロマンチックなことを。オレはなんだか複雑な気持ちになった。いったいどんなことを……

「でも、響」

「何?」

「あなた最近、外見もパパに似てきたんじゃない?」

「そうかなぁ」

 オレは軽く首を傾けた。自分ではそうは思えなかった。ちなみにオレは父のことを“パパ”とは呼ばない。母は気紛れで。

「呉羽管理部長にも言われた。“眼差し”が、だけど」

「呉羽君に!?」

 母が歓声に近い声を上げた。目を輝かせた母を見ながらオレは頷く。少し気になる反応をした母を懐疑して。

「母さんのこと知ってたよ。“レナは元気か?”って聞かれた。どういう知り合いなの?」

「どういうって……」

 母は狼狽えた。疑惑をかけた息子の眼差しに。

「高校の時にね、友達と航空ショーを見に行こうって飛行場で待ち合わせしたの。そしたら友達から急に行けなくなったって携帯にメールが来て……仕方ないから一人で見ることにしたの。それでうろうろしてたら呉羽くんが声を掛けてきて、“一緒に見ませんか”って……」

「ふ〜ん、それでどうしたの?」

 母はう〜ん、と唸って曖昧に言葉を濁してから言った。

「それでね、終わってから“飛行機が好きなら、また他の航空ショーも見に行きませんか?”って誘われて……何度か一緒に見に行ったの」

 母の口調はだんだんもじもじしたものに変化していった。何をそんなに恥ずかしがっているのか。何か特別な意味があるみたいじゃないか。オレはそのことに少し苛つき、口を尖らせた。それじゃあ……

「付き合ってたの?」

 と母の目を見据えてストレートにそう質問した。すると

「え? 違うわよ! ただの友達よ」

 と母は瞠目しながら半笑いした。何か隠している。息子の冷たい視線がそこに注がれた。

「やぁね〜、響ったら……そんなことに興味を持つようになったの? もしかして、好きなでもできた?」

「!?」

 オレは思わぬ逆質問の返り討ちに遭い瞠目。一瞬言葉を詰まらせた。目を瞬かせ

「別に」

「ふふ」

 笑う母。

「……」

 気不味くなるオレ。額から見えない汗がツーっとしたたり落ちた。……あ、そうだ! ふと思い出してオレは隣の椅子に手を伸ばした。そこに置いた手提げを持ち上げる。それを向かいの席にいる母に差し出した。

「これ、クリスマスプレゼント」

「え?」

 母は驚いてぽかんとした顔でそれを受け取った。

「まぁ、何かしら」とわくわくした様子で手提げの中に手を入れた。中から赤い包装紙と金のリボンでラッピングされた小さな平たい包みを取り出す。それを正面から眺めながら

「気に入るか分かんないけど」

 少し心配気味にオレが言うと母はにっこりした。嬉しそうに包みを広げていく。

「わぁ〜」

 そして感嘆の声を上げて、開いた包みの中から中身を取り出した。現れたのはブランドのカードケース。それを表にしたり裏にしたりして、感嘆したような声を漏らしながら眺める。ふとその顔を上げて、こちらを見る。と、ものすごく目を輝かせた笑顔だった。

「ありがとう〜、響! こんな高級ブランドの物、ママがもらっていいの!?」

「いいって、プレゼントだから」

 大袈裟だな、とオレは照れ笑い。ちなみにオレは母のことを“ママ”とは呼ばない。







「出かけたくなっちゃった〜」

 すっかりご機嫌になった母の希望で、急遽出かけることになった。昼食を食べてすぐのことである。せっかく作ってくれた料理があるというのに「大丈夫よ、料理は逃げないから、残りは帰ってきてから食べればいいし」と言われ、オレは不承不承ながら付き合うことにした。白いブッシュ・ド・ノエルは夜までのお預けとなった。支度を済ませた母と家を出る。

「恥ずかしいよ……」

 玄関の扉を閉めてすぐに母が腕を組んできたので、オレは嫌がってそう漏らした。

「なによ、こんな美人に失礼ね」とぼやく母に、自分で言うなよ、とオレは苦笑した。





 真っ昼間なのに街は人で溢れ返っていた。自宅のマンションに向かう途中に通った時より増加している。そこを親子で歩くのは数年ぶりだった。十五のオレは普通に進学していれば中学生だ。こうして母親と二人で街を歩くのは気恥ずかしい。既に社会人として働く身ではあるが、中身はまだ思春期の少年だった。

「なんで急に出かけたくなったの?」

「そうね、ハンサムな息子をみんなに自慢したくなったから」

「……」

 陽気な母の回答に、オレは言葉を無くしてスルーした。



 ぶらぶらしているだけでも時間は過ぎて行った。ほとんどが母の洋服選びだったが……まぁ、これも一つの親孝行か(?)、そう考え黙って母の買い物に付き合った。途中、寄ったカフェの中で母に「女の子はこういうお店が好きなのよ。デートの時はこういう所に連れて来なさい」と何故かレッスンされた。周りの客席を見れば同席した男女の姿が多かったので軽く納得。店内にはコーヒーの香ばしい香や焼菓子の甘い匂いが漂っていた。

