第七話「選ばれなかった者たち」-5-
先ほどまでの下校風景が嘘のように、瑞季たちの耳には不穏な破壊音と人々の悲鳴が届き始めていた。黒い煙がオフィス街の一角から天高く上がっている。向かうべき場所は、嫌でも分かりやすかった。アスファルトを必死で蹴り続けると、ついに惨状の渦中へとたどり着いた。
黒紫色の異形の怪物——スレイヴが暴れている。背丈は六メートルほどだろうか。
瑞季は、そのスレイヴのおぞましい姿に違和感を覚えるよりも先に、近くの街灯の上に、まるで女王様のように優雅に座り、その光景を眺めるひとりの少女の姿に、目が吸い寄せられていた。
磨き上げられた陶器のような、透き通るほど白い肌。切れ長の鋭い瞳。瑞季には、高校生くらいに見えた。その髪は、向かって右側が深い黒色、左側が薄く紫がかった銀色という、ツートンカラーのウルフカット。黒色の部分には銀色のメッシュが、銀色の部分には黒色のメッシュが、それぞれ複数本、無造作に走っている。
黒い襟付きのブラウスに、首元には紫色のネクタイが結ばれていた。下は、ブラウスと同じ黒色のミニスカート。どこかパンク系の、攻撃的なヘアスタイルとは対照的に、服装そのものは、品良くまとめられている。
組まれた細く長い脚は、見る者を惹きつけるしなやかさを持っていた。背中を少しだけ気怠そうに丸め、右膝の上に優雅に左肘を立て、そして、その美しい手の甲に、そっと顎を乗せている。その、どこか退屈そうな姿勢のまま、少女は切れ長の目をゆっくりと瑞季たちへと向けた。
「へえ。あんたたちがデシリア? 噂には聞いてたけど、本当に子供だったんだ」
その声は透き通るように美しくも、棘のある響きが込められていた。
「あなたは……」
優菜が、警戒しながら問いかける。
「あたしはナーサ。メルキーヴァさんの後任だ。よろしくね」
言葉とは裏腹に声は平坦で、右目で瑞季たちを見下し続けていた。土を這う虫を見るような冷たい瞳だった。
「ほあ、突っ立ってないで戦いなよ。町が壊されていくよ」
ナーサは、暴れ狂うスレイヴを顎で指し示した。
そのスレイヴは異質だった。
今まで見てきたスレイヴは人の形をしていた。しかし、今回のスレイヴは、木を無理やり人っぽい形に改造したようだった。
不気味な身体をぎしぎしと揺らし、右腕じみた太い幹を、近くにあったビル壁へとぶつける。木が生きているかのようにうねうねと動くその様は、魔法の世界の映画のワンシーンのようだった。
「瑞季……。あのスレイヴ、今までのと何か違う」
「うん。まあ、なんでもいいよ。だって、」
「——どちらにせよ浄化するだけだから。でしょ?」
優菜が、瑞季の言葉を引き継ぐように、きっぱりと言った。
「正解」
ふたりは互いに顔を見合わせ、頷き合う。それぞれのバッグから、デシリル・ジェムとデシリル・アンプを同時に取り出し、セットした。そして、瑞季は純白の、優菜は水色の、気高き戦士の姿へと、瞬く間に変貌していた。
「『デシリアの 穢れを裁く魂は 如何なる者にも染められない。透き通る心、リアハイリン!』」
「『デシリアの 水面たゆたう魂は 如何なる者にも穢されない。澄み渡る心、リアマイム!』」
リアハイリンとリアマイムは、口上を終えると同時に地を蹴った。
特にリアハイリンの加速は、リアマイムの倍近い。
スレイヴが反応し、その巨躯を動かそうとした——その瞬間にはもう、丸太のような胴体が「く」の字に折れ曲がっていた。
遅れて、激しい衝撃音が空気を震わせる。
スレイヴが認識するよりも速く、リアハイリンが懐に潜り込み、その胴を蹴り