第八話「輝く星の内側」-4-
瑞季と優菜は、それぞれのバッグからデシリル・ジェムとデシリル・アンプを取り出そうとする。だが、スレイヴから繰り出される動きは速く、変身するためのわずかな時間さえも与えてはくれそうにない。
「やめてくれ!」
スレイヴの中にいる星輝が叫ぶ。しかし、スレイヴは主の声に耳を貸さない。
振り下ろされるスレイヴの拳を、瑞季たちはヘッドスライディングで避ける。抱えたバッグをクッションにするが、瑞季は河川敷のじゃりじゃりした砂地に膝をぶつけ、擦りむいてしまった。
「いてて……」
瑞季は痛みに顔を歪める。
スレイヴは、地面に寝転がる瑞季へと目のない顔を向けた。瑞季と優菜は、それぞれ逆の方向へと、飛ぶようにして避けていた。スレイヴの背中側にいる優菜は、すでにデシリル・ジェムとデシリル・アンプを構え、変身できる体勢を整えていた。
だが、瑞季にはその余裕がなかった。スレイヴの巨大な拳が、再び天高く振り上げられたから。
すぐに起き上がろうとする。だが、擦りむいた膝に痛みが走り、その足を無様に滑らせ、膝をついてしまう。
「やば……っ!」
「——させないニャ!」
ヒナが、瑞季のバッグの中から弾丸のように飛び出し、スレイヴの顔にぺたりと貼りついた。
スレイヴは視界を塞ぐ邪魔なぬいぐるみを、振り上げた拳で無造作に剥がし取り、ゴミでも捨てるかのように、近くを流れる川へと投げつけた。
ヒナの小さな体が川面へと叩きつけられる直前。放物線を描く軌道上に、突如として水の網が現れ、ヒナを優しく受け止めた。
「ふう……なんとか間に合った」
リアマイムが安堵の息をつく。
その隙に瑞季はデシリル・アンプにデシリル・ジェムを素早く嵌め込み、リアハイリンに変身した。
そして、ナーサを睨む。
「こっちが戦闘体勢に入る前に攻めてくるなんて、卑怯だね。悪役ってのはこういうときに待たなきゃいけないんだよ?」
「なんだそれ」
ナーサは鼻で笑っていた。
「敵を前にしてのうのうと突っ立っているあんたたちが悪い」
「あのねえ……!」
リアハイリンは文句を言おうとしたが、スレイヴが再び拳を振り下ろしたため、口を閉じる。両腕を交差させて、正面から受け止めた。その力は強く、リアハイリンの立つ地面が抉れてしまうが、受け決め取れないほどではなかった。拳を上へと力強く弾き返すと、そのまま、スレイヴの懐へと一気に潜り込む。
「ごめんね、星輝」
スレイヴを攻撃するとダメージが蓄積されるが、素体が傷つくことはない。だから遠慮をすることはないと、ヒナから聞いていた。
リアハイリンは身体を鋭く捻りながら跳び、スレイヴのおなかへ、回し蹴りを叩き込んだ。
重い手応えがあった。
だが、悲鳴を上げたのは怪物ではなかった。
「が、はっ……!!」
星輝の声だ。
まるで内臓を蹴り上げられたかのように、彼女の声が苦悶に歪み、途切れた。
この場にいる全員が困惑していた。
リアハイリンに強烈な蹴りを叩き込まれ、地面に寝そべったままのスレイヴがゆっくりと起き上がるのを、呆然と眺めていることしかできない。
最初に口を開けたのはナーサだった。彼女は「ハハハ」と笑い声を漏らす。
「これは深刻なバグだな。素体の意識があるのにスレイヴの操作はできず、しかしスレイヴのダメージが素体に伝わってしまうとは。いやあ、ひどいバグだ」
スレイヴを浄化するためには、攻撃を与えて弱らせ、素体の声が聞こえる状態にする必要がある。通常であれば素体は単なるエネルギー源であり、いくら攻撃を受けても痛みはないし、目を覚ますこともない。
しかし、今回に至っては、攻撃を与えることで素体である星輝に痛みが伝わってしまう。
「こんなの……攻撃できるはずないよ」
「動くな……止まれ……」
星輝の声は息絶え絶えだった。声は苦しいのに、身体にはまだ一撃しかダメージが入っていない。スレイヴは身体を捻りながら低く跳躍し、リアハイリンへ蹴りを入れた。絶望に打たれ立ち尽くすリアハイリンの腕に当たる直前で水の盾が現れ、スレイヴの蹴りを受け止める。
