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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第九話「どん底の親子」

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第九話「どん底の親子」-6-

 リアスピサの懇願するような叫びに呼応するかのように、スレイヴの苦悶の声質が変わった。それは、莉照の父親、莉照光司の慟哭どうこくだった。

《家族だけは……俺を見捨てないと思ってた……なのに》

 その声は弱々しく、絶望の色を帯びていた。

《……俺はずっと、集団の先頭に立って生きてきた。誰よりも優秀であるために、誰よりも学び、努力を重ねてきた。この世界で生き残るには、一段でも高い場所にいる方が有利だと、嫌というほど分かっていたからな……! そして、その努力に見合うだけの結果と地位を、俺は確かに手に入れた! なのに……! どうしてこの俺が、言葉のひとつやふたつのせいで、すべてを失わなきゃならないんだ!》

 スレイヴの体躯が激しく震える。

 そこから滲み出るのは、黒い炎のような感情。

 失った地位や名誉への執着と、理不尽な現実への呪詛。

《やってられるか……! だがな……それでも、俺には家族がいた。妻と、息子が……。これだけは失ってはならない、最後の砦だと……。だから、どんな辛酸を舐めようと、どんな苦虫を噛み潰そうと、必死で働いた! 家に帰ったらもう、体の力なんて欠片も残ってないほどぐったりして……毎晩、安酒でも呷らないと、潰れちまいそうなほど心もズタボロで……!》

 その声には、悲痛なまでの疲労と、必死に何かを守ろうとしてきた男の悲哀が滲んでいた。

《家族のために、たったひとりの息子のために……! こんなに頑張ってるっていうのに……! その出来損ないの息子に……! 俺は……否定されたんだ! ふざけるな!》

「ふざけてるのはてめえだろうが!」

 リアスピサは湧き出る怒りを抑えられず、叫んでいた。

「偉そうにしやがって! あのなあ! 家族を本当に大切に思ってるなら、息子を『出来損ない』だなんて言えねえもんじゃねえのか!?」

 ——そうやって、悪口を言ったりいじったりすることが、仲の良い証拠だと思っていた。

 それは以前スレイヴになった莉照の言葉。

 その価値観がリアスピサにはまるで理解できなかった。

 だが、彼の父が息子を『出来損ない』と表現したのを聞き、その歪んだ価値観が父から学んでしまったものだと、彼女は改めて確信した。

 そんな誤った学びをしてしまったから、彼はクラスで過ちを犯してしまった。

《おまえに俺の何が分かる!》

「分からねえよ! おまえみたいなムカつく大人の気持ちなんか分かりたくもねえ!」

「ちょっと、スピサ」

「落ち着いて」

 怒りの言葉が次々と噴水のように吹き出そうになる。自分ひとりだったら間違いなく抑えられなかっただろう。仲間の声を聞き、溢れ出そうになる言葉を歯軋りに変換して抑えることができた。

《……自分の言葉がよくないことは、理解している》

 スレイヴの熱い怒りが、冷たい絶望に変換され始めた。

《言葉ですべてを失ったのに、それに気づかないほど俺は愚かじゃない。でもな、失ってしまったものをすぐに取り戻せるほど、社会は甘くない。肩にかかるこの重みが、年端もいかないガキには分かるか? 分かるはずがないだろうな。妻子を支えるプレッシャーに押し潰されそうになりながら、それでも必死で支えてきた。耐えてきた。なのに、その息子に言われたんだ。『そんな姿見たくない』って!》

 彼の語気が再び強くなっていく。

《守り続けてきた息子に見放される、この気持ちが!! この絶望が!! おまえたちに分かるか!?》

 リアスピサたちには、その深い絶望を想像することはできない。

 あまりに強い気持ちに、彼女たちは気圧けおされていた。

 スレイヴが憎悪のオーラを放ち、再び動き出そうとする。

 この絶望を救うための糸口が見出せず、彼女たちは動き出せずにいた。

 そのとき。

「見放してねえよ!」

 切実な叫び声が、グラウンドの入口の方から響いた。

 声の主は、先ほどリアスピサが逃がしたはずの莉照蓮司だった。

 恐怖を押し殺し、巨大なスレイヴ——父親の変わり果てた姿を、まっすぐに見据えていた。

「親父……!」

 その声に、リアスピサは炎を感じた。

 スレイヴの放つ黒い炎ではなく、赤く明るい炎。

 莉照は、震える足でスレイヴに近づいていく。

「俺はな、昔も今も、ずっと親父の背中に憧れてるんだよ! 親父のことを見下したことなんて一瞬もない! ただ……今の親父は、見てるだけで辛いんだ……。情けないとか、そういうんじゃなくて……心配で、悲しくて、辛いんだよ……!」

