第二十八章:前儀
「“地球”に……?」
オレは漠然とモーゼズに言われた言葉を繰り返した。
「オレを地球に連れて行ってどうするつもりだ?」
オレがパイロットになろうとした最初のきっかけは、父の夢である“地球旅行”を実現するためだった。そのために養成施設に入った。それは自分が志したことであり、着々と段階を踏んで行く一人作業のようなものだと考えていた。そこに手引きをしてくる存在が現れるとは思いもしなかった。ここに来て積み重ねてきたことを棒に振りたくはない。
慎重にならなくては……
モーゼズ(こいつ)はオレを何かに利用しようとしているのかもしれない。モーゼズの言葉を待った。
「その前にお前を零号士にしないといけないな。話はそれからだ」
「な……っそれじゃ答えになってない!」
食い下がるオレをモーゼズは手で制した。
「まぁ、落ち着いて聞け。明日オレと申請しに行こう。それが済んだら質問に答えてやる」
「……っっ」
オレは腑に落ちない表情でモーゼズを睨んだ。すると彼は踵を返して玄関の方へ向かった。
「待て! そのことは二ヶ月前、マネージャーに頼んで却下されたばかりなんだ。どうせまた同じ理由で断られる!」
モーゼズはドアノブに延ばした手を下ろして振り向いた。
「マネージャーに聞く必要はない。もっと権限が上の人間から、直に承認をもらえばいいだけだ」
「どうやって……?」
表情を変えずに淡々と答えるモーゼズに、オレはすっかり困惑させられた。
「まぁ、オレに任せておけ」
そう言った彼の意気揚々とした表情を見て、余計不安になる。
「不正な手続きじゃないだろうな?」
「不正?……はは、とりあえず犯罪絡みではないから安心しろ。ただ、お前個人の意志を尊重する手助けをしてもらう、そう思っていればいい」
言いながらモーゼズはドアを開け、
「じゃあな」とその向こうに半身が消えた。
「待て!」
すかさずオレは叫んだ。今度は駆け出して彼のもとへ行く。モーゼズは立ち止まり、困ったようにハの字に眉を下げた。掌を上に向け、疲れたように吐き捨てる。
「何だよ、まだ何か用なのか?」
「どこへ行くんだ?」
「ああ、ちょっとな」
大人の都合みたいに言ったモーゼズに、オレは不服な眼差しを向けた。するとモーゼズは、女の扱いに慣れたような手付きと眼差しでオレを扱った。後ろから肩を抱き、顔を寄せて囁きかける。
「だって、今夜は寝かせてくれないんだろハニー? 朝まで質問攻めにされるのは御免だ」
「……」
その言動に腹が立ったが、言い当てられたオレは何も言い返せなかった。
「じゃあ、明日な。Sleep well」
オレの額にキスをして、モーゼズはそこから去って行った。
ベッドに入り瞼を閉じた。モーゼズが用意したというおろしたてのシーツに包まれたマットは、ぱりっとしていて冷たかった。体勢だけ就寝に備えるが、頭の中で喧騒が始まった。さまざまな思考が睡眠を妨害する。その喧騒が止まずに、徐々に奥から聞こえて来る。それもいつしか、全身の力が抜けて夢の世界に溶けていった。
起床時刻にセットしたアラームが鳴る前に、オレは瞼を開けていた。そこに広がっていたのは通常と変わらぬ平穏な朝の風景だった。瞼を擦り、欠伸を一つする。
いよいよ今日、オレは零号士になれるのか。なれるまでに、こんなにてこずるとは養成施設に入った当初は思いもしなかった。しかしそれよりも、事態がこんな急展開を見せたことに驚きを感じていた。
寮を出て養成施設に着くと、まずは食堂へ向かった。昨晩外泊したモーゼズがそこを訪れるかもしれないと思ったのだ。警戒心から彼とは携帯番号を交換していないため、偶然に期待するしかなかった。
食堂へ繋がる通路は、その時間やたらと静かだった。その場所に一人取り残されてしまったのかと思えるほど人の姿は見当たらず、物音すら聞こえてこない。組織の人間一人にでも出くわすことができれば奇跡のようなものだった。その日もやはり誰にも会うこともなく食堂に着いてしまった。
テーブルは数席埋まっていたが、そこにモーゼズの姿はなかった。結局食べ終えるまで彼は現れず、オレは諦めて席を立つ――……と突然、携帯端末の着信音が鳴った。着ていたナイロンのジップアップパーカーのポケットに手を突っ込み、携帯端末を取り出す。ディスプレイを見ると発信元は未登録の番号だった。誰だろう? と小首を傾げながら応対する。
「はい」
そのすぐ後に相手の声がした。
《Hello〜〜》
それを聞いた途端オレの表情は凍結した。嫌な予感が脳裏を過ぎる。
まさか……
沈黙するオレを相手に、勝手にしゃべり続ける男の声がスピーカーから聞こえて来る。
《Good morning Honey!》
予感的中! この“ノリ”はモーゼズだ。
「何でオレの番号、知ってるんだ……!?」
《何でだったかなぁ、忘れたよ》
あいつ……っオレが寝ている隙にでも携帯端末をいじったな!