「ハイリン!」
リアマイムの呼び声を聞いても、リアハイリンは動けなかった。いくら考えども解決策が思い浮かばない。今にも泣き出しそうな顔でスレイヴを見上げることしかできなかった。
「ハイリン……」
星輝の掠れた声が聞こえてきた。
「ウチのことは気にするな……! スレイヴを倒してくれ!」
「でも」
いくら訴えられても、大切な友達を痛みつける勇気なんて、リアハイリンは持ち合わせていない。
スレイヴは動きを止めていた。リアハイリンを挑発するように、じっと見下ろしている。
隙だらけだ。だが、殴れない。
殴れば、星輝が傷つく。
「そんなに痛みつけてほしいなら、あたしがやってやるよ」
言葉が終わるより速く、地面から巨大な土槍が突き出した。
喉が裂けんばかりの絶叫。
スレイヴの顎を土の槍が打ち砕き、さらにナーサの黒槍が横腹を深々と貫いていた。
「どうだ? 気持ちいいか?」
「やめて!」
リアハイリンが飛びかかるが、ナーサは黒槍で軽くあしらう。
そこへリアマイムの水柱が迫るが、ナーサはそれさえも利用した。
槍で軌道を逸らし、あろうことかスレイヴの太ももへ直撃させたのだ。
断末魔と共に、スレイヴが地面に激突する。
その強大なダメージにより、とうとうスレイヴの声が、リアハイリンたちの脳内に漏れ出し始めた。
《……才能も、資格もない……》
正真正銘の星輝の黒感情。
ナーサが「あーあ」と口元を歪める。
「この程度で心が聞こえちゃったか。素体に直接ダメージが入ってるから、消費も激しいんだろうな」
スレイヴは心の声を発し続ける。
《ウチみたいな心の汚い人間が……ヒーポンになんて、なれるはずがない》
「やめ……ろ……」
星輝は必死で抑えようとするが、心の決壊は止まらない。
《学校なんてクソ喰らえだ……。将来、ちゃんとお金を稼げるようになるために一生懸命勉強しろだなんて、偉そうなこと言うくせに……。今、家族を支えるために必要なお金稼ぎさえ、許しちゃくれないんだ……。ウチは長女として……男手ひとつで、五人家族を必死で支えてくれてる父ちゃんの負担を、少しでも減らしてやりたいだけなのに……! おかしいだろ、こんなのっ!!》
すなわち、星輝には母親がいないということ。
その事実を、リアハイリンは今まで知らなかった。
世帯主ひとりの収入で、育ち盛りの子ども四人を育てるのは厳しいことだろう、と想像するのは、ただの中学生であるリアハイリンにも容易い。彼女の両親は共働きで、一人娘の瑞季を育てるだけでも、金銭に余裕があるとは言えなかった。星輝の家庭では、瑞季の家庭より何倍も厳しいはずだ。
星輝がそのような事情を抱えていることなんて、考えたこともなかった。きっと、星輝は周囲にそのような事情を隠していたいのだろう。恨み節を吐く姿なんて見たことがない。
思わず、隣に立つリアマイムに目を向ける。彼女の顔には驚きの色は見えず、悲しみの色だけが浮かんでいた。おそらく優菜は、星輝の家庭の事情を少なからず知っていたのだろう。
リアマイムは、静かに尋ねる。
「学校が嫌いなの? 星輝」
「嫌いなわけない! 瑞季や優菜……みんながいる、あの場所が嫌いなわけ……!」
星輝本人の否定。
だが、黒い感情は残酷に嗤った。
《嫌いだ》
スレイヴがよろりと立ち上がる。
《どうせ、ウチはデシリアになれない。嗤えよ、この哀れな女を》
嗤えるはずなどない。
《……ああ、そうか。せっかくだから、教えてやるよ》
スレイヴは投げやりに感情を吐露し続ける。
《莉照のスレイヴが学校で暴れていたとき、ハイリンたちを助けたいと思いながら、ウチはこうも思っていた》
「やめろ! やめてくれ!」
星輝本人の制止の声をも無視し、彼女の心の奥底の闇は、言い切った。