 夕方になると街はきらびやかさを増していた。照明器具の光が闇に生える。やはりこうして日が落ちてからのほうがクリスマスの雰囲気が出る。昼間の喧騒よりも夜間の静けさの中で輝く街並みのほうが幻想的で美しい。道行く男女の密着度も大幅アップ。オレには当分縁のないことだ。その後、母が映画が観たいと行ったので映画館に行き、二時間余りの時間をそこで過ごしてから帰宅した。





 家に戻るとすっかり冷めてしまっていた料理を温め直し、遅い晩餐を始めた。

 小皿に取り分けた、自信作のホワイト・ブッシュ・ド・ノエルにフォークを入れて母が言う。

「響、ママとのデート、楽しかった?」

「ああ、まぁ」

 母に調子を合わせてオレは軽笑。切り分けてあるチキンをフォークで刺して口に運んだ。二人とも歩き回って疲れてしまったのか、それから会話もなく食事している音しかしなくなる。

「ねぇ、響」

「ん?」

 ただ黙々と食べ続けていたオレは、沈黙を破った母の顔を見た。母は口元に笑みを作っていたが、目は笑っていなかった。何故か少し寂しげに見える。

 母は言った。

「一緒に暮らさない? ここで」

「……」

 一番答えにくい話を持ち出され、オレは言葉を詰まらせた。間を空けたことで答えは決まっているようなものだ。オレは申し訳なくて、すぐには言い出せなかった。その間――母は待っている。何も言おうとはしないが、自分に注がれている母の切ない視線を肌に感じた。

「ごめん……緊急な呼び出しがあるかもしれないから、無理だと思う」

 残酷な言い訳だ。零号士になっていない今なら可能なのに。

 しかし、寮を出て防衛施設から離れることに不安があった。離れてはいけない気がした。いない間に何が起きるか分からない。運命を変えてしまうような出来事のきっかけとなることが、あそこにまだ隠れているかもしれない。例えばモーゼズ。奴との出会いがオレの心を揺さぶり、何かが……いや、何かに自分が近付いていっている予感がする。奴は重要な何かを握っている。そんな気がしてならない。奴は――オレが知りたい何かを“知っている”と。

「そう」

 母は小さくそう言った。仕方ないわね、と呟く。目を細めて、精一杯の笑顔を作り。


 胸が痛い……


「ごめん」

 オレはそう謝ることしかできなかった。

 母が首を振る。

「いいの。でも、考えてみて」

 控え目にそう言った。







 静かな部屋で布団に寝ながら、ふとオレは瞼を開けた。壁に掛けてある時計を見ると朝の五時だった。身を起こし、両手を広げて大きく伸びをする。それから、左右に首を動かしてから欠伸した。パジャマ変わりに着ていたトレーナーとジャージのズボンでは肌寒く、オレはぶるっと震えながらも毛布を剥いで布団から出た。母は隣の寝室でまだ眠っている。喉の渇きを潤したかったオレは、スリッパを履いてキッチンに向かった。

 キッチンに入って冷蔵庫を開ける。ドアポケットに調整豆乳、ペットボトル入りのお茶があった。オレはお茶を選び、冷蔵庫から出してコップに注ぐ。飲み終わって再び冷蔵庫のドアを開けた。

「……」

 無意識にその中央に目が行く。仕切りの付いた棚の上に。そこにマーガリン、味噌、夕べの残り物などが並んでいた。その上を適当に摘める者がなか探して、一段一段覗いていく。皿や入れ物をずらしながら。ケーキやローストチキンやフライもあった。それらは夕べの残り物だが、とても美味しかったので今見ても食欲をそそられる。それなのにオレは、何故か喪失感を覚えた。三段総てのスペースを見終えて。


 ない……


 そこにあるべきものが無かった。その事実が、オレの心にぽっかりと穴を空けた。冷蔵庫のドアの閉め忘れ防止ブザーが、ピピ、ピピと鳴り続ける。何故こんなにショックを受けているのか、自分でもよく分からなかった。いつもそれが冷蔵庫に入っていることに胸を痛めていたのに。今はそれがなかったことで、何かが欠けてしまったように胸が痛い。本当に……? 冷蔵室の前で途方に暮れていた。

 やがて嘆息とともに肩を落とし、オレは放心状態から解かれた。五年も経つんだ、仕方ないよな……。そんな諦めの言葉を胸の中で囁いて、オレはケーキを入れる白い箱を手に取り、ケーキでも食べるかな、と持ち手の重なった部分を外して蓋を開けた。

「あ……」

 その中を見て直後動きが停止した。これは……。ちょこんとミントの葉が乗ったホイップクリーム。その下に見える透き通った焦げ茶色の物体。角度によってキラキラ輝くそれは、コーヒーゼリーだった。それを入れた容器がガラス製であることから、手作りだということが窺える。

「はは……」

 それを見て思わずオレは苦笑した。そして、それがあったことに


 ほっとした。


※次回は本編です。

……なんとなく考えてみた>響が乗っている機体のネーミング『宇宙空間対応飛行機メカ』の後付け。⇒『MECA』ムーブ・エネルギー・コントロール・エアプレーン

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