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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第九話「どん底の親子」

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第九話「どん底の親子」-5-

 リアスピサの言葉が、夜のグラウンドに響いた。

 差し伸べた手のひらの上で、温かな炎がゆらりと燃えている。

 だが、その想いは届かない。

 スレイヴは低く唸り声を上げると、再び巨大な闇色のサッカーボールを生成し、リアスピサへと蹴り放った。さらに、ブラフザールが瞬時に間合いを詰め、鋭い蹴りを繰り出してくる。

「ちっ、話を聞く気はなしか!」

 リアスピサは舌打ちし、差し伸べていた手を握りしめた。

 炎が勢いを増し、闇色のボールを迎え撃つ。爆発の衝撃と土煙の中、ブラフザールの蹴りをバックステップで回避。即座に反撃の炎弾を放つが、ブラフザールは最小限の動きでそれを躱し、再び距離を詰めてくる。

 息つく暇もない。

 それでも、リアスピサの瞳の光は消えなかった。莉照の涙顔が脳裏に焼きついている。

 ここで退くわけにはいかない。

「親父さんを助けるって、約束したんだ……!」

 リアスピサは闇色のボールを炎で爆破させると、その爆風を利用して高く跳躍した。

 狙うはスレイヴ本体。

 空中で体勢を整え、両手に炎を集束させる。

 ふたつの灼熱の塊をスレイヴの胸部へ叩き込んだ。

 激しい燃焼音と共に、黒い靄の一部が吹き飛ぶ。

 スレイヴが苦悶の声を上げた。ダメージは通っている。

「チャンス!」

 リアスピサは着地と同時に、さらに追撃を仕掛けようとする。

 だが——地面を蹴ったはずの右足が、いうことを聞かなかった。

 激痛。

 足首が万力で締め上げられたように砕け、世界が斜めに傾いでいく。

「がっ……!」

 ブラフザールだ。リアスピサの死角に滑り込み、その足首を的確に踏み砕かんばかりに蹴り抜いていたのだ。

 バランスが崩壊する。まずい、と本能が警鐘を鳴らした瞬間、肺の中の空気が一瞬にして押し出され、視界が白く明滅した。

「ぐぅっ……!」

 鳩尾みぞおちに、鋼鉄の杭ごとき拳がめり込んでいる。

 膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えるが、老兵の追撃は止まらない。

 腕を掴まれ、背負い投げの要領で身体が宙へ持ち上げられる。

 天地が逆転する浮遊感。

 やられる——!

 万事休すかと思われた、その瞬間。

 頬に、清涼な水滴が飛び散る。

 同時に、スレイヴの巨体が、横殴りに吹き飛んでいた。見えない砲弾に撃ち抜かれたかのように。

 建物の倒壊するような震動が遅れて届き、スレイヴが地面に沈む。

 拘束されていたはずのブラフザールの腕も、すでに解かれていた。

 顔を上げると、そこには見慣れたふたつの後ろ姿があった。

「大丈夫!? スピサ!」

「ギリギリ間に合ったみたいね!」

 その光景は、戦場における一枚の宗教画のようだった。

 ひとりは、純白の騎士。腰まで届く銀色の髪が、自身の放った一撃の余波で優雅になびいている。

 もうひとりは、湖面の静寂を擬人化したかのような乙女。水色の装飾が施されたミニワンピースがふわりと揺れ、解き放たれた水色の髪が重力に逆らうように漂っている。

「ハイリン! マイム!」

 リアスピサの声に、安堵と喜びが滲む。最悪の状況で駆けつけてくれた仲間たちの存在が、心細さで凍てつきそうだった心を温めていく。

「遅かったじゃねえか」

 強がりを言ってみるが、声が少し震えてしまった。

 心の奥底から湧き上がる興奮が抑えきれなくて。

「ごめんごめん、ちょっと遠くて」

 リアハイリンが悪びれずに笑う。その笑顔だけで、場の空気が一変するほどの頼もしさがあった。

 リアスピサの目頭に、熱いものが込み上がってきていた。

 ——やっと、ふたりと隣に並んで戦える……!

「スレイヴについて何か分かった?」

 リアハイリンからの問い。リアスピサは喜びを押し殺し、戦士として冷静に答えた。

「ああ。あのスレイヴは、莉照の親父さんだ」

「え!?」

 リアハイリンとリアマイムの声が重なった。

「莉照くんって言ったら、確かお父さんが会社で失敗して左遷させられたことが、黒感情の原因だったよね」

 そう言われ、リアスピサは初めてそれを思い出した。

 リアマイムが眉を寄せながら呟く。

 莉照蓮司がスレイヴになったとき、彼の心の闇の中心には、尊敬していた父親が打ちのめされ、変わってしまったことへの嘆きがあった。

「ってことは、それが親父の黒感情の原因か? 会社での失敗を引きずって?」

 リアスピサが考え込む。

 本当にそれだけか?