オレはスピーカー越しに悪態を吐きながら、食堂を抜けて通路に出た。
《それより響、昨晩はよく眠れたか? オレがいなくて寂しかっただろ?》
「……」
オレは言葉に詰まった。
「おかげでぐっすりと眠れたよ」と言ってやりたい所だったが、あいにくオレは冗談でも嘘を付くのが苦手だった。ましてやモーゼズ(あいつ)のように、おどけて言うなどもってのほかで、性格上無理だった。
実際のところ、疑問を残したままモーゼズが姿を消したため、昨夜はなかなか寝付けなかった。だが、何かと回りくどい言い方をしてはオレを振り回してきた奴に――してやったり! と思わせたくなかったオレは、冷めた口調で言った。
「別に」
《くくくく……》
オレの小さな反抗に、忍び笑いが返ってきた。腹立たしいその声にオレは眉を潜め、不機嫌な声で切り出した。
「今日申請しに行くんだろ」
《ああ、そうだ。じゃあ今から行こう》
「今から?」
急な誘いに、思わずオレは目を丸めた。
《大丈夫、予定は組んでおいた。お前は今日、朝番なしだ。――じゃあ、今からシステム管理室のエレベーター前に来い》
「あ! ちょっ……」
予定を組んでおいただと? 勝手に……
ただでさえ罰則期間での遅れを取り戻すためにも、巡回後にもらえる点数も稼いでおきたい所だったが、今日零号士になれるなら問題ない。そんなにうまくいくのか疑ってはいたが、そう自分を納得させた。
システム管理室前を訪れると個人認証センサーを通過した。ヘッドセットを頭にかけ、モニターを見ながら指示を出す管制官達の姿が目に入った。その点滅するディスプレイ画面や機械の作動音がする空間を抜け、オレは奥へと進んだ。休憩室やロッカールームが並ぶ通路の一角を曲がり、エレベーター乗り場に向かう。するとその傍らに腕組みをして待ち構える人影があった。長身のその人物がこちらに気付き、顔に笑みを浮かべる。――怪しい取引を行う密売人みたいだ――オレは“そいつ”に偏見の眼差しを向けた。その人物――モーゼズの側に歩み寄る。
彼は無言で迎え、すぐにエレベーターのボタンを押した。間もなくして開いた扉に掌を向けてオレを促す。先に乗っていた男性の脇を通り過ぎ、オレはその奥へと進んだ。壁に背を向けて向き直ると、後に続くモーゼズが階数ボタンを押した。
“17F”。上層部の執務室か?
