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TOKYO PMC  作者: ヒロセカズヒ
ニューロン
6/9

自動販売機

 渋谷が椅子から立たずに言った。


「名刺を渡したのはなぜだ」


 虎ノ門のオフィスは、霞ヶ関まで徒歩十分のビルの一室だった。窓から首都高が見える。

 渋谷義明、元自衛隊情報部。この男はいつも椅子に座ったまま本質を突いてくる。

 元情報部らしい整理の行き届いた机。ただ、精密なプラモデルが一つ置いてあるのが唯一異質だ。

 そのプラモはザクだった。


「相手が動くと思いました」と俺は言った。


「説明しろ」


「相手は私の情報を掴みます」と俺は言った。「そこで動けば、足跡くらいは見えます。誰の指示で動いているか、どこに報告が上がるか」


 渋谷が俺を見た。グラスが表情データを表示した。評価中。


「リスクは分かっているな」


「評価済みです」


 渋谷が窓の外を見た。しばらく黙っていた。


「監視の男の歩行パターンは記録したか」


「しました」


「IAISに照会しろ」と渋谷は言った。「それと——」


 デスクのスマホが鳴った。


 渋谷が画面を見た。


「厚労省だ」と渋谷は言った。「出る」


---


 電話は十分で終わった。


「国立医療センターに行ってもらう」と渋谷は言った。「先方から協力要請が来た。院内のシステムに不審なアクセスの痕跡がある。ただし、院内のセキュリティでは特定できていない」


「インフェクターの仕掛けの可能性があります」


「そう判断している。ニコールも合流させる」と渋谷は言った。「今日の午後、現地確認だ。正式な契約は後から来る」


「承知しました」


「佐藤」


 俺は立ち止まった。


「名刺の件、悪くない判断だ」と渋谷は言った。「ただし次は先に言え」


 俺は頷いた。


---


 国立医療センターは、四ツ谷から歩いて十分だった。


 大きな病院だった。外来棟、入院棟、研究棟。グラスが建物の構造を表示した。敷地内のカメラの位置、出入口の数、人の流れ。


 ニコールと正面玄関で合流した。


「システムの担当者と話をします」とニコールは言った。「あなたは院内を見てきてください」


「何を」


「違和感があるものを」


 俺は院内に入った。


---


 外来棟の廊下は人が多かった。


 グラスが次々と照合する。患者、家族、医療スタッフ。該当なし、該当なし、該当なし。


 自動販売機のコーナーに来た。


 三台並んでいた。飲み物、軽食、日用品。


 少女がいた。


 15歳前後だった。制服ではなく、グレーのパーカー。自動販売機の前に立っていた。


 グラスが照合した。登録なし。


 俺は足を止めた。


 少女がお金を入れた。硬貨の音がした。


 しかし、ボタンを押す様子がなかった。


 指が動いていた。パネルの表面を、ゆっくりとなぞっている。点字を読むような動きだった。迷いがなかった。指が何かを確認している。


 視線が不自然だった。ボタンを見ているようで、見ていない。焦点が定まっていない。


 右耳に小さなデバイスがあった。補聴器のような形だが、少し違う。


 グラスが分析した。外部デバイス。音声出力型。病院の構内案内と連動している可能性がある。


 少女は自動販売機のパネルを指でなぞり続けた。ボタンの位置を、文字ではなく触覚で確認していた。


 俺は近づかなかった。


 少女の指が止まった。


 ボタンを押した。


 缶コーヒーが落ちた。


 少女が屈んで取った。立ち上がった時に、俺の方を向いた。


 目が合った。


 合ったと思った。しかし、少女の視線は俺の少し横を向いていた。


 少女が「すみません」と言った。声は落ち着いていた。「この自動販売機の横に、椅子はありますか」


「あります」と俺は言った。「右に二メートルほどです」


「ありがとうございます」


 少女が右に歩いた。椅子を手で確認して、座った。缶コーヒーを開けた。


 俺はその場に立っていた。


 グラスが少女の耳のデバイスを再分析した。


 病院のカメラ映像と外部マップを音声で変換して受信している——そういう仕様のデバイスだった。


 少女は視覚を補うためにそのデバイスを使っていた。


 しかし、さっき缶コーヒーを選ぶ時、少女の指は点字をなぞっていた。目ではなく、指で世界を読んでいた。


 デバイスが補助している。しかし、指の方が速かった。


 俺はしばらくその場に立っていた。



―― 第6話 了 ――

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