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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第十話「辛口カレーに魅せられて」

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第十話「辛口カレーに魅せられて」-4-

「……ニャ?」

 しばらく目を瞑って楽にしていたヒナが、突然目を開けた。

「どうしたの?」

「スレイヴの気配ニャ」

 三人と一匹は視線を合わせる。和やかだった空気が一瞬で引き締まった。

「よかったな。ちょうどウチらが集まってて」

「だね。なんでこの手の敵はヒーロー側が集まってるときに限って現れるんだろうね。バラバラなときの方が都合いいだろうに」

「ヘヴンのことは知らないけど、アニメに関しては制作側にとって都合がいいんじゃないかな」

「なんかメタいよ優菜」

「二丁目の方だね。スレイヴが現れたの。SNS投稿があった」

 優菜は喋りながらもスマホを操作し、瑞季たちに見せる。その画面に写っていたのは画像付きの投稿だった。背景はくっきりしているが、スレイヴと思われる影は黒紫色の靄にかかっているかのように、ぼやけていた。

 これまでも何度かスレイヴの写真を撮った投稿を見たことがあったが、どれも同じようにぼやけていた。どういう原理かは分からないが、スレイヴはうまく写真に写すことができないらしい。

 そのせいか、怪物の存在自体がフェイクなんじゃないかと疑う者も少なくなかった。

「行こう、みんな。ヒナ、ひとりで大丈夫?」

「ぼくのことは気にしなくていいニャ。早く素体になった人を助けに行くニャ」

 三人は頷き、立ち上がる。

「安静にしててね」

「お大事に」

「終わったらまた来るからな」

「いってらっしゃいニャ」

 瑞季たちは部屋を出て階段を降り、リビングにいる母に「しばらく外行ってくる」とだけ伝えて駆け出した。


 スレイヴが現れたのは、海側から山側へ向かって伸びている大通りから少し離れた、住宅や飲食店が並ぶ通りだった。瑞季の家からしばらく通学路を進んだところで、立ち上る煙とざわざわした気配を捉えた。

 そのまま通学路の坂を百メートルほど上がって脇道に逸れ、五十メートルほど進むと、道路の中心でスレイヴが暴れているのを見つけた。

「いた。人型だから第二世代だね」

 第二世代スレイヴとは、人の黒感情をエネルギーとしたスレイヴだ。つまり、誰かが素体として取り込まれている。

 距離があるため、まだスレイヴに気づかれていない。瑞季と星輝はそのまま突っ込もうとしたが、優菜が「待って」と言った。

「ちょっと人気がありそうだから、目立たないところで変身して向かいましょう」

 見渡すと、周囲の住宅の窓から顔を出す人の姿がちらほらと見える。休日のお昼の住宅街なのだから、人は多くて当然だ。今さら戦いながら人目を気にしたりはしないが、変身するところだけは誰にも見られたくなかった。

 そばにあった四階建てのアパートの階段を駆け上がり、屋上まで向かう。屋上の扉は施錠されていた。好都合だ。ここにわざわざ来る人はいない。三人はこの場で変身し、四階の廊下から屋上へ飛び上がり、建物の屋根を軽やかに転々と跳ねながらスレイヴへ肉薄する。

 施設を囲むフェンスを殴るスレイヴの肩へ、リアハイリンは不意打ちで踵を落とした。スレイヴは背中から勢いよく倒れ、唸った。

 一歩離れ、改めてスレイヴを観察する。ナーサが召喚した木のスレイヴほどの、比較的背丈の大きなスレイヴだった。全身が闇色であるため仔細な点は見にくいが、ボロボロの服を着た男に見えた。何十年も使い古されたかのような、全体がよれてしまった汚い服。

 彼女の背後にリアスピサとリアマイムも降り立つ。そこへ、ぱんぱん、と乾いた拍手の音が響いた。

「見事な一撃だ。思わず見惚れてしまったよ」

 低く、艶のある女声だった。

 リアハイリンは弾かれたように振り向く。アパートの二階の柵に、軍帽の女が優雅に腰をかけていた。帽子の中で束ねられた金色の髪。氷のように冷たい青い瞳。暗い緑色の軍服めいた衣装に全身を包んでいる。