 彼女の直感は、否と告げていた。このスレイヴの姿は、会社での失敗という社会的な挫折よりも、もっと個人的で、内面をえぐるような絶望を纏っているように見えたのだ。

 そのとき、ダメージを受けて倒れていたスレイヴが、錆びついた蝶番ちょうつがいのような軋みを上げながらゆっくりと立ち上がり始めた。

 黒い靄が不安定に揺らめき、その深淵から、苦痛に満ちた声が漏れ聞こえてくる。それは、言語として発せられたものではなく、砕け散った心の欠片が擦れ合うような響きを持っていた。

《息子にまで見放された……。もう、おしまいだ……。どうしてこんなことに……》

 聞こえたのは、それだけだった。

 だが、その短い言葉には、深い絶望と孤独感が凝縮されている。

「ほう。これがスレイヴがある程度のダメージを受けた際に発するという声か。興味深い」

 スレイヴから離れて立つブラフザールが、抑揚のない声で呟いた。

 その表情は能面のように変わらず、本当に興味があるのかどうかは窺い知れない。

 彼は腕を組み、静かに続ける。

「君たちがこの状況でどのような選択を取るか、しばし眺めさせてもらうことにしよう」

 まるで、これから始まる芝居の観客のような口ぶりだった。介入するつもりはない、ということらしい。

「逃げるのか?」

 リアスピサは彼を睨む。

 しかし、彼は何も答えない。

 ブラフザールが介入してこないのは、彼女たちにとって唯一の幸運だった。リアスピサよりも遥かに場数を踏んでいるリアハイリンは、ブラフザールの不気味さを警戒しつつも、今は目の前のスレイヴに意識を集中させているようだった。

 リアハイリンが眉をひそめる。

「今の声、『息子に見放された』って……。ということは、やっぱり黒感情の根本は、私たちが思っていたものと違いそうだね」

「ああ、そうみたいだな」

 リアスピサも頷く。

「もし黒感情の中心が会社のことだけなら、スレイヴの姿は、あんなふうに莉照本人にそっくりにはならないはずだ…」

 親子のスレイヴが似ているのは、単に親子だからとか、そういった理由ではない。

 リアスピサはそう直感した。

 あのスレイヴは、鏡写しなのだ。

 彼の息子こそが、黒感情のトリガーだ。

「もちろん、会社での出来事も、あなたにとってとても辛いことだったと思います」

 リアマイムが、立ち上がったスレイヴに向かって静かに語りかける。

「でも、最後の引き金を引いたのは……あなたが、息子さんに見放されたと感じてしまったこと。……そうですよね?」

 スレイヴは反応しない。ただ、唸り声が黒い靄のように苦しげに揺らめいている。

「ねえ、聞かせてくれないかな」

 リアハイリンが一歩前に出て、諭すように問いかける。

「あなたと莉照くんの間に、何があったのか」

 だが、対話を試みるデシリアたちに対し、スレイヴは再び敵意を剥き出しに咆哮した。

 闇色のサッカーボールが嵐のように放たれる。

「くっ、やっぱりダメか!」

 スレイヴの核となっている父親の心は、分厚い殻に閉じこもっている。

 ならば、もう少しだけ力でこじ開けるしかない。

 三人のデシリアが、再び戦闘態勢に入る。

「ハイリン、前衛頼む! スレイヴを抑えてくれ!」

「了解!」

 リアハイリンが雄叫びと共にスレイヴへと突進する。

 その軌跡は白き雷光。

 スレイヴが闇色のボールを放つより早く懐へ侵入する、岩をも砕く剛拳が腹部へ、返す刀で放たれた蹴りが側頭部へ、流れるような連撃として叩き込まれた。

 スレイヴが為す術なく後退を強いられる。

 その足を、不意に何かが拘束した。

 スレイヴの脚に、青白く輝く水の鞭が幾重にも絡みついていたのだ。

 固定された足と、ハイリンによる打撃の衝撃。逃げ場を失ったスレイヴのバランスが崩れ、無防備な胴体がさらけ出される。

「今だよ!」

 リアスピサの両手が、すでに狙いを定めていた。

 閃光。

 次の瞬間には、スレイヴの巨体は紅蓮の炎に飲み込まれていた。

 スレイヴはこれまでで最も激しい悲鳴を上げた。その悲痛に染まった絶叫に、リアスピサの胸が痛んだ。思わず顔をしかめる。

「お願いだから、声を聞かせてくれ……!」


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