第七話「選ばれなかった者たち」-6-
リアハイリン目掛けて、ナーサが低い姿勢で駆けてきた。その手には、不気味な緑色の光を放つ、長大な黒槍が握られている。
「マイムは後ろから支援をお願い!」
「うん、分かった!」
リアハイリンは短く指示を出すと、ナーサへと迎撃に向かった。
木のスレイヴから距離を取りつつ、鋭角に踏み込む。
だが、ナーサはその動きを読んでいたかのように、カウンターで黒槍を突き出した。
穂先が喉元を襲う。リアハイリンは首を捻り、紙一重で回避した。
リアハイリンのスピードなら回避は容易だ。しかし、あと一歩が踏み込めない。物理的な槍の長さ以上に、不可視の圧力が間合いを拒絶しているようだった。
「このままじゃジリ貧だね……!」
なんとかこちらの間合いに潜り込めないかと集中しながらも、リアハイリンは違和感を覚えていた。ナーサの武器には地のデシリル・ジェムが使われている。しかし、今のところ彼女の武器はただの黒い槍でしかない。
何かをまだ見せていないはずだ、と思ったとき、ナーサの肩越し十メートル先にリアマイムの姿が見えた。リアマイムは水の鞭を化現させ、振り下ろす。それはナーサの黒槍の石突の辺りに絡みつき、ナーサの身体を引っ張って体勢を崩した。
「ナイス!」
その隙に、手が届くところまで潜り込む。
いくらか力を抜いて、ナーサのおなかに拳を入れた。が、ナーサが水の鞭の引きちぎり、槍を盾にしたのが先だった。ナーサはアスファルトに靴底を擦りつけて後退する。
「……邪魔だ」
低い声でナーサが一言吐くと、彼女は黒槍を、地面に突き刺した。
その、一秒後。
「マイムっ!」
リアハイリンの絶叫が響く。
視界の端で、リアマイムの身体が空高く跳ね上げられていた。
彼女が立っていたアスファルトが爆ぜ、巨大な土色の槍となって突き上げられたのだ。
「な、何あれ……?」
「他人のことを気にしてる余裕があるのか?」
顎を砕くような衝撃。
視界が白から空色へ反転し、気づけば背中が地面に激突していた。
激痛に顔を歪めて目を開けると、眉間に緑色の刃が突きつけられている。
「これが、地の黒槍の力だ」
ナーサが冷ややかに見下ろしていた。
「もしかして、地面を操ったの?」
「正解。これはデシリル・アンプを武器にしたようなものだ。伝承にあるデシリアみたく自由自在に操ることはできないけど、それでも、あんたたちみたいなひよっこを相手にするには、充分だよ」
その瞬間、リアハイリンの視界がぐらりと大きく揺れた。横から、猛烈な勢いで吹き飛ばされたのだ。ナーサの槍の先から離れながら、ひんやりとした冷たい水飛沫を、その顔に感じていた。
そして、リアマイムの水の柱で、遠くまで吹き飛ばされた彼女は、柔らかい水のクッションに半身を優しく包まれ、なんとか着地した。
「クソッ」
ナーサが再び黒槍を地面に強く突き刺す。
次に何が起こるのかは、予測がついた。地面から襲いかかる土の柱を、両手で正面から受け止め、軽くジャンプする。突き上げてくる柱の勢いを利用し、彼女は空高く舞い上がった。
「地面からの襲ってくるなら、空にいればいい」
羽のように軽くした身体を、鉛のように重たくしようとする。
しかし、彼女は視界の左端に何かの気配を捉え、それを掴む。スレイヴの蔓だ。身体の軽いリアハイリンは蔓を掴んだまま飛ばされ、信号機を越えた。
そこで彼女は身体を重たくし、蔓を引っ張る。信号機の付け根に蔓がかけられ、滑車の原理でスレイヴの身体が持ち上がった。さらに強く蔓を引っ張りながらアスファルトへ落ちていくと、スレイヴの身体が勢いよく宙に打ち上がる。
蔓が信号機から離れると、さらに引っ張り、スレイヴの巨体を地面に叩きつけた。地響きするほどの轟音とともにアスファルトが大きく割れ、背中を強く打ち付けたスレイヴはそのまま動かなくなった。
