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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第二話「ひとりでは創れない音」

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第二話「ひとりでは創れない音」-1-

 風呂上がりの火照った身体に、冷たい牛乳を流し込む。タオルで髪を拭きながら冷凍庫を開け、スティックアイスを咥えた。

 母と二、三言交わし、「おやすみ」と見送る。リビングのソファに腰掛けテレビを消すと、家の中は冷蔵庫の低い唸りだけが響いた。

 この静けさは、二階の自室に得体の知れない生き物がいることを忘れさせる。

 染谷瑞季そめやみずきは帰宅後、すぐにベッドに落ちた。夕御飯の時間に目を覚まし、ヒナに「ごめん、お風呂上がったら戻るわ。それから話聞かせて」と言って、日常に戻っていた。

「暑い……」

 いつもより入浴時間が長くなったらしい。

 咥えていたアイスがすべて溶けてなくなると、ふやけた木の味が舌に残った。

「そろそろ、行こうか」

 頬を両手でパンパンと叩き、瑞季は立ち上がる。自室に戻るだけなのに、緊張してしまう。

 電気をつけずに階段を登る。その途中で、部屋の電気を切って降りてきていたことを思い出した。ヒナがいるので、つけっぱなしのほうが親切だったかもしれない。

 部屋の前に立つ。電気はつけられていなかった。夜目が利くのだろうか。

 戸を開けて電気をつける。閉められたカーテンのそばで猫のぬいぐるみが浮いていた。こちらにおなかに向け、カーテンレールに背中を擦り付けながら上下している。

「何してるの?」

「見て分からないかニャ? 背中を掻いてるんだニャ」

「だいたい分かるけど」

「この身体は気に入っているけど、なにぶん手足が短いニャ。だからこうして痒いところを掻いてるニャ」

「ふーん。……ってか、飛べるの?」

 カーテンレールは瑞季の頭よりも高い位置にある。それで背中を掻くのは、地に足をつけていないと動けない生物には不可能だ。

「何を言ってるんだニャ? 空のくにの精霊なんだから当然ニャ」

「知らんがな」

 言われてみれば、空を飛べることで納得の行く部分は多かった。道端で急に声をかけてきたことも、ぬいぐるみが普通に歩いて瑞季を捜していたと考えるより、空からやってきたと考えるほうが自然だろう。

「そういえば戦っているときも飛んでたね」

 ヒナは満足げに尻尾を揺らし、カーテンレールから離れ、ベッドに降りる。

「なあ、瑞季」

「なに?」

「学校でのおぬしは、どんな感じなんだニャ?」

 瑞季はヒナから目を逸らしていた。

「どんな感じって、……今と変わらないけど」

「正義感の強いおぬしのことだから、みんなを主導したり間違いを正す立ち位置にいるのかニャ?」

「そんな勇気ないよ」

 言ってから、「しまった」と思う。勇気や地位さえあればそうしたがっているというふうに取られるかもしれない。あるいは、見過ごしたくない間違いがあることを悟られたかもしれない。

