第一話「ヒーロー」-7-
「『デシリア・クリア・スクリーム!!』」
閃光が、公園一帯を一瞬にして染め上げた。
彼女自身の身長ほどの直径の光線が、轟音と共に放たれたのだ。
ガラスの粒を砕いたかのような無数の光の粒子が、その光線の周囲をキラキラと輝きながら、美しく回転している。
その光線から発せられる風圧に、周囲の草木は激しく揺れ動き、半壊していたブランコが紙屑のように宙へと舞い上がった。
「——って、私またなんか言っちゃってる!?」
我に返ったリアハイリンは、自分の口から飛び出したヒーローアニメ然とした技の名前に、顔を真っ赤にして絶叫した。
だが、そんな彼女の羞恥心などお構いなしに、放たれた純白の光線は、スレイヴの胸の中央へと直撃し、大爆発を引き起こした。
あまりの衝撃と爆風に、思わずぺたりとその場に尻餅をついてしまう。
もうもうと立ち込める砂煙。
咆哮は止んだ。
終わった——そう安堵した、刹那。
音もなく現れた漆黒の質量が、世界を暗転させた。
「!?」
反応すらできない。
巨大な鉄球で殴りつけられたような衝撃。
身体が宙を舞い、地面へと叩きつけられる。
さらに、追撃の拳が、彼女を大地ごと圧殺せんと振り下ろされた。
身動きひとつ取れない。
「瑞季!」
耳を塞ぐ土の冷たさ。
ヒナの悲痛な叫びが、深い水底から聞こえるかのように遠い。
「いてて……」
視界が明滅し、焦点が合わない。
ぼやけた網膜に、再び振り上げられる拳の影が映る。
もう何も分からない。それでも、本能だけで身体を捻り、拳の落下点から転がり出る。
しかし、衝撃で身体が浮き上がる。跳ね飛ばされ、無様に地面を転がり、花壇の縁に叩きつけられた。
乱れた呼吸が、周囲の雑草をはためかせる。
起き上がろうとするが、手足が鉛のように重い。
被弾のダメージだけじゃない。先ほど浄化技を使ったことで、体力をごっそりと消耗したらしい。体力の限界は近かった。
「しっかりするニャ」
肩を揺らす小さな感触。
「す、すまなかったニャ。ぼくの早まった判断のせいで……」
ヒナの声は濡れていた。
「ううん。ヒナは悪くない。私も油断してた」
スレイヴの足音が振動として土から聞こえ、目を開ける。距離は二十メートルほど。
「どうすればいいかな、ヒナ」
「スレイヴの力を弱める必要があるニャ」
「ボコボコにしろってこと?」
「それもあるけど、それだけじゃないニャ。あの子の心を、救うんだニャ」
リアハイリンはハッとした。
そうだ。敵を倒すためだけに、ヒーローになったわけじゃない。
少しずつ、頭の痛みが治まってきていた。めまいは、もうほとんど感じない。
歯を食いしばり、四肢に力を込めて起き上がる。
全身が悲鳴を上げていた。生身の人間のままだったら、きっと、痛いと感じることすらもできなかっただろう。
しかし、不思議と心は澄み渡っていた。
「そうだね。あの子の心に寄り添わないと、何も解決しないよね」
スレイヴが刻一刻と距離を詰めてくる。
その顔からは、何の感情も読み取れない。戦い始める前と様子は変わらない。二度攻撃を与えたが、それがどの程度効いているかは分からない。
だが。
「聞こえるよ、あなたの声」
助けを求める声は、心にはっきりと届いていた。
「ヒナ。危険だから私の肩に掴まってて。こっちもこっちで危険かもだけど」
「了解ニャ」
スレイヴが拳を振り上げる。
リアハイリンは退かない。
寸前で跳躍し、振り下ろされた太い腕の上へと着地した。
そのまま、巨腕を駆け上がる。
「待ってて! すぐに行くから!」
声がしっかり届くところまで近付かないと!
