第二話「ひとりでは創れない音」-2-
朝一の授業は、昨日の六時間目に続き、国語の授業だった。
授業は後半に差し掛かり、そろそろ誰かが先生に当てられるだろう、という空気が教室中に漂っていた。次に当てられる高梁星輝の、机に伏して眠る姿を見ながら。
昨日、瑞季はスレイヴと戦った直後、彼女と出くわしてしまっていた。高梁星輝は目立つため、気がつけば彼女に視線が向いてしまうことは珍しくなかったが、この日はいつも以上に彼女を気にしてしまう。
まさか、戦ってたところとか見られてないよね……?
「昨日は染谷まで当てたから、今日は高梁からだな」
案の定の展開だが、高梁星輝だけはこうなることを予想してなかったらしい。
「高梁、起きろ」
一瞬の沈黙の後に顔を上げた。
「へ? ……ふああ、なんか呼んだ?」
「最前列でいい度胸してるなあ高梁」
「へへっ、あざっす」
こいつには何を言っても無駄だな、と先生の顔に書いてあるが、そこに侮辱や失望の色はなく、むしろ可愛がっている色が見えた。
「ごめんて、先生。ライブ前でいろいろ考えごとあって」
「おまえの成績と授業態度次第では、そちらを禁止することも検討しなければならないな」
「そ、それだけはおやめを! なんでもしますから!」
「では、真面目に勉強をしてくれ」
「はめられた!」
クラスのひとりひとりが漏らした笑い声が重なると、どっ、と歓声に変わる。
「で、なんのクイズでしたっけ」
「いろいろ指摘したいところはあるが、まず敬語を使いなさい」
「ええー」
「おまえと私は友達か?」
「うん。ズッ友」
「次、月音」
小池先生は表情筋を一ミリも動かさずに、高梁星輝との意思疎通を諦めた。
「はい、枕草子です」
月音優菜の声は清流のように落ち着いていた。和やかな教室に、さっきとはまた違う癒しが漂う。女子としては背が高く、姿勢も美しいため、教室の後ろから見るとよく目立っていた。
「正解だ」
「枕草子……あ!」
高梁星輝が勢いよく振り返って目を輝かせた。
「それ、歌で聞いたことある!」
「歌詞でも引用されてそうだね」
「春はあけぼの よくよく見たら 去りゆく生え際」
「何の歌なの」
授業そっちのけの高梁星輝の背中へ、先生はわざとらしく咳払いをする。
「高梁よ。二点、お前に伝えなければならないことがある。ひとつは、歌うんぬんの前に、今しがた枕草子の解説をしたこと」
小池先生は、教科書を読むときと変わらぬ無表情ではあったが、普段より声色を下げていた。
「そうだっけ。すまんすまん。もうひとつは?」
「先生の前で髪の話をするな」
一時間目が終わると、教室がぼんやりとしたざわめきに満たされた。ちらほらと昨日の騒ぎの話題が聞こえてくる。ほとんどの生徒は部活動中だったため、巨大な怪物を直接見た人はほとんどいないようだ。
瑞季は周囲を窺い、バッグからコンパクトミラーを取り出す。
慎重にミラーを開くと、下部の鏡面に小さな猫の背中が映っていた。
道具に変化して学校についてくる相棒。魔法少女ものの鉄板だ。グッズ展開もしやすいに違いない。
この手の相棒は「お腹すいた!」などと喚いて主人公を困らせるのがお約束だが、ヒナは聞き分けがいいらしく、今のところ平穏だった。
そういえば、ヒナってごはんどうするんだろう、と思ったとき。
「染谷さん」
声をかけられた。
「……は! ハイィ!」
声が裏返った。コンパクトミラーを畳み、慌ててブレザーのポケットに入れる。
「いいかな」
瑞季の前にいたのは、月音優菜と高梁星輝。
才色兼備で誰にでも優しい、生徒会の月音さん。
クラスのムードメーカーで、バンドのボーカルも務める高梁さん。
クラスの光そのもののようなふたり。
対する自分は、去年同じクラスだった子にさえフルネームを覚えられていない、隅っこの陰だ。
「え、あ、は、ハイ、ななななんでしょう」
瑞季にとって、ふたりは高嶺の花だった。去年は別のクラスだったし、新年度を迎えてまだ間もないため、まともに話したこともない。
そんなふたりが、瑞季に話しかける理由はもちろん——。
「昨日の騒動のときさ」
「ご、ごめん! ちょっとトイレ!」
瑞季は全力で逃げた。
「……死ぬほど膀胱狭い人だと思われたかもしれない」
洋式便器に腰掛け、瑞季は真っ白に燃え尽きていた。
「あのふたりを、誘ってみてはどうニャ」
ブレザーの右ポケットからヒナのくぐもった声が聞こえた。
「え? 月音さんと高梁さんを? ——って、なんでいるの! ここ女子トイレ! 各部屋につき同時に入っていい生命体はひとつだけ! ミジンコですら許されないんだよ!」
声を押し殺して叫ぶ。直接断罪してやろうかとも思ったが、この姿を見られるのが恥ずかしかったのでやめた。
そんな、血が沸騰している瑞季とは違い、ヒナはいたって冷静だった。
「なんで、って、おぬしがぼくを持ってきたんだニャ。被害者はぼくニャ」
「すみませんでした」
正論すぎて言い返せなかった。
逃げてきたことも恥ずかしいし、逃げてきた先でも情けなくて恥ずかしかった。瑞季の額と耳は真っ赤に染まっている。
「で、何を慌ててるんだニャ?」
「慌てるに決まってるでしょ……。昨日のこと、あのふたりに見られてたかもしれないんだよ? デシリアのことは、絶対にばれちゃいけないんだから」
「なんでニャ?」
ヒナは以前「ぼくのことは誰にも言わないように」と言っていた。それは彼自身が悪者に追われているからであり、自身のことを知る者は最小限にしたいと思っていたからだ。デシリアについて、秘密にしなければならないとは言っていない。
そんなヒナに、瑞季は熱を込めて訴える。
「ヒーローものの鉄則だよ!」
一瞬、困惑の沈黙があった。
「……ニャ?」
「変身ヒーローは絶対に正体がバレちゃいけないの! バレるとしても、それは物語後半の最高にアツい展開じゃなきゃ! これ鉄則! テストに出るよ!」
「なんのテストニャ」
どうしよ、どうしよ、と喚いてる瑞季へ、ヒナは繰り返し伝えた。
「だから、あのふたりを仲間にすればいいニャ」
瑞季は言われて気づいた。
魔法少女の鉄則には例外がある。それは「近々仲間になる相手であれば、物語序盤で正体を明かしてもいい」というものだ。それすらも許されないなら、仲間を増やすことは容易ではないだろう。脚本家が可哀そうすぎる。
「確かに、それなら鉄の掟を守れるけど……。こういうのって大体初期の仲間は第一話にちらっと出てくるのがお約束だけど、あのふたりなら一応出てきてるし」
「第一話?」
「これが物語だったら、って話ね」
相手は、瑞季にとって憧れの人だ。
コミュ障には荷が重い。
瑞季は早口で捲し立てる。
「あのふたりは、別次元の存在なの。アイドルなの。私は、あのふたりが一緒にいるのを眺める壁であり、楽しそうにキャッキャッしてるのを見て口角が天井に刺さって尊いの過剰摂取で床になる俺くんにすぎないの。分かる?」
「途中から知らない言語になって理解できなかったニャ」




