知識的自由と身体的自由と
外に出ると、世界は驚くほど狭かった。
歩ける範囲も、行っていい場所も、やっていいことも、
ほとんど決まっている。
公園の入り口には注意書きが並んでいる。
ボール遊び禁止。
大声禁止。
危険行為禁止。
何が許されているのかより、
何が禁止されているのかの方が、ずっとよく分かる。
足元の砂は、踏んでもいいのか一瞬迷うくらいに整っていた。
誰もいない。
遊具は揃っているのに、
遊び方だけが失われているみたいだった。
ポケットの中でスマホが重い。
取り出して画面を開くと、そこには別の世界がある。
知らない国の街並み。
見たこともない料理。
会ったこともない人たちの生活。
指でなぞるだけで、どこまでも行ける。
山にも、海にも、空の上にだって行ける。
危険な場所ほど、鮮明に見える。
本当なら簡単には行けない場所ほど、簡単に辿り着ける。
知ることだけなら、何の制限もなかった。
むしろ、知ることだけが無限に許されていた。
画面を閉じる。
目の前には、同じ公園がある。
行けるのは、この中だけ。
触れられるのも、この範囲だけ。
さっきまで見ていた世界が、嘘みたいに遠い。
ほんの数センチのガラスを挟んだだけで、ここまで違う。
思い出す。
昔は、逆だった気がする。
知らないことだらけだった。
遠くのことは何も分からなかった。
でも、体はどこまでも動いた。
知らない道に入って、怒られて、戻ってきて。
川に近づいて、危ないって止められて。
それでも少しだけ触ってみたりして。
全部、自分の足で確かめていた。
世界は狭かったのに、自由だった。
今は違う。
世界は広がったのに、動ける範囲は小さくなった。
知っていることは増えたのに、触れられるものは減った。
何が危ないかは全部知っている。
何がダメかも、全部分かっている。
だから、やらない。
やる前に止まる。
止まることが、正しいから。
ベンチに座る。
頭の中には、たくさんの景色がある。
砂漠も、雪山も、海の底も、ちゃんと知っている。
でも、手のひらには何も残っていない。
砂の感触も、水の冷たさも、風の強さも、全部ぼやけている。
知識は増えたはずなのに、記憶は薄くなっていく。
それが少しだけ怖かった。
遠くで、自転車のブレーキ音がした。
一瞬だけ、子供の声が聞こえた気がして顔を上げる。
でも、すぐに静かになる。
その音も、どこかへ消えていく。
ポケットの中のスマホが、また震える。
新しい情報が届いている。
新しい世界が、また一つ増えている。
それを見れば、もっと知れる。
もっと広がる。
でも、その分だけ、ここは変わらない。
ここは、ずっと同じ広さのままだ。
立ち上がって、公園の端まで歩く。
それ以上は、なんとなく行ってはいけない気がして止まる。
理由は分からない。
でも、分かっている気がする。
戻る。
ベンチに座り直す。
結局、ここにいる。
どこへでも行けるはずなのに、どこにも行っていない。
自由になったはずなのに、何もしていない。
ふと、思う。
この世界は、本当に広がったのだろうか。
それとも。
広がったのは、頭の中だけで。
体は、少しずつ、
小さな箱の中に収まっていっているだけなのかもしれない。
風が吹く。
何もない公園の中で、その音だけがはっきりと残る。
その音は、どこにも行けないまま、
ここに留まっているように聞こえた。