「初めまして。私はヘヴンのカスパールという者だ。先日はナーサやブラフザールが世話になったな」

 手には白く薄い手袋がはめられており、上着もズボンも皮膚全体を隠している。襟は学ランのようになっており、ホックはきっちりと閉められている。そのため、カスパールの白い肌が見えるのは顔だけだった。

「次から次へと何人も。何人いるのあんたたち」

「必要以上にこちらの情報を与える気はない」

 リアハイリンはカスパールを睨む。カスパールは軍帽のツバを掴みながら、口元だけで薄く微笑んだ。

「今日は、私からは手を出さないことを約束する。思う存分スレイヴと戦い、諸君らの実力を見せてくれ」

「ふざけないで! 見せ物じゃないんだから!」

「それもそうだな」

 リアハイリンの主張を肯定するものの、カスパールは帰る気など毛頭ないらしい。彼女たちを観覧席から見下ろし続けるつもりのようだ。


 リアハイリンの足元で倒れていたスレイヴが、緩慢な動作で起き上がった。

 その顔面へ、リアスピサが火の玉を叩き込む。

 爆発。

 スレイヴは再び無様に転がる。

「早く声が聞ける状態まで持っていこうぜ」

「そうだね」

 もう一度起きあがろうとするスレイヴに、リアスピサは同じように火の玉を投げつける。

 スレイヴはそれを手で払いのけ、爆発にも耐え切った。そのまま立ち上がり、指を広げた巨大な手をリアスピサへ。

「遅い」

 彼女には、その攻撃をあくびが出るほど引きつけてから避ける余裕があった。

 その隙にリアハイリンがスレイヴの顔へ飛び上がり、回し蹴りを叩き込む。

 首が大きく傾ぐが、スレイヴはあまり怯まず、のっぺりとした左手でリアハイリンを掴もうとする。が、その手は水飛沫と共に弾き飛ばされた。

 ガラ空きの脇へリアスピサが火の玉を放ち、同時にリアハイリンが背中を蹴り抜いた。倒れる、と確信したものの、スレイヴはよろめいただけで耐え切る。

「動きが遅いぶん、頑丈そうだね」

「ああ。時間はかかるかもしれねえけど、向こうの攻撃が当たりにくいならなんとかなるな」

 第二世代とはいえスレイヴ一体に対し、こちらは三人。

 カスパールが手を出さないと宣言している以上、負ける要素は見当たらない。

「王子はいないのか?」

 カスパールの質問に、リアハイリンはスレイヴに目を向けたまま答える。

「いない。今日は具合を悪くしてて寝てるの」

「ほう。精霊も体調を崩すことがあるのか。この世界にいるのであれば感情エネルギー不足ということもないだろうに」

「感情エネルギー不足?」

「王子から聞いていないのか。精霊や人の感情が精霊の動力源となる。我々で言うところの三大栄養素のようなものだ」

「それは聞いたことある」

「栄養が不足すれば体調を崩す。それは人間も精霊も同じだろう? 何はともあれ、快復を祈っている」

 リアハイリンは一瞬だけカスパールに目を向ける。

 あまり悪い人ではない——?

