第一話「ヒーロー」-6-
名乗りと共に暴風は凪ぎ、静寂が訪れた。
瑞季は数度まばたきをして、我に返る。
「——って、なに言っちゃってるの私!?」
混乱する頭で、自らの変化に気づく。
さらりと揺れる、腰まで届く銀色の髪。ほんのり桃色がかった、見慣れない自分のポニーテール。
服装は、純白を基調とした神聖ささえ漂う戦闘服。短いスカートに、すらりとした脚を包むロングブーツ。胸元には桃色のリボンがきらめいている。
それは、心の底から憧れた、ヒーローの姿そのものだった。
この格好で、見慣れた地元の公園にひとり。
つまり。
「知り合いに見られたらめっちゃ恥ずかしいやつ!」
「瑞季!」
顔から火が出るような羞恥心に、思わずしゃがみ込もうとした瞬間、ヒナの警告が飛んだ。
弾かれたように顔を上げる。
視界を覆い尽くす巨大な影。
スレイヴの腕が、死神の鎌のように迫っていた。
受け止められない。避けられない。
——終わった。
そう思った、次の瞬間だった。
瑞季——リアハイリンの目に映っていたのは、スレイヴの腕ではなかった。
遥か彼方、地平線に沈みゆく夕日と、数キロ先の時計台の尖塔。
「え?」
驚いて、ほんの少し跳ねただけのつもりだった。
なのに眼下には、豆粒のように小さなスレイヴと、ミニチュアのような公園が広がっている。
「なにこれ、すごい……けど」
身体が軽い。まるで一枚の羽になったみたいだった。
高すぎるジャンプといえば、女の子ヒーローアニメ初回のお約束。
そして、その次の展開といえば、落下。
思考がそこに至ると同時、身体から浮力が消失した。
頂点に達した身体が反転し、頭から真っ逆さまに地上へ引かれる。
「……ですよねええええっ!」
アスファルトへの激突を覚悟し、目を瞑る。
だが、訪れたのは衝撃ではなかった。
ふわり、と。
見えない風のクッションが、彼女を柔らかく受け止めたのだ。
「うわっ」
そのまま彼女は、まるで風任せの凧のように、山の方角へ流されていく。
「これじゃ本当の羽じゃん! どうやって戻るの!」
「イメージするニャ!」
ヒナの声がして、初めて、リアハイリンはずっとヒナを抱えていたことに気づいた。
「身体が液体に満たされていくのをイメージするニャ!」
「え、液体? よく分からないけど、分かった! やってみる!」
リアハイリンは、自分自身が空っぽのガラスの器になったような姿を思い浮かべた。
足の先から、水が自分の身体の中へと流れ込んでいく。
水位が上がるにつれ、確かな質量が戻ってくる。
すると、風に煽られ、木の葉のように流されていたのが嘘のように、彼女の身体は重力を取り戻した。
再び、真っ逆さまに地上へと落ちていく。眼下には、民家の屋根が急速に迫ってきていた。
「ぎゃあああああ!」
「スレイヴの上へ向かうニャ!」
「向かうったって、どうやって操作すればいいの!」
「軌道をイメージして泳ぐニャ!」
「は!?」
ヒナは自らリアハイリンの腕から離れた。
「ヒナ!?」
「ぼくは空の邦の王子ヒナ! 心配ないニャ! さあ、集中するニャ!」
ヒナはリアハイリンと向かい合い、一緒に落ちていく。
「分かった。頑張る!」
水の中ではクロールも平泳ぎもまともにできないが、見よう見まねで腕を振る。すると、思いのほか、思い描いた通りに移動することができた。
ヒナも、彼女と並行するように動いている。
「その調子ニャ! そのまま身体が鉄塊になるイメージで、渾身の一撃を叩き込め!」
要領は掴んだ。
リアハイリンは力強く頷き、全身の質量を極限まで凝縮させる。