「……なかなか、どぎつい攻撃するんだね。ひえっ」
どこか他人事のようにリアクションを取っていたナーサ。
リアハイリンは再び一直線に跳び、その右の拳を、力いっぱい振り抜いた。
ナーサに黒槍で受け止められる。
だが、リアハイリンの全力の一撃は、生身の少女の力だけで正面から受け止めきれるほど、弱くない。
「ぐっ……!」
後方へ吹き飛ばされるナーサへ跳びかかる。今度はお腹へ拳を叩き込んだ。今度こそ拳が胴体に当たり、ナーサは勢いよく吹き飛び、ビルの冷たい壁に背中を強かに打ちつけた。
「……どうしたの? その程度? 槍を振り回すしか能がないんだね」
ナーサはゲホゲホと苦しげに咳をしながら、左手を地面について着地する。
「どうやら、あたしだけじゃ敵わないみたいだね……」
その表情は苦痛で歪んでいた。
白い歯を見せながら。
「まあ、想定内だけど」
次の瞬間、世界がひっくり返った。
「!?」
地面があるはずの場所に空があり、足が宙を掻く。
いや、違う。吊るされているのだ。
いつの間にか足首に絡みついた無数の蔓が、リアハイリンを逆さまに吊り上げ、自由を奪っていた。
「くっ……!」
もがこうとするが、蔓は蛇のように全身を這い上がり、腰から首元までを瞬く間に拘束する。
蔓の出処は、アスファルトの裂け目。倒れていたはずのスレイヴが、根のように枝を張り巡らせていたのだ。
「マイムっ!!」
叫んだ途端、口にも蔓が巻かれ、強制的に視線を横に向けさせられる。そこには、同じように簀巻きにされたリアマイムとヒナの姿があった。
「んんっ……! んーっ!」
「打ち負かさなくても、動きを封じてデシリル・ジェムとアンプさえ奪えっちゃえば、あたしの勝ちだろ?」
ナーサは悠々とリアハイリンの元へ歩き、リアハイリンの腰のポーチを弄り始めた。ナーサがポーチからデシリル・アンプを抜き取ると、リアハイリンの身体から弱々しい光が発生し、変身が解けてしまう。その瞬間、わずかに身体と蔓の間に隙間が生まれたが、行動を起こす前に強く締め付けられた。その際に口元の蔓がずれ、瑞季は口を動かす自由だけを手に入れた。
「まさか、ヒナに挨拶したいって言ってたのは……」
「やっと気づいた? よく考えられて偉いねえ」
瑞季に顔を向けることもせず、ナーサはリアマイムたちへ余裕綽々な歩みで進んでいく。
「王子。気分はどう?」
ヒナは答えない。鋭い眼差しでナーサを睨んでいた。
「空の邦の精霊は実態が薄いから、人形の中にいないと形を保てないんだっけ。猫のぬいぐるみに睨まれても迫力がないね。だからこそ、メルキーヴァさんは油断して出し抜かれたのかもしれないけど」
ナーサは涼しい顔で、リアマイムの腰のポーチを開ける。
それまで黙っていたヒナが声を出した。
「……ナーサ、と言ったかニャ」
「王族に覚えられるなんて光栄だね」
彼女は、リアマイムのポーチからデシリル・アンプを乱暴に取り上げた。すると、リアマイムの身体からも淡い青い光が発生し、変身が解けてしまった。
「……メルキーヴァが油断していたと言ったけど」
ヒナは静かに、確信に満ちた言葉を放つ。
「油断しているのは、おぬしもだニャ」
ナーサの身体に、何かが勢いよく衝突した。彼女の手から、ふたつの大切なデシリル・アンプが離れ、宙を舞う。
「なっ!?」
「不意打ち成功!」
背後から忍び寄っていた星輝が、しなやかな動きで体当たりを喰らわせたのだ。そして、ふたつのデシリル・アンプを、見事に空中で掴み取った。
「クソッ!」
ナーサはすぐさま体勢を整え、その手に地の黒槍を化現させた。
「雑魚が調子に乗るんじゃねえぞ!!」