《学校なんてなくなればいい。このまま、全部ぶっ壊してくれればいいのに。ってさ》
彼女の抱える闇の深さに、リアハイリンもリアマイムも、何も言い出せずにいた。
《ウチの名前を、キラキラネームだってからかう奴もいるし、母親がいないからって馬鹿にしてくる奴もいる。父ちゃんが忙しい中無理して授業参観に来たときだって、『お前の親だけなんで父親なんだよ、暇なのか』とか『お前の変な名前を考えた奴の顔が見たいと思ってたけど、夢が叶った』だの、無神経なことばっかり言ってくる奴もいる……。なんで! なんで、父ちゃんが汗水垂らして稼いだ貴重なお金を削って、そんなところに行かなきゃならねえんだよ!》
星輝本人の声は、もう聞こえない。
昨日、星輝はバンド仲間の先輩に名前をいじられていた。星輝は笑って返答していたが、本当は少なからず傷ついていたのだかもしれない。その傷を人に見せないよう、笑顔で隠しながら。
リアハイリンは思う。
……私が見ていないところで、星輝は何度も傷ついていたのかも。もしかしたら、私も気づかないうちに、悪気なく星輝のことを傷つけてしまっていたことだって——。
「……」
誰も喋らなくなった。スレイヴの唸り声だけが辺りに響いている。リアハイリンには、それが咽び泣く音にも聞こえた。
スレイヴはどす黒い殺意を拳に乗せながら、リアハイリンへ一歩一歩にじり寄っていく。
彼女はただ、スレイヴを見上げ続けていた。
スレイヴは、おもむろに右手を引く。
離れた場所にいるリアマイムは、水の盾を展開しようとした。しかし——。
「マイム! 手を出さないで!」
「でも!」
「いいからっ! 私が倒れるまでは、手を出さないで……!」
リアハイリンは、真正面からスレイヴを見据えた。
その拳が振り下ろされる。
防御した腕の骨が軋む。
だが、退かない。
「星輝……あなたの気持ちはよく分かった。そんな星輝も含めて、私は、星輝のすべてを受け入れる!」
左の拳が来る。
衝撃を受け止めきれず、左半身が河川敷の砂利で削れた。
焼けるような痛みを噛み殺し、再び立ち上がる。
「ハイリン……! 逃げてくれ! ウチみたいな汚い奴に構うことはない! 早く逃げろ!」
「逃げない!!」
右、左、右。
無慈悲な連打を、傷だらけの体で受け止める。
「汚くなんかない……! 家族を想う優しさが、汚いわけない!」
そう言い切った瞬間、スレイヴは左足を大きく一歩前に踏み出し、リアハイリンを蹴り上げた。
宙へと高く浮き上がる。
もはや落下をコントロールするような余力すらもない。
地面に叩きつけられる衝撃。肺の空気が強制的に吐き出される。
それでも、彼女は立ち上がる。
「私だって……! 後ろめたい悩みとか、色々あるんだよ……! 星輝や優菜にも言えないような情けないところも、たくさんある……! 朝起きるのがだるいからって、学校に巨大な隕石が落ちて爆発すればいいのに、なんて毎朝のように思ってる……! こんな自分がヒーローみたいになってるなんて、いつ考えても嘘みたいだよ。ヒーローアニメで見た、キラキラした主人公たちとは大違い。それでも私は、こうしてデシリアになれたんだ……!」
《それなら……。それなら、なんでウチだけが、なれないんだよ……。やっぱり、ウチにはデシリアになるだけの、才能がないんだ! 資格がないんだっ!!》
悲痛な叫び。
それを、ヒーローは優しく受け止める。
「……星輝。自分を信じてあげて。私は、自分を信じてデシリアになった。だから、星輝ももっと自分の心を許して、信じてあげて! 私も優菜も、星輝を信じてる!」
ボロボロの右手を、力強く差し伸べる。
初めて出会ったヒーローの言葉を、今、大切な友達へ。
「だいじょうぶ。あなたには、私たちがいる」
スレイヴが両手を組み、ハンマーのように振りかぶる。
大地を割る轟音。
ボロボロの彼女がそれに耐えられるはずがなく、地面に叩きつけられ、うつ伏せのまま動かなくなった。