思案しながらその様子を眺めていたオレの横にモーゼズが立つ。扉側を向いて腕組みをした。
扉が閉まり、エレベーターが上昇を始める。モーゼズは珍しくちょっかいを出して来なかった。そのことに違和感を覚えながら、指定の階に到着したエレベーターから、モーゼズの後に続いて降りた。
「いったい誰に会うんだ? 防衛施設にいるということは、この組織の人間か?」
「まぁ黙って付いてこい」
モーゼズはそう軽く受け流し、オレは不満げに首を捻った。
この階は上層部の執務室が並んでいる階だ。ここを訪れるのは相楽臣に案内されて、呉羽管理部長の執務室を訪ねた時以来だった。その日のことが脳裏に蘇る。
浮かんだのはメヒョウの顔だった。本物の豹さながらの鋭い眼差しが印象的だった。彼女の利発そうな雰囲気と妖艶な美貌に、オレは完全に魅せられてしまった。あの時オレに向けた視線の意味がなんだったのかは分からないが、その存在に惹かれていることは確かだった。また会えるかもしれない。そんな風に思えるのは、以前聞いた相楽臣の一言の影響が大きい。
「メヒョウの仕業かもしれない」
あの時そう言った。それはメヒョウが仮設地区との隔壁をなくした社会改革を望んでおり、彼女が裏で動いていることを示唆するような内容だった。仮設地区出身でありながら零号士になれた人間がいた理由を相楽臣はメヒョウが絡んでいると睨んでいた。それは彼個人のたんなる憶測でしかなかったが……
メヒョウが政府の方針に異議を唱えるのであれば、彼女は反政府主義者であり、モーゼズら仮設地区出身者を動かす闇組織と関わっている可能性も出てくるのだ。
コロニー側の組織に属する人間ではあるが、オレも改革を望んでいる。それをコロニー政府は、反政府主義、反乱者、と言うのかもしれないが、一つの正義だとオレは考える。今はそれに立ち向かえる状態ではないが、心の中ではそれを支持したいと思っている。
どこか期待に似た感覚が胸裡にうずいていた。それはこの後何か意外な展開があることを望んでいるかのようであり、冒険心に満ちた昂揚にも似ていた。
モーゼズはこの階の構造を把握しているのか、足取りには確かな物が感じられた。途中、不思議なことに誰にも遭遇しなかった。モーゼズはまるで、そのことを事前から知っていたかのようである。臆することなく大胆に通路を進んで行った。
専用通路入口前までやって来た。ここは関係者以外立ち入り禁止となっており、通過するには関係者のIDカードか、身分が分かる品が必要だ。それを入口を囲むセンサーに感知させるか、脇にあるカードリーダーにカードを通して、通過の可否が判断されるシステムになっている。オレやモーゼズは関係者でも何でもないため、IDカードやらをセンサーに通しても意味がない。この後どうするのかと傍らでモーゼズを眺めていると
「?」
モーゼズは呆気なくゲートを潜ってしまった。
「Come on」
顎を使ってオレを呼び寄せる。
「……?」
オレは警報ブザーが鳴らないかと懸念したが、モーゼズに手を引かれて半ば強引な勢いでゲートを通過した。
――ブザーは鳴らなかった。内心でオレは、安堵の溜息を漏らす。
「何故通れたんだ?」
困惑して尋ねるとモーゼズは
「これだ」と声に出さずに左手を掲げた。手首にはアジャストタイプの金属ベルトに円形ベゼルのシンプルな型のアナログ時計が填められていた。つまりその時計に、関係者の誰かの個人データ入りICチップが内蔵されているということらしい。政府が住民すべてにID番号を付けて管理したことが仇となったようだ。こんな抜け道ができてしまっている。政府の盲点を安直にそう思案したが……
これでは不法侵入じゃないか!? あぁ、厄介なことに関わってしまった――とすぐにオレは嘆息するのだった。
執務室、会議室などが並んでいるフロアに出た。天井には監視カメラがぶら下がっている。モーゼズはその下の通路を物怖じせずに進んで行くが、オレは酷く不安に駆られて先を行く彼の服を引っ張った。
「なぁ、こんなことして大丈夫なのか? 監視カメラに映ってるのに……」
モーゼズはちらっとだけこちらを見て呟いた。
「しゃべった」
「なっ……」
人が真面目に聞いてるのに――!