「そうかニャ」

 ヒナの口ぶりからは、何も読み取れなかった。

 瑞季は勉強机の椅子を引き、背もたれに右手を引っかけて座る。

「ただの、クラスの隅っこにいる陰キャだよ」

「いんきゃ……? どういう意味だニャ、それ」

「説明したくない。それより、なんで言葉が通じるの? 異世界から来たんでしょ?」

「都合のいいシステムでもあると思ったかニャ? 残念、地道な勉強の賜物ニャ」

「勉強したの!?」

「王族の嗜みとしてな。日本語も英語もペラペラだニャ。Do you understand? 」

「なんだろ、この敗北感」

 したり顔のヒナを見ていると腹が立ったので、瑞季は本題に入った。

「ところで、『デシリア』って?」

 ヒナはその質問をされるのを待っていたのだろう。頷き、ゆっくりと話し始めた。

「まず、『光の連邦』という五つの邦から成る連邦と、『無の邦』『闇の邦』という独立した邦があるニャ」

「ふむふむ。ヒナの故郷の『空のくに』っていうのは?」

「光の連邦のひとつだニャ」

「あー、だから連邦ってことか」

「そして、ここが『無の邦』ニャ」

 無の邦という言葉は、これまで何度か耳にしてきた。それがこの場所——すなわち地球を意味するのだろうと、彼女はふんわりと理解していた。

「デシリアが目覚めるためには、デシリル・ジェムとデシリル・アンプが必要で、ジェムは光の連邦のそれぞれの邦に、アンプは無の邦に隠されているニャ」

 専門用語が多くなってきて頭がこんがらがってきた。瑞季は、少しずつ整理しようと、机の上に置いてある宝石と板を指した。

「デシリル・ジェムとデシリル・アンプって、これだよね」

「いかにもニャ」

 直径五センチ近くもある宝石、デシリル・ジェムは、中学生の部屋にあるには異彩すぎるほど美しかった。昼間は輝いていたため白く見えたが、現在は透明に見える。

 デシリル・アンプは複雑な彫刻が成された、掌ほどの大きさの純白の板だった。触ると、石にしては軽く、プラスチックにしては重たい。歴史ある芸術品にも見えるし、子供のおもちゃと言われても違和感はなかった。

「デシリル・ジェムはデシリアの力の源ニャ。あまりに強大すぎる力を、小さな結晶に封じ込めてあって、強く圧縮しているが故に、決まった手段じゃないと取り出せないんだニャ」

「ZIPファイルの解凍みたいなものってことかな。つまり、その『決まった手段』というのが、デシリル・アンプ?」

「うむ。閉じ込めた微小な力を増幅させて、使えるようにするための道具がデシリル・アンプ。その力を使う戦士がデシリアというわけニャ」

 瑞季は昼間のことを思い出していた。驚くほど身体が軽くて、ちょっと跳ねただけで天高く跳んでしまった。体が重たくなるイメージをすればその通りになり、巨大なスレイヴを地に伏せさせた。

 ベッドに座っていたヒナが、宙へ浮かぶ。

「デシリアの力はあまりにも強いから、悪用されないためにデシリル・アンプをこちらに隠し、こちらへ移動するための扉を封じたと言われているニャ。その扉を開けるためには、五つすべてのデシリル・ジェムを集める必要があるんだ二ャ」

「もしそれが必要になるような緊急事態には、ヒナたちがいる光の連邦? にある五つの邦が合意して、ジェムを集めて、ここに渡れる、ってこと?」

「いかにもニャ」

 ヒナは勉強机の上に降り、瑞季を見上げた。

「闇の邦の組織ヘヴンは、デシリアの強大な力を手中に収め、全世界を征服しようとしているニャ」

 これまで、淡々と説明を続けていたヒナの声色が、ワントーン下がった。

「ぼくが無の邦に来た、たった十七日前まで、光の連邦は平和だったニャ。闇の邦との扉は五百年に壊されて閉ざされたままだったけど、突然、ヘヴンがスレイヴという兵器を連れて侵攻してきたニャ」

 昼間に戦った怪物を思い出す。紫がかった黒を基調とする化け物だ。外見はライダー戦士のようだったが、あれは素体になった男の子の気持ちが現れていたのだろう。その姿はおそらく、素体によって変化する。

「光の連邦の入り口は狭く、長いニャ。小さな扉からはひとりずつしか出入りができないように、多くの兵士が一斉に邦を渡ることは不可能ニャ。こちらには強力な魔法の力があるし、どう考えても、ぼくらが負ける道理はなかったニャ。——しかも、闇の邦からやってきたのは、たったの四人。近所にご飯を食べに来たみたいにふらっとやってきて、扉を囲むバリアを破壊し、次々と精霊をスレイヴをしてしまったニャ。それからは、あっという間だったニャ」