 莉照の声は涙で震えていたが、言葉は途切れなかった。

「でも、俺は信じてる! 世界で一番尊敬する親父なら、絶対にこんなことで終わらないって! 絶対に立ち直れるって、信じてるんだ! いつか必ず逆境を乗り越えて、もっとかっこいい男になるって!」

 スレイヴの動きが、ぴたりと止まった。その指先は、激しく揺らめいている。

「確かに俺には、家族や部下を背負う責任なんて分かんねえよ! でもな、親父なら絶対に負けないってことだけは、誰よりも知ってるつもりだ!」

 莉照はそこで一度言葉を切り、自身の経験を語り始めた。

「……俺も、一時は腐ったさ。でも、目が覚めた。時間をかけてでも失った信頼を取り戻すんだ、俺は変わるんだ、って誓って、ゼロから頑張ってるんだ。……なあ、親父。なんで俺がそうやって頑張ろうって思えたか、分かるか……? その答えはな——全部、あんたが俺に教えてくれたことなんだよ!」

 強い男であること、諦めないこと、努力することの大切さ。

 それはすべて、かつての父親が背中で示してくれたもの。

「俺は、これからも親父の背中を追いかけたいんだ! いや、いつか絶対に追い抜いてやる! でもな、簡単に追い抜けちまったら、ちっとも面白くないだろ? だからさ、親父には、俺が追い抜きがいのある、最高の男であってほしいんだよ! ちっぽけなプライドなんかに支配されたりしない、でっかくて、強い男に!」

 莉照は涙を拭い、父親に向かって叫んだ。

「そんな俺のわがままだけじゃ、親父の心には届いてくれないのか……? なあ……! 答えてくれよ!!」

 莉照の魂からの叫びが、夜の静寂に響き渡る。

 しばらくの沈黙の後、以前とは違う、穏やかさを取り戻した声が聞こえてきた。

《……成長したな……蓮司》

 その声には、確かな愛情が込められていた。

《そうだな。おまえの言う通りだ。一番大切なものは、地位でも名誉でもない……。愛する家族だ。……それを大切にできないような者に、この莉照光司を名乗る資格などない》

 憎悪のオーラが和らぎ、代わりに温かな光のようなものが感じられた。

「親父……!」

 莉照の目から、再び涙が溢れた。今度は、安堵と喜びの涙だった。

 敵意のないスレイヴの巨大な手が、莉照の肩をさすった。

《まさか、おまえに救われるとはな……。いや、違うな。よく考えれば、俺はおまえに何度も救われていたのかもしれない。……おまえがいたからこそ、奮闘できたことだって、数えきれないほどある》

「そうなのか……?」

《……ふっ、それに気づけない息子に、まだまだ負けるわけにはいかないな》

「……ああ、そうだな! 簡単に負けてもらっちゃ困る! 俺と一緒に、ゼロからやり直そうぜ、親父! どん底から、一緒に這いあがろう!」

 莉照が力強く言うと、スレイヴが静かに頷いた。

 禍々しいオーラは消えかかっている。

 浄化のときだ。

 リアスピサは腕で目を擦った後、右手をスレイヴへと掲げる。その手には炎が灯っていた。

「『黒き感情、燃え尽くせ。デシリア・セイリング・ファイア!』」

 放たれた炎は、燃え盛る破壊の力ではなく、すべてを包み込むような温かな光だった。

 光がスレイヴを優しく包み込むと、静かに粒子となって霧散し、夜空へと消えていく。

 後には、元の姿に戻り、気を失って地面に横たわる莉照の父と、それを見守る息子の姿だけが残されていた。

 傍らでは、ブラフザールがつまらなそうに、その一部始終を眺めていた。

 リアスピサが彼を見つめると、ブラフザールは「大切なもの、か」と呟き、彼らに背中を向けた。

「大切なもののために何をすべきか。その明確な答えがあるというのは幸せなことであろう。……誰かの心を使役して戦わせるというのは、やはり好かんな」

 そして、その身体が霧であったかのように、ブラフザールは消えた。


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