三日前
翌朝、病院に着いた。
外来棟の廊下を歩いていると、水無瀬が自動販売機の前にいた。いつもの場所だった。ただし今日は缶を取り出した後、その場に立ったままだった。
俺は近づいた。
「おはようございます」と俺は言った。
「あ」と水無瀬は言った。「足音の人ですね」
「そうです」
「名前、聞いてもいいですか」
「佐藤です」と俺は言った。「佐藤澄」
「水無瀬芙由です」と水無瀬は言った。「病院の調査をしている人ですよね」
「そうです」
水無瀬が缶コーヒーを少し持ち替えた。
「少し話してもいいですか」と水無瀬は言った。「変なことを言うかもしれませんが」
「聞きます」
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廊下の窓際の椅子に二人で座った。
水無瀬が窓の外を向いた。視線が外に向いていたが、焦点は定まっていなかった。
「最近、感覚が広がっている気がするんです」と水無瀬は言った。
「どんなふうに」
「うまく説明できないんですが」と水無瀬は言った。「デバイスが情報をくれるじゃないですか。カメラの映像を音に変換して。それが最近、変換される前に分かる気がして」
俺はグラスのフレームに触れた。
「変換される前というのは」
「データのまま、という感じです」と水無瀬は言った。「前はデバイスが言葉に直してくれないと分からなかった。でも最近は——言葉になる前に、何かが分かる。形とか、距離とか」
俺は何も言わなかった。
「おかしいですよね」と水無瀬は言った。
「おかしくないです」と俺は言った。「ただし、主治医に話しましたか」
「昨日話しました。すごく驚いていました。いろいろ検査をするって」
「そうですか」
「佐藤さんは驚かないんですね」と水無瀬は言った。
「驚いています」と俺は言った。「ただし表情に出にくいと言われます」
水無瀬が少し笑った。声で分かった。
「なんか、信用できる感じがします」と水無瀬は言った。「足音で分かるんです。急いでいない人は大体信用できます」
俺は少し間を置いた。
「一つ聞いていいですか」と俺は言った。「デバイスのことで、経産省の人と話したことがありますか」
「あります」と水無瀬は言った。「最初に説明を受けました。治験の内容とか、データを研究に使うこととか」
「デバイスに通信機能があるという説明は」
「なかったです」と水無瀬は言った。少し間があった。「あるんですか」
「調査中です」と俺は言った。「確認が取れたら話します」
「分かりました」と水無瀬は言った。「正直に言ってくれる人の方が好きです」
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午後、スマホが鳴った。
ケンだった。
「場所を変えましょう」とケンは言った。「今度は銭湯です。古い銭湯です。浅草にある」
「いいですよ」
「一人で来てください。FBI女は連れてこないで」
「分かりました」
夕方、浅草の銭湯に行った。
古い建物だった。暖簾が出ていた。番台におばちゃんがいた。
「いらっしゃい」とおばちゃんは言った。「ケンさんに聞いてきた人ね。こっちへどうぞ」
個室サウナの控室に案内された。
ケンはいなかった。
テーブルに封筒が置いてあった。
中にUSBメモリが入っていた。メモが一枚あった。
「俺が病院から取ったデータだ。全部入っている。水無瀬芙由のデータだ。アメリカの奴らに渡るより、あんたに持っていてほしい」
それだけだった。
俺は封筒をポケットに入れた。
番台のおばちゃんが三ツ矢サイダーを持ってきた。
「ケンさんからです」とおばちゃんは言った。
俺は受け取った。一口飲んだ。
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オフィスに戻ると、ニコールが難しい顔をしていた。
「経産省から連絡が来ました」とニコールは言った。「デバイスの治験を一時停止したいと言っています」
「理由は」
「安全確認のためと言っています」とニコールは言った。「ただし——」
「タイミングが変です」と俺は言った。
「そうです」とニコールは言った。「アスクレピオスが東京湾に入る三日前に、治験を止める。データへのアクセスを整理したい理由があるとすれば」
「インフェクターに渡す前に、自分たちで確保したい」
「あるいは、渡さないための条件を作りたい」とニコールは言った。「外交カードとして使うなら、データは自分たちの手元にある方がいい」
渋谷がザクを見た。長い間見ていた。
「水無瀬さんの安全は」と俺は言った。
「治験停止で病院から出ることになれば、保護が必要になります」とニコールは言った。
「ケンも同じことを考えているはずです」と俺は言った。USBメモリがポケットの中にあった。
「作戦会議が必要です」と渋谷は言った。「明日の朝、横田で。ニコール、桐島にも声をかけてください」
「桐島まで」とニコールは言った。
「追っている方向は同じかもしれない、と言っていた人間です」と渋谷は言った。「使えます」
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夜、オフィスを出た。
スマホにケンから短いメッセージが来ていた。
「データ受け取ったか」
「受け取りました」と返した。
「あの子のこと、頼むわ」
俺はしばらくスマホを見ていた。
「分かりました」と返した。
夜の虎ノ門だった。首都高の灯りが見えた。
三日後、東京湾にアスクレピオスが入る。
―― 第12話 了 ――




