第二十七章:闇取引<ブラック・ルート>
次回こそ話の節目を付けたいと思っております。(できるのかワタシ…) そしたら残りがようやく1、2、「3話!」ぐらいになります。がんばりますので、最後までお付き合いくださいませ(切実)
銀色の特殊合金の輪を無防備に晒すモーゼズは――
笑っていた。宝石さながらの碧眼がオレを挑発し、探求心を煽る。そこに何が記されているのかは知っていた。だが、触れて確かめずにはいられなくなる。「見てもいいんだぜ」モーゼズの目がそう語っているようだった。そしてその輪に触れようとオレの手が伸びた。
が、それでもモーゼズの顔から笑みは消えなかった。手を引っ込めようともしない。崩さないその余裕に満ちた姿勢にオレは、追い詰められたのは自分のような気がしてきた。
「どうした。オレが噛み付くとでも思ったか?」
「……」
それが罠のように思えてくる。
するとモーゼズは自ら輪を外した。それをオレに差し出す。受け取ったオレはまず表から一周見回し、次に内側を覗いた。すると
“not Mars”
やはりそう刻まれていた。
それを政府に反発する意思表示だと捕らえられなくもない。
しかし趣味の範囲内であれば、そのように刻むことも犯罪にはならない。
だが、それはやはり象徴なのかもしれない。
「何か見付かったか?」
瞳に悪戯な色を浮かべてモーゼズが問いかけてきた。オレの反応を窺うように腕組みしながら見詰める。オレは一瞬間を置いてからブレスレットの内側に刻まれた文字のことを指摘した。
「他には?」
しかし怯むどころか、さらに追及してくるモーゼズにオレはすぐに
「何もなかった」とは答えられなかった。
犯人探しをしたいわけじゃなかったが、騙されているようなこの釈然としない疑惑を解明するまでは後に引けない――そう苦悶していると
「ふっ……」
モーゼズが小さく鼻で笑った。それはいつもとどこか違っていた。彼の碧眼がまるで静謐な世の蒼穹のように澄み渡り、どこまでも安らかに見える。憂いの入り混じったその蒼穹は初めて見る色だった。
「オレが死んだら、それを分解して中身を宇宙にばら撒いてくれ」
「!?」
彼の瞳の色が暗示していた通りの言葉にオレは愕然とした。細部までくまなく調べていた腕輪から目を離し、さっと顔を上げて彼を見る。するとそこにあったのは、策略を謀る人間の危険因子ではなく、穏やかな潮騒に似た笑みだった。揺るぎないその決意は、彼を凶暴にさせるのではなく
泰然自若にしたのだ。神々しささえ感じられる。
彼の口が動いた。
「知ってるだろ。“それ”の役目は」
「……」
オレの脳裏にその意味が浮かんだ。その腕輪が持っているアクセサリーとしてではない“別の意味”が……
「その中にモーゼズ・メルヴィルという、“火星コロニー居住権”を持つ人間のIDを記録したICチップが入っている」
抑揚のない声でモーゼズが言った。オレは驚愕に目を見開き、性急に問いを投げかけた。
「どういうことだ。お前はNO ID’sじゃなかったのか!?」
何故こんなにも困惑させるのかと、眉を潜めてオレはとがめるように彼の顔を見据えた。すると動じることなく微笑で返された。
「その中に入っているのは架空の人間のIDだ」
「架空の?……じゃあお前は誰なんだ?」
「モーゼズ・メルヴィルだ。――“NO ID’s”の」
「?」
それは……
目で問いかけるオレに、モーゼズはいつもの悪戯な微笑で回答した。
「オレ達は権利を“買った”。命を担保に、この排他的な人間階層の格差社会を改革すべく使徒として――革命を起こすため」
彼の瞳が強い輝きを放つ。同志や家族、かけがえのない人々の希望を背負った人間とは、こんな目をしているのだろうか。希望や絶望、慈悲や憎悪、その他さまざまな人々の念がそこに集結し、語りかけてくるようだった。彼はそれらを背負い、決して怯むことなくコロニー政府という巨大な敵に立ち向かおうとしている。
これを――“正義”と言うのか。
これを――“悪”と言うのか。
それとも……
これが呉羽管理部長の言っていた
『この社会は善と悪、単純にそれだけではない』
ということなんだろうか。
だとしても、オレはどうしたらいい?
オレは――
誰の味方をすればいい?