切れるオレに、振り返ったモーゼズは
「しっ」と口の前に人差指を当てた。
「心配するな。監視の奴にも協力してもらってる」
そう言い、さらに奥へと誘導した。
「これに乗るぞ」と案内されたのは、貨物用エレベーターだった。幅、高さともに約1メートルの鉄板でできた荷物の運搬用に使用されるものだ。明らかに人が乗るために作られたものではなかったが、なんの躊躇いもなくモーゼズが、横向きになってその中に潜り込んだ。それを見て、うまいこと入るもんだなと関心しつつも失笑して眺めていると
「早く乗れ。閉まるぞ」
モーゼズが促した。
「!?」
オレは降りてきたスライド式扉を見て、慌てて自分も乗り込んだ。
「……」
「……」
狭いケージの中でオレ達は、パズルのピースみたいに嵌め込まれたような形で折り重なっていた。モーゼズの太股の上にオレの頭がきて、互いに足の裏は壁の側面に張り付いた状態だった。
こんな移動の仕方ってありか……?
六辺が鉄板の閉塞空間の闇に閉じ込められて、オレは胸中で悪態をついた。密着した体が窮屈で、しゃべるのも苦しかった。作動音と鉄板を通じて伝わってくる振動も不快だった。時間感覚も麻痺してしまいそうな闇と静寂に満ちていた。オレは仕方なくそれに辛抱する。
――ふいに間延びしたような音が止んだ。ガタンという音がして、停止したらしき振動が伝わってくる。
「着いたぞ。頭から落ちないようにな」
「……?」
モーゼズに言われてオレは背後の扉を意識したが……
「っ!?」
遅かった。キンという鐘の音が鳴ると同時にスライド式扉が上がる。
「受け身をとれ」
「無理だって……!」
オレはケージから落下した。幸い絨毯の上だったが、ものすごく不格好な形で頽れていた。その後から降りてきたモーゼズは、慌てることもなく余裕をかましていた。
「だから言ったのに」
と英語で言う。
「痛ぇ……」
オレは打った肩や腰を押さえ、悪態を付きながら立ち上がった。不満の眼でモーゼズを睨むと、奴は掌を天井に向けておどけてみせた。
オレは溜息しながら視線を室内に向けた。応接室のようだった。ガラステーブルとソファーが置かれている。その奥に人影があった。こちらに背を向けて、肘掛け付きの豪奢な椅子に腰掛けている。
男か?
しかし、それだけでは誰なのか判別することは難しかった。
その人影がおもむろに椅子を回転させて、こちらを向いた。縁なし眼鏡をかけ、ワイシャツにズボンという軽装の男性が悠然とそこに凭れていた。
「ようこそ、遠山響くん」
その声には、嘲笑が込められているような嫌らしさがあった。
「何故あなたが……」
驚愕するオレをその男性――相楽俊希は値踏みするような眼差しで眺めた。相楽臣の父親である。彼は顎を摘んでしたり顔の笑みを浮かべた。
「ふふ、君がここに来ることをずっと心待ちにしていた。これまで随分迂遠なことをして君との接触を計ってきたが、ようやくここまで辿り着いてくれて嬉しいよ」
相楽氏は愉快気だが、陰湿な光を灯した眼差しで言った。
オレは得体の知れない存在に対する畏怖を込めて問い返す。
「あなたはいったい何者なんだ!?」
「私はたんなる学者にすぎない。人類の可能性について飽くなき研究を続けている」
相楽氏は動揺を見せなかった。顔に張り付いたような、どす黒い笑みが不気味に光る。
「君は零号士になるためにここへ連れてこられた。今からその手続きをしてもらおう」
相楽氏はオレをテーブルに案内した。引き出しから取り出した用紙をその上に置く。オレは渡されたペンで記入に取り掛かった。その間モーゼズはドアの前に立ち、それを傍観していた。
記入を終えた用紙を渡すと相楽氏はその用紙を怪しげな装置に乗せて、上から挟み込むように蓋を閉めた。
数分と経たないうちに電子音が鳴った。相楽氏が装置を操作して、今し方そこにセットした用紙を取り出す。それをオレの所へ持って来た。
「?」
オレは瞠目した。書面にいつの間にか証印が押されていたのだ。唖然として窺うように相楽氏を見やると、彼は自信たっぷりな様子でニヤリとした。
「これで君は、今日から“零号士”だ」




