二つの痕跡
国立医療センターとの契約は翌日に締結された。
情報セキュリティの調査委託。窓口は厚労省の担当者を通した。正式な書類が揃うのに半日かかった。渋谷が霞ヶ関を走り回っている間、俺とニコールは病院のシステム担当者と話をした。
担当者は40代の男性だった。疲れた顔をしていた。
「最初に気がついたのは二週間前です」と担当者は言った。「夜間のログに不審なアクセスがありました。外部からの照会です。ただし、院内のファイアウォールには引っかかっていない」
「ルーターを見せてもらえますか」と俺は言った。
---
サーバー室は地下一階にあった。
担当者が扉を開けた。冷却装置の音がした。ラックが並んでいた。
ニコールが先に入った。
俺はラックの前を順番に歩いた。グラスが機器を照合している。メーカー、型番、設置年月。病院の導入記録と照合する。
三番目のラックで止まった。
「これです」と俺は言った。
ルーターが一台、記録と型番が合わなかった。外見は同じだった。しかし製造番号が違う。
「いつ交換しましたか」と担当者に聞いた。
「交換した記録はありません」と担当者は言った。顔色が変わった。
ニコールが横に来た。俺の耳元で小さく言った。「インフェクターのやり口と一致します」
俺は頷いた。
「このルーターを経由してデータが外に出ています」と俺は言った。「電力線を使った転送です。夜間に少量ずつ。ファイアウォールを通らない経路です」
「電力線で」と担当者は言った。「そんなことが」
「電気が通っている線はデータの通り道にもなります」とニコールは言った。「物理的に取り外さないと止まりません」
「今すぐ外しますか」
「まだです」と俺は言った。「記録を取ります。どのデータが、いつ、どこに送られたか。それを確認してから外します」
担当者が頷いた。
---
調査は午後いっぱいかかった。
電力線経由の転送先は海外のサーバーだった。経路を追った。三回中継して、最終的にどこに届いているかは今日中には特定できなかった。
ただし、もう一つ出てきた。
「これは別の経路です」とニコールが言った。ログを指した。「電力線ではない。普通のインターネット経由です。時間帯が違う。手口も違う」
「同じ組織ではない」と俺は言った。
「そう見えます」
二つの侵入経路。一つは精密で組織的だった。もう一つは速くて無駄がなかった。
どちらが何者か、今日の段階では分からなかった。
俺はIAISへの照会リストを作り始めた。
---
夕方、外来棟の廊下を歩いていた。
昨日の少女がいた。
同じ場所ではなかった。廊下の窓際に座っていた。スマホを持っていた。画面を見ているようで、視線が定まっていない。耳のデバイスは今日もついていた。
グラスが少女のデバイスを照合した。
Bluetoothの反応があった。
スマホとデバイスが繋がっている——それは普通だった。しかし、別の電波の反応もあった。
微弱だ。
スマホとは別の機器から出ている。
一般的な携帯電話の電波帯だが、普通のスマホとは反応が違う。明らかにスマホとは別のものだった。
俺はグラスで再確認した。
少女の持ち物からではなく——少女の体に近い場所から出ていた。
俺は廊下の反対側に視線を移した。
不自然なことは何もなかった。患者、家族、スタッフ。普通の病院の夕方だった。
ただし数値は出ていた。
俺はデータを記録した。報告事項として保存した。今日の段階では、違和感として留めておくことにした。
---
渋谷への報告は電話で済ませた。
「偽装ルーターを確認しました。電力線経由の転送です」と俺は言った。「それとは別に、インターネット経由の侵入痕跡が一つあります。別の経路です」
「二つか」
「はい。経路の特定はIAISに照会します。転送先の最終地点はまだ出ていません」
「インフェクターの関与は」
「偽装ルーターはニコールが一致すると言っています。もう一つは不明です」
「報告は以上か」
「もう一点」と俺は言った。「院内に盲目の少女がいます。補助デバイスを装着しています。そのデバイス付近から、携帯電波らしい反応があります。現時点では違和感の記録に留めます」
渋谷が少し間を置いた。
「続けろ」
「以上です」
「分かった。明日も現地に入れ」
電話が切れた。
俺はグラスの記録を確認した。
少女のデバイス付近の電波データが残っていた。
一つのBluetoothの反応。もう一つの一般電話帯の不可解な電波。
何かがある。
ただし今日は分からなかった。
―― 第7話 了 ――