オレは複雑に絡まった疑惑の糸をほどくために、まず一つの問いを投げかけた。
「そのICチップはどうやって手に入れた?」
モーゼズの口が開き、回答が紡がれる。
「仮設地区に闇仲買人が売りにきたんだ。死んだ零号士のICチップをやるからそれを使ってコロニーに入り、零号士になって改革の手助けをしろと」
「闇仲買人はコロニー側の人間か?」
その問いにモーゼズは軽く首を捻る。
「だろうな。売りさばいた後は必ず、仮設地区から姿を消している」
やはり闇組織は存在している。
では、いったい“誰”が――
「その闇仲買人は男か?」
女か――その語尾をオレは声に出さずに呟いた。
ある人物の顔が脳裏に過ぎり、オレの中に緊張が生じた。モーゼズの口がそれを解き明かす瞬間までオレは耳を研ぎ澄まし、固唾を呑んで身構える。
「怪しげな黒装束を着用していて性別は不明だが、多分男だろう」
“彼女”である可能性は皆無ではない、ということか……
脳裏に浮かんだその女性とは、あの“メヒョウ”だった。
「ブローカーが現れるのは物資が配給される時だ。それを行う人間の中に紛れ込んでいる可能性が高い。その中には女もいるかもしれないが……単独で疎外地の人間と直接交渉できるような奴だ。女だとしたら、相当勇敢な奴だな」
勇敢な女か。
彼女がどんな戦女神かは分からないが、自ら赴くとは考えにくいようだ。やはり駒を動かす采配者として、影に君臨していると考えるほうが賢明かもしれない。
「そのようにして買ったIDの持ち主の記録を書き替えてコロニーに入ったのか?」
「そういうことだ」
モーゼズは躊躇わずにそれを認めたが、オレは腑に落ちない表情をした。
「だが何故、死亡者の家族や知人に気付かれなかったんだ。死亡後に記憶媒体は回収されるはずだろ?」
零号士にとってブレスレット、指輪、ネックレスなどいずれも数字の“0”をモチーフにした形状が輪のアクセサリーは、持ち主の遺品もしくは勲章ともなる貴重なものだ。それをどうやって手に入れたのか疑問を感じた。
モーゼズの口が軽く開き、それからまた閉じて口角だけ上がった。同時に細められた目からは憂いに似たような色が滲む。
「どうやって手に入れたんだろうな、オレにも分からない。考えられるとしたら、それも売りさばかれてしまったか、それか回収できなかったことにされたかだろう」
「……」
どんなやり取りが行われたのかは知らないが、死んでしまった持ち主はそれで浮かばれるのだろうか。やりきれない悲痛な思いが押し寄せて、胸を強く締め付けた。
「このブレスレットのICチップはもうオレの身分証明記録に書き替えられてしまったが、持ち主だった零号士の分も合わせて供養してあげなきゃな」
モーゼズはそう言って顔には不敵な笑みを浮かべるが、オレにはどうしてもそれが哀しく見えてしまった。
笑っているのに心が泣いているような、そんな気がして……
「響?」
いや、哀しみに泣いているのはオレだった。
誰が悪いのか
何が悪いのか
何が最善なのか
彼等に何をしてあげればいいのか……分からず、混乱していた。
心の泉に流れ落ちた滴は波紋を広げ、やがて形となって瞼から溢れ頬を伝った。
「……お前達が起こそうとしている革命とは、どんな形で行使するつもりなんだ?」
それによってオレ達は敵対せざるを得なくなる。
オレは涙で熱くなった眼でモーゼズを凝視した。
モーゼズは軽く見開いた碧眼でオレを直視すると、そのまま一時の沈黙に落ちた。それは言うか言わないかをためらう間ではなく、大事なことを告げる前の間に思えた。
やがて目に入れていた力を緩め、彼は言葉を紡いだ。そこへさらに悪戯な微笑が添えられる。
「そうだな、それは“本番”までのお楽しみということにしておいてくれ」
「本番?……」
蒼穹のように澄み切ったその笑顔は、これから反乱を起こそうとしている人間のものとは思えなかった。純粋に希望を膨らませる活気に満ちた青年の瞳としか思えないほど輝いていた。
「お前達は創立記念祭で……反乱を起こすつもりなのか?」
途中言葉を詰まらせながらオレは質問を投げかけた。その後見せたモーゼズの表情はオレを困惑させる。彼は演技が上手いせいか、表情を変えたのかどうかが全く分からなかった。
「くく……」
するとオレにはお馴染みとなったいつもの忍び笑いが、モーゼズの口から漏れた。それから何も言わずにモーゼズは頭を振って笑い始めた。
「答えろ! お前は以前、創立記念祭で何か仕掛けを用意していると言ったよな、あれは反乱のことじゃないのか?」
真剣に問うオレを
「落ち着け」と手で制し、笑いも治まらぬままモーゼズが言った。
「まぁまぁ、そんなに慌てるな。――言っただろ? “楽しみにしておけ”と。じゃないと衝撃的にならないからな」
「……」
愉快げに話すモーゼズをオレは冷たい目で見据えた。
「それより先に、お前が知りたがっていたことを教えてやろうか?」
「……?」
不意を突かれたようにオレは沈黙した。モーゼズはその反応を窺うように、観察するような視線をオレに向ける。
「オレがお前に近付いた本当の理由を教えてやる」
「何故なんだ?……」
性急なオレの問いかけにモーゼズはすぐに答えようとせず、含ませるような間を空けてニヤリとしてから言った。
「お前を地球に連れ出すためだ」




