第十話「辛口カレーに魅せられて」-5-
両手と両足で蜘蛛のようにリアハイリンに突進するスレイヴ。
「なんだこいつ……!」
リアスピサは横から接近し、至近距離からスレイヴの右肩に爆発を当てた。
スレイヴはその勢いで二回転し、顎やおなかをアスファルトに擦らせて慣性を止めた。スレイヴは再び蜘蛛のような体勢になるが、爆発を受けた右腕はだらんとしていた。
残りの三本脚で、今度はリアスピサに突進する。
不気味なほどに鬼気迫るスレイヴの姿を、アパートの二階の廊下からカスパールは満足げに見下ろしていた。
「それでいい。私から生み出された存在であれば、そのくらいはしてもらわないとな」
先ほどまでのスレイヴはパワーこそあったが動きは遅く、まるで攻撃を当てられないでいた。
力に長けるか速度に長けるか、耐久力に長けるか、トリッキーな戦い方に長けるか。
そのようなスレイヴの性質は黒感情によってある程度決まる仕様であり、『力や耐久力に長けるが速度に劣る』という形になった場合はほとんどハズレくじのようなものだった。
本来の黒感情を無視すれば。
そのようなケースでは、素体は何かしら抑圧を受けていることが多いと、カスパールはジンから聞いていた。
そして、その黒感情を刺激すれば、耐久力などを削り、全能力をスピードに振った状態に進化させられる、と。
スレイヴがリアスピサへ、低い姿勢から突進を開始した。
直線的だが、質量そのものが凶器だ。
アスファルトを踏み砕く振動が、凶悪な圧力を放って迫る。
存在しない瞳が、破壊衝動のみで標的を捉えていた。
「来るなら来い!」
リアスピサは真正面から迎え撃つ。
両掌に炎を圧縮し、間髪入れずに三連射した。
一発目。
スレイヴは首を振って弾き飛ばす。
だが、続く二発が両肩に着弾し、肉を焦がした。
スレイヴの首がさらに垂れ下がるように曲がるが、スレイヴは勢いを落とさない。
その異様な生命力、痛覚の欠如が、言い知れぬ不気味さを感じさせた。
「くそっ、タフすぎる!」
リアスピサは悪態をつきながらも冷静だった。
轢き潰される寸前、ギリギリまで引きつけ、自身の足元に高威力の火球を叩きつける。足元で爆発が起こり、衝撃波と熱風がリアスピサの身体を包む。
彼女はその爆発の推進力を利用し、スレイヴの頭上を飛び越えるように跳躍した。
標的を見失った怪物が突っ込む先——そこには既に、分厚い水の壁が出現していた。
リアマイムの完璧なカバー。
回避不能な速度で、スレイヴが壁へ激突する。
凄まじい水飛沫。
衝撃を吸収した水壁が大きく撓み、怪物の突進を完全に殺した。
その硬直を、白い影が見逃すはずがない。
リアハイリンが地を蹴り、跳躍。
全体重を乗せた蹴り上げが、無防備な顎を打ち砕いた。
巨体がのけ反る。
その脳天へ、上空から赤い流星が降り注ぐ。
「そこだ!」
リアスピサの踵落としが深々と突き刺さった。
リアスピサとリアハイリンは確かな実感を得ながら、素早く後方へ跳んで距離を取る。
さすがのスレイヴも、これだけの連携攻撃を受ければ動きを止めるだろう。三人は息を整えながら、土煙の晴れる先を見据える。
しかし、期待していた黒感情の声は聞こえてこなかった。
それどころか、地に伏せたはずの怪物が、不快な軋みを上げて四肢を動かし始めたのだ。
「まだなの!?」
「よっぽど頑丈みたいね……。それに、なんだか様子が……」
リアマイムの声に不安が滲む。
ゆらりと起き上がったスレイヴ。
その首は、力なく垂れ下がったままだった。
それでもなお、敵を探してぎこちなく徘徊する姿は、壊れた人形のような不気味さを漂わせていた。
「その調子だ、スレイヴよ」
少し離れた場所で戦況を見守っていたカスパールが、声を張ってスレイヴを鼓舞した。
「腕が折れようと脚が千切れようと関係ない。自らの力で、自由を手にしろ」
「ふざけないで!」
その冷酷な言葉に、リアマイムがカスパールを鋭く睨みつけた。
「この人を一番縛っているのはあなたでしょ!」
「人聞きの悪いことを言うな、デシリアよ」
カスパールはこともなげに肩をすくめた
「私は手を貸しているのだ。それすら不要だと彼が思うのであれば、私を喰えばよい」
その言葉に呼応するかのように、スレイヴは再び獣のような咆哮を上げた。
そして、近くにあった街路樹にその巨大な左手を伸ばすと、メキメキと嫌な音を立てながら、根元から力ずくで引っこ抜いたのだ。
土塊と引き千切られた根が痛々しく露わになる。
「なんて馬鹿力」
スレイヴは引っこ抜いた街路樹を、棍棒のように軽々と振りかぶる。
風を切る音と共に、巨大な緑の塊が迫る。
リアマイムは左右へ跳び、直撃を回避する。
アスファルトに激突した樹木が枝を撒き散らし、視界を遮った。
次の瞬間、孤立したリアマイムへ、怪物が肉薄していた。
「っ!?」
咄嗟に水の盾を展開する。
高速回転する水流の障壁。
激突に備えて身構える。
だが——衝撃は来なかった。
不快な切削音が鼓膜を叩く。
目の前の光景に、リアマイムは息を呑んだ。
スレイヴが、盾を掴んでいたのだ。
電動鋸のように回転する水の刃を、素手で鷲掴みにし、血肉を撒き散らしながらよじ登ってくる。
「痛くないの!?」
その異常性に思考が凍りついた。
逃げないと——。
そう思ったときには手遅れだった。
巨大な左腕が腹部を鷲掴みにする。
世界が反転し、背中に衝撃が走った。
マンションの壁に、人形のように叩きつけられたのだ。
「きゃあっ!」
苦悶に顔を歪めた、そのとき。
バクリ、と。
目の前で闇が裂けた。
スレイヴの顔の中央に、耳まで届く亀裂が走ったのだ。
現れたのは、包丁のような銀色の歯がびっしりと並ぶ、巨大な口腔。
生理的な嫌悪感と、原初的な恐怖。
その顎門が、頭を食いちぎろうと迫る。
「させない!」
捕食音が響くはずだった空間に、鈍い打撃音が割り込んだ。
横から飛び込んだリアハイリンの膝蹴りが、スレイヴの側頭部を打ち抜いたのだ。
頭が弾かれ、顎が空を切る。
「離れろ!」
間髪入れず、リアスピサの火球が炸裂した。
爆炎が怪物を吹き飛ばし、拘束を強制的に解除する。
地面に転がるスレイヴ。
解放されたリアマイムは、力なく歩道へ崩れ落ちた。
「マイム! 怪我はない?」
「う、うん……大丈夫……。ちょっと、怖かっただけ……」
リアマイムは強がって答えるが、その声は震え、立ち上がろうとしても足が竦んで動けなかった。先ほどの恐怖が、まだ彼女の身体を縛り付けている。
リアハイリンとリアスピサは、リアマイムを守るように彼女の前に並んで立つ。そして、十数メートル先で再び身を起こそうとしているスレイヴと、その傍らで静かに佇むカスパールを、厳しい表情で睨みつけた。
すると、
《こんな理不尽な世の中、やってられねえよ》
ようやく声が聞こえた。




