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TOKYO PMC  作者: ヒロセカズヒ
ニューロン
9/11

異変

 三日目の朝、病院に着くと担当者の様子が違った。


 正面玄関で会った瞬間にグラスが表情データを表示した。発汗、視線の揺れ、声の緊張。昨日までとは別の数値だった。


「おはようございます」と俺は言った。


「ああ、佐藤さん」と担当者は言った。「今日もよろしくお願いします」


 声が上ずっていた。


 俺はグラスのフレームに触れた。何かあった。


---


 午前中、サーバー室でニコールと作業を続けた。


 電力線経由の転送ログの追跡は続いていた。IAISから昨日の照会結果が来ていた。転送先の中継サーバーの一つがアメリカの企業名義だった。ニコールが「インフェクターの系列です」と言った。


「確定ですか」と俺は聞いた。


「状況証拠です」とニコールは言った。「ただし、ここまで一致すれば動けます」


 俺は頷いた。


 ただし担当者の表情が気になっていた。


---


 昼前、廊下で担当者とすれ違った。


「少し時間をもらえますか」と俺は言った。


「今日は少し立て込んでいまして」と担当者は言った。「明日ではだめですか」


「明日でも構いません」と俺は言った。「ただし、何か問題が起きていれば教えてもらえると助かります。私たちの調査に関係する可能性があります」


 担当者が俺を見た。グラスが葛藤のデータを表示した。


「何もないですよ」と担当者は言った。「本当に立て込んでいるだけです」


 俺は引かなかった。


「昨日と表情が変わっています」と俺は言った。「何かを抱えているように見えます」


 担当者が少し止まった。


「……少し待ってください」


---


 小さな会議室に入った。


 担当者が椅子に座った。俺も座った。


「昨日の夕方」と担当者は言った。「治験の患者に関して、主治医から報告が上がりました」


「水無瀬さんですか」


「そうです」と担当者は言った。「検査で脳の活動に変化が出ました。視覚野の周辺に新しいニューロンの接続が確認されています。通常の視覚習得のプロセスとは少し違う」


「どう違うんですか」


「詳しくは私には分からないのですが」と担当者は言った。「主治医が言うには、デバイスが処理している信号の一部を、脳が直接認識し始めているようだと」


 俺はグラスのフレームに触れた。


「デバイスの信号を脳が直接」


「はい。通常はデバイスが変換して視覚情報として渡すんですが——変換前の信号そのものに脳が反応しているように見えると。主治医も見たことがない変化だと言っています」


「それで経産省に連絡しましたか」


 担当者の表情が変わった。


「なぜ分かるんですか」


「推測です」と俺は言った。「デバイスの管理権限は経産省にある。異変が起きれば報告義務があるはずです」


「……昨日の夕方、連絡しました」と担当者は言った。「ただし、経産省の担当者の反応が」


「どうでしたか」


「驚いていなかった」と担当者は言った。声が少し低くなった。「想定内だと言いたそうな反応でした。それが気になって」


 俺は何も言わなかった。


「私たちは治験の場所を提供しているだけです。でも患者は人間です。何かあれば私たちにも責任があります」と担当者は言った。「佐藤さん、あなたたちは何を調べているんですか。本当のところを」


 俺は少し間を置いた。


「言える範囲で言います」と俺は言った。「病院のシステムへの不正アクセスを調べています。その中に、デバイスに関係する動きがある可能性があります。今日教えてもらったことは、調査に役立ちます」


「水無瀬さんは安全ですか」


「分かりません」と俺は言った。「ただし、把握しておきます」


 担当者が頷いた。安心したわけではなかった。それでも話した。


---


 サーバー室に戻ってニコールに伝えた。


「脳がLTE-Mの信号を直接認識し始めている」とニコールは言った。少し間があった。「それは」


「聞いたことがない話です」と俺は言った。「ただし、経産省は驚いていなかった」


「想定内だったとすれば、最初からそういう設計だった可能性があります」とニコールは言った。「デバイスが芙由さんの脳を変えることを、経産省は知っていた」


「仕込みか、それとも研究目的か」


「どちらにしても」とニコールは言った。「本人の同意があったかどうかが問題になります」


 俺はグラスで午前中の記録を確認した。


 水無瀬の姿が記録されていた。自動販売機の前で指をパネルにあてている。


 脳が直接、デバイスの信号を読み始めている。


 本人は気づいているのか。


---


 夕方、外来棟の廊下で水無瀬を見かけた。


 今日は椅子に座っていなかった。廊下の窓際に立って、外を向いていた。


 いつもと少し違った。


 視線の向きが変わっていた。焦点が定まらない、というより——何かを探すように動いていた。


 俺は近づかなかった。


 グラスがデバイスの電波を捉えた。


 LTE-Mの信号が出ていた。今日は昨日より強かった。


---


 オフィスに戻る途中、スマホが鳴った。


 知らない番号だった。


 出た。


「佐藤さんですか」と声がした。「名刺をもらいましたね」


 男の声だった。低くて、ゆっくりしていた。


「どちらですか」と俺は言った。


「虎ノ門のコンビニの前で、アマギフを買おうとしてた男から、あんたの名刺を預かった者です」


 グラスが声紋の照合を始めた。


 データベースに一致なし。


「何の用ですか」と俺は言った。


「あんたが調べていることと、俺が知っていることが、たぶん重なっている」と男は言った。「会って話しませんか。急ぎじゃないです。ただし、早い方がいい」


 グラスが照合を続けていた。


 一致なし。


「場所と時間を言ってください」と俺は言った。



―― 第9話 了 ――

すみません。本日は朝の投稿を忘れました。遅くなりましたが投稿します。

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