 スレイヴは人の悲しみや憎しみ、怒り——黒感情を増幅させて作られ、素体とされた者が衰弱するまで、際限なく暴れ続ける。身近な友達や家族がスレイヴにされてしまったら、そう簡単に攻撃もできない上、必ず黒感情も現れる。

 そして、その者もスレイヴにされ、さらに——。

 ヒナの話を聞きながら、実際に異国で起きた惨劇を想像し、瑞季は胸に手を当てていた。心臓が、どくんどくん、と脈打っている。

「五つの邦は次々に落とされ、わずか十四日ですべてのジェムが奪われたニャ。奴らがこの無の邦へ扉を開けようとした瞬間、ぼくらは最後の奇襲をかけて、ぼくだけが、火、水、風の三つのジェムを取り返し、この世界へ逃げ延びることに成功したニャ」

 ヒナの耳がぺたりと畳まれ、尻尾が力なく垂れる。

 ——ぼくだけが。

 その言葉の重みに、瑞季は何も訊けなかった。仲間たちは、どうなったのか、と。

「デシリル・ジェムのないヘヴンは、もう無の邦へは渡れない——なんてことはないと、ぼくは思っていたニャ。奴らは常識を覆す。だから、きっと無の邦へも渡ってくると思って、ぼくはその日まで眠ることにしたニャ。そして昨晩、ついにヘヴンは扉を開けてやってきて、その音で、ぼくは目覚めたニャ」

 ヒナは瑞季を見上げた。耳はピンと立ち、目には使命感が宿っている。

「昨日の音は、その音だったんだ。ヘヴン? は、どうやって来たんだろう」

「分からないニャ」

 五つすべてのデシリル・ジェムがなければ、ここへは来られない。五つのうち三つはヒナがこちらへ持ってきているため、ヘヴンはふたつしか持っていないはずだ。その三つぶんの力の代用を、彼らはヒナが眠っていた八年で用意した。

「簡単に顛末を話すと、こんなところニャ」

 話し終わるとヒナは再びベッドに戻り、ベッドのど真ん中でおなかを天井に向けて転がった。

「そこで寝ないでよ」

「瑞季」

 ヒナは、ぴょん、と跳ねて瑞季と目を合わせた。

「ぼく、学校に行きたいニャ」

「は?」

 その直後、ぽん、と音を立ててヒナが煙に包まれた。かと思うと、ベッドの上には丸い金属が落ちている。猫のぬいぐるみはいない。

「え?」

 おそるおそる手を伸ばす。ファンタジーアニメの懐中時計を思わせる、美しい青空を象った金属だった。直径は瑞季の中指ほど。金属特有の冷たさはあるが、見た目の割には軽かった。どうやら二枚貝のような構造になっているらしく、蝶番ちょうつがいがついている。そのそばには丸いボタンがあり、押すとそれは開いた。

「わっ!」

 瑞季は驚いてベッドに投げた。掛け布団の上を跳ね、コツン、と壁に当たって落ちる。

「痛いニャ! 粗末に扱うなニャ!」

 開いたままのそこに写るのは、ヒナの顔。

「ご、ごめん……。で、それは」

「携帯用の鏡ニャ。コンパクトミラーだニャ」

「ごめん、私の中の鏡の定義が揺らいでる」

 鏡は物を写すものだ。中に入るものではない。ましてや、指よりも薄いこの金属の中に、あのぬいぐるみが収まるはずがない。

 改めてそれを手に取る。鏡面に映るのは、真っ白な空間に浮かぶヒナの立体的な姿。まるで、この小さな金属の中に、別の世界が広がっているかのようだった。

「すごい……」

「ふふん、恐れ入ったかニャ。これが空の邦の王族に伝わる秘技ニャ!」

「うん。すごい、気持ち悪い」

「ニャッ!?」


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