 そんな甘い思考を、彼女はすぐに頭から振り払った。

「侵略者のくせに好感度上げようとするのやめてくれる?」

「侵略者か。諸君の世界を侵略しているつもりは毛頭ないが」

「ヒナの世界のことを言ってるの!」

「諸君とは関係のない世界だと思うが、それを承知で我々に抗っているのだろうな。理解に苦しむ」

 会話の合間を縫うように、スレイヴは咆哮と共に巨大な拳をリアハイリン目掛けて振り下ろした。

 その動きは、大振りで軌道も読みやすい。

 しかし、その質量と込められた破壊の衝動だけは本物だった。空気を圧し潰すような重圧が、拳と共に迫ってくる。

 紙一重でその一撃を回避。

 直後、胴体に響く地響きと共に、スレイヴの拳がアスファルトにめり込んだ。蜘蛛の巣状に亀裂が走り、破片と粉塵が衝撃波のように舞い上がる。

 その単純な破壊力に一瞬目を見張りながらも、リアハイリンの身体は既に次の動きへと移行していた。

 抉れた地面を蹴り、リアハイリンはスレイヴの肩に着地。そのまま後頭部へ強烈な回し蹴りを叩き込む。

 その瞬間、正面からリアマイムの水流が巨体を叩き、スレイヴが大きくよろめいた。

「仕上げだ!」

 そのがら空きの軸足へ、リアスピサの灼熱の火球が突き刺さる。

 閃光と熱波がスレイヴの足元を襲い、支えを失ったスレイヴが地響きを立ててアスファルトに背中を打ち付けた。

 舞い上がった砂埃が、しばしその姿を覆い隠す。


「ふむ」

 カスパールは背筋を伸ばし、両腕を背中で組んで戦況を見下ろしていた。

 そんな彼女へ、リアハイリンは挑戦的に歯を見せる。

「さすがに三対一では厳しいものがあるんじゃない?」

「それは、私に戦場へ上がれと言っているのか?」

「だったらどうなの?」

「確かに、状況は劣勢だ。——スレイヴよ。もう貴殿を縛るものはなくなった」

 カスパールは、視線だけを倒れるスレイヴに向ける。

「これまで貴殿は様々なものに縛られていたのだろう。だから、首輪へ手枷が外された今、どう動けばいいか判断できず、中途半端な動きしかできていない」

 リアハイリンたちには状況が読めず、いぶかしみの目で眺め続ける他なかった。

「遠慮をする必要はない。貴殿を縛る鎖は、残り三本だ。そこにいる三人を消せば、貴殿は本当の意味で自由になれる。その手で、自らの未来を掴み取れ。私の力を借りた者に、それができぬ道理はないな?」

 カスパールの言葉は、号令であり、呪詛ずそだった。

 彼女の一喝が空気を震わせた、次の瞬間。

 爆音。

「急に何!?」

 リアハイリンは鼓膜を破らんばかりの咆哮に思わず耳を塞いだ。

 その一瞬の隙、思考の空白。

 気づいたときには、彼女はすでに濃い日陰に覆われていた。

「!」

 空だ。

 いつの間に跳んだのか。スレイヴの巨体が、太陽を背に頭上から隕石のごとく落下してきていた。

 反応が遅れた。回避は間に合わない。

 咄嗟に腕を交差させ、迫り来るスレイヴの額を受け止める。

 だが、その重量は重機そのものだった。

 ミシミシと骨が軋む音。抗うことなどできず、背中から地面に叩きつけられる。

 スレイヴの頭蓋とアスファルトの間にプレスされる——その予感に、本能だけで身体を捻り、スレイヴの側頭部を横から殴りつけた。

 ぐにゃり、とスレイヴの首が異様な方向に曲がる。

 だが、その代償として、スレイヴの耳の後ろの硬い部位が、リアハイリンの左腕を無慈悲に押し潰した。

「っ!」

 声にならない悲鳴。

 苦痛に顔を歪ませた直後、スレイヴは横合いから放たれた高圧の水流と爆風によって吹き飛ばされ、地面を転がっていった。

「ハイリン!」

 リアマイムとリアスピサが血相を変えて駆け寄ってくる。リアハイリンは脂汗を滲ませながら右手で彼女たちを制した。

「一箇所に集まらない方がいい! 私なら大丈夫だから。相手から目を離さないで!」

 リアハイリンは感覚の消えた左腕を右手で抱えるようにして立ち上がり、歪んだ視界の中でスレイヴを凝視した。

 スレイヴは数メートル先でうつ伏せに倒れ、死んだように静止していた。

 しかし、突如としてその両腕と両足を地面に突き立てる。

 バキ、ボキ、と体内で何かが砕けるような湿った音が響く。

 スレイヴは蜘蛛じみた姿勢で腹を浮かせると、あり得ない柔軟性で首を百八十度回転させ、逆さまの顔でリアハイリンたちをめつけた。

 人間であれば頸椎けいついがねじ切れているはずの角度。

 その口から、壊れた楽器のような音が漏れる。

 そして、ケラケラと笑い声のような音を漏らしながら、そのまま四本の脚でリアハイリン目掛けて失踪を開始した。


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