「これでもくらええええっ!」
落下の勢いを乗せ、空中で鋭く回転。
遠心力と重力の全てを乗せた踵が、スレイヴの脳天へ吸い込まれた。
——衝撃。
大気が爆ぜ、公園中の空気が一瞬にして外へ弾き出された。
スレイヴの頭部が凹み、巨体が大地へめり込む。
立ち昇る土煙が視界を白く染め上げ、遅れて地面が揺れた。
リアハイリンは反動を利用して翻り、スレイヴによって捻じ曲げられたブランコの支柱の上に、ふわりと舞い降りる。
「すごい……本当にヒーローになったみたい」
「なったみたい、じゃないニャ」
ヒナがリアハイリンの肩に乗る。
「瑞季は、正真正銘のヒーローになったんだニャ」
メルキーヴァは街灯の上から戦況を眺めていた。
「あれがデシリアか。白のデシリア……。火でも水でもなさそうだし、風かな」
光の連邦に古くから伝わる、絶大な力を持つ存在。絶大すぎるが故、その力は封印され、復活のための鍵は無の邦に隠されたという。
たった今、五百年の時を経て、その切り札が復活した。
「でも、まだ力を使いこなせてなさそうだ」
立ちこもる砂煙の向こうで、巨大な影が揺らめいた。
「ま、スレイヴもあの程度でやられはしないけどね」
砂煙と衝撃音の中心で、リアハイリンは息を詰め、スレイヴの様子を窺っていた。先ほどの渾身の踵落としには、確かな手応えがあった。
だが——。
砂煙がゆっくりと晴れていくと、そこには、スレイヴがおもむろに巨体を起こしていく姿があった。まるで悪夢の中から這い出てきたかのようなおぞましさに、思わず鳥肌が立つ。
「……っ! 中の子、怪我したり、してないかな……?」
「問題ないニャ」
肩に乗ったヒナは、意外なほど落ち着いていた。
「ぼくの経験上、スレイヴに捕われているかぎり、中の者の安全は保証されているニャ。外的要因で傷付いたりはしないニャ」
外的要因で。
その言葉に含まれた棘に、心臓が跳ねる。
ヒナは、どこか諦めたような響きで続けた。
「スレイヴは、素体が衰弱しきって動けなくなるまで、ただひたすらに破壊を続けるんだニャ」
「それって……」
言葉を失うリアハイリンの前で、スレイヴが天を仰いだ。
空気を震わせる咆哮。
理性のかけらもない、純粋な破壊衝動。
リアハイリンは、爪が食い込むほど拳を握りしめた。
「早く助けないと……! どうすればいい?」
「浄化技を使うニャ」
「浄化技?」
「ぼくも詳しくは知らないニャ。ただ、デシリアはデシリル・ジェムの力をデシリル・アンプで引き出し、強大な技を放つと、伝承にはあるニャ」
単語も理屈もよく分からない。
だが、やるしかない。
「やってみる!」
ヒナを支柱に残し、虚空へ身を投げる。
左腰のポーチから、白い板状の物体——デシリル・アンプを取り出した。
脳裏に描くのは、憧れのヒーローが放つ必殺の光。
悪を断ち、救いをもたらす輝き。
呼応するように、アンプ中央の白いジェムが脈動を始めた。
溢れ出すのは、直視できないほどの純白。
「『黒き感情、無に帰せ』——」
魂に刻まれていたかのように、詠唱が紡がれる。
デシリル・アンプから膨大なエネルギーが放たれ、リアハイリンの身体全体を満たしていく。
溢れんばかりのエネルギーを、右腕の一点へと極限まで集中させ、手のひらの裏側で圧縮させていく。
皮膚の下で光が飽和し、腕全体が白熱する。
極限まで圧縮された輝きが、解放を求めて震えていた。
——今だ。
彼女は右腕を突き出し、そのすべてを解き放った。
「『デシリア・クリア・スクリーム!!』」