ナーサは星輝へ、黒槍を力任せに薙ぎ払う。だが、星輝はその大振りな攻撃を身軽に避け、バネのように後方へと跳ねて距離を開けた。
「ほら、また意識が余所に向いてるぜ」
星輝にそう言われ、ナーサはハッと振り返り、気づく。不意のタックルをされたため、変身が解けた優菜を蔓で締め付けるのを忘れていたことを。
優菜はわずかな隙間を利用して、拘束を抜け出していた。
そして、右手を天へと上げている。
星輝は、ナーサの死角からデシリル・アンプを投げた。
ナーサも慌てて手を伸ばす。
しかし届かず、デシリル・アンプは、優菜の手に収まった。
そして、優菜は再びリアマイムへと変身する。
「ふざけやがって……!」
ナーサは目を血走らせながら、リアマイムへ駆けていく。
また、ヒナはナーサが目を離した隙にコンパクトミラーに変化して脱出しており、リアマイムに合流した。
ナーサによる木の棘が、アスファルトを突き抜け生えてくるが、リアマイムは水流の盾で棘を曲げた。ヒナを抱えながら、ナーサを中心とした円周を描くように走り、捕らえられた瑞季へ向かっていく。
「マイム。ぼくを抱えていると動きにくいと思うから、今から鏡に変化するニャ。そしたら、ぼくを星輝に向かって投げるニャ」
「分かった!」
ヒナはコンパクトミラーとなり、リアマイムの手に収まった。彼女は四方八方から迫る木の棘を躱しながら棘の上に登り、星輝へ鏡を投擲する。
星輝の手元でぬいぐるみに戻り、無事に合流を果たす。
それを見届け、リアマイムはさらに加速する。
「クソ!」
ナーサが再び地面に黒槍を突き立てる。
「そうするよね」
だが、リアマイムは止まらない。走りながら、巨大な水の盾を地面に敷くように展開した。
地下で何かが爆ぜる音がした。
ナーサが繰り出した土の槍は、分厚い水圧に阻まれ、地表に出ることなく自壊したのだ。
「なめやがって!」
舌打ちするナーサを置き去りに、リアマイムは瑞季の元へ到達していた。
絡みつく蔓を引きちぎり、足元に水柱を発生させる。
水圧で打ち上げられた瑞季を空中でキャッチし、さらに高く跳躍した。
「おまたせ」
「ありがとう、マイム」
リアマイムはさらに地面へ水の柱を放ち、さらに高く跳ぶ。ヒナが、ナーサに気づかれないよう、高くから近寄ってきていたからだ。
「ナイス、ヒナ」
瑞季は抱っこされたまま、ヒナからデシリル・アンプを受け取る。そして、リアマイムの腕の中で再び変身を遂げた。
だが、着地したふたりの視線の先で、ナーサが嗤っていた。
彼女の指先が、スレイヴを操る指揮者のように動いている。その視線の先には——。
「——しまった!!」
ふたりが気づいたときには、スレイヴの巨体が星輝の目前に迫っていた。
救出に行こうとするが、行く手を巨大な土壁が塞ぐ。
「星輝っ!!」
壁を粉砕するのに二秒。
だが、その二秒が致命的だと思った。
しかし。
土煙の向こうに見えたのは、惨劇ではなかった。
小柄な少女の、どこまでも頼もしい背中。
右手に握りしめられた赤い宝石。
「今ならいけるかな……いや、いけるはずだ」
星輝は、目前に迫る怪物から目を逸らさない。
今こそ、「デシリアになるためには、近くに精霊がいる必要があるんじゃないか」という仮説を証明するとき。
星輝は、赤いデシリル・ジェムを、手のひらに食い込むほど握りしめ、祈るように自らの胸に当てた。
これまで通り、一般人として裏方に回ることで相手の意表をつくのも悪くない。でも——。
「ウチだって、デシリアになりたい!」
心の底から口にした、そのとき。星輝の心の奥底にある、濁った色の何かが、彼女の胸に、鋭い疼痛を生じさせた。
痛みに左目を強く閉じさせられつつも、星輝は絶叫した。
「——デシリル・ジェムっ! 頼むから……! 応えてくれぇぇぇっ!!」