その一心で、彼女は登っていく。
羽虫を払うように迫る、もう片方の手。その巨大な手の小指と薬指の隙間をすり抜け、スレイヴの広々とした胸へと、飛び移る。
炎を模した禍々しい装飾に着地し、そのまま、スレイヴの胸にぎゅっと抱きついた。
ひんやりと冷たい。あまりにも悲しい温度。
「気持ち、分かるよ」
リアハイリンの胸の奥に、小学二年生の頃の古い記憶が蘇ってくる。
「……あなたは、あなた。私は、私。だから、まったく同じ気持ちっていうわけには、いかないかもしれないけど……。でも、全然違うってこともないと思う」
スレイヴが自らの胸を叩いた。
その衝撃を利用し、空中で回転して巨人の手のひらへ。
さらに反動をつけて首元へと肉薄する。
「私もね、憧れのヒーローを笑われたことがあってさ。『おこちゃまが見るものだ』って。それがつらくて、早く大人になりたくて、いつしか見るのをやめちゃった。でもね、あの頃のキラキラした気持ちは、今も私の中で生きている」
スレイヴの動きが、ぴたりと止まった。
唸り声が聞こえる。それは威嚇でも苦痛でもない。もっと感情的な、心の叫びのような響きだった。
「たとえ物語は作り物でも、あなたの『好き』って気持ちは本物。物語を通してあなたが経験した出来事、想いは、ずっとあなたの中でも生きている、本物なんだ」
彼女自身、かつて自分が抱いていた、純粋な『好き』だった想いを忘れかけていた。
だが、こうしてヒーローとして戦っている現在は、違う。
あの頃の温かくてキラキラとした思い出が、心を確かに満たしてくれている。
「大人になってもいい。離れたっていい。でも、お願い。『好き』って気持ちを、忘れないであげて。その輝きは、いつかきっと、あなたの力になってくれるから」
今の私のように——。
スレイヴが、弱々しく震える手でリアハイリンを掴もうとする。
ひらりとそれを躱し、地面に着地する。そして、見えない少年の心へ、そっと手を差し伸べた。
リアハイリンは祈る。
かつて自分を救ってくれた言葉を、今度は私が伝える番だ。
「だいじょうぶ。——あなたには、私がいる」
スレイヴが天を仰ぎ、甲高い絶叫を上げた。
それは救いを求める子供の泣き声そのもの。
《ぼくの中にも、ヒーローが……》
その姿は、もはやおそろしい怪物ではなく、ただ、傷つき、迷い、助けを求める、ひとりの弱々しい子供。
「いまニャ」
「うん」
リアハイリンは再び、右手にデシリル・ジェムの力を集中させる。
右手に光を灯す。
破壊のためではない。救済のための輝き。
黒き感情、無に帰せ——。
「『デシリア・クリア・スクリーム』」
放たれた光線は、一度目よりずっと細い。けれど、比べ物にならないほど温かく、優しい光だった。
光に抱かれ、スレイヴは安らかな眠りにつくように、静かに霧散していく。
巨体が消えたその中心から、気を失った少年がゆっくりと落ちてくる。リアハイリンは、その小さな体を両腕でそっと受け止めた。
その腕の中で、男の子は穏やかな寝息を立てていた。汗で濡れた額をそっと撫でる。
「やったニャ……! 瑞季……!」
ヒナの跳ねるような声。
ぴょこん、と軽い重みが肩に乗ってきた。
「うん。この子を救えたね」
この気持ちは、なんだろう……。
胸の中に、今まで一度も感じたことのない温かい気持ちが、静かに満ちていく。
それは、誰かを救うことができた者だけが味わうことのできる、かけがえのない感情なのかもしれない。
余韻に浸る間もなく、彼女の目の前に、巨大な影が再び舞い降りた。
「へえ、これがデシリアの力か。良いものを見せてもらったよ」
メルキーヴァ。
フードの奥の闇が、こちらを値踏みしている。
咄嗟に少年を庇い、身構える。
だが、少年を抱えたままでは勝ち目などない。
ヒナも毛を逆立てて威嚇するが、相手は余裕の笑みを崩さなかった。
メルキーヴァは肩をすくめ、背を向ける。
「いやあ、楽しくなってきた。今日は退散することにするよ。じゃあ、またね」
「え」
まばたきをした、次の一瞬。
風景から切り取られたかのように、巨人は消失していた。
残されたのは、風の音だけ。
ヒナも呆気に取られ、怪訝そうに首を傾げていた。
「よいしょっと」
男の子をベンチに座らせ、リアハイリンは変身を解いた。
「なかなか起きないね」
「うむ。スレイヴから解放された者はみんなこうニャ。三十分もすれば目を覚ますニャ」
「そっか」
男の子の左に座り、ヒナを膝の上に置く。ヒナは男の子をじっと見つめていた。
そのまま、お互い何も言えないまま、しばらく無言の時間が続く。
「……公園、大変なことになったね」
瑞季が幼い頃観ていたアニメでは、敵が倒されると、壊されたものは元に戻っていた。しかし、瑞季の目の前には、壊れたままのブランコや砂塗れの滑り台、抉れた地面や薙ぎ倒された木が、そのまま残されていた。
ヒナは男の子に顔を向けながら呟く。
「ぼくの故郷も、すべてこうなってしまったニャ」
「ヒナ……」
「瑞季」
ヒナは身体を翻し、瑞季の目を見上げる。
「今日は、無理を言ってすまなかったニャ。しかも、ぼくといる限り、瑞季はこのようなことに巻き込まれ続けてしまうと思うニャ。だから、よく考えてほしい。瑞季が嫌なら、ぼくを捨て——」
「嫌だ」
あまりの速度での否定に、ヒナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
「事情はまだよく分からない。でも、私はヒナを護りたい。それに……さっき感じた、あの温かい気持ちを、もっと知りたい。だから」
瑞季はヒナを強く抱きしめた。
これからどうなるかなんて分からない。まだ実感も湧かない。
でも、人の心を弄ぶ奴らを、好きにさせたくなんかない。
その決意だけは、本物だった。
「これからもよろしくね、ヒナ」
「……ありがとうニャ」
そのとき、瑞季は真正面にあるトタン屋根の一軒家の影から、誰かが出てきたのを見た。
瑞季と同じ制服の女子がふたりいる。しかも、その顔には覚えがあった。
「げっ」
同じクラスの月音優菜と高梁星輝だ。
目が合ってしまう。
「やばっ」
瑞季はヒナを抱えたまま立ち上がり、逃げた。
(第一話「ヒーロー」了)
第二話「ひとりでは創れない音」 2026/2/14 8:00投稿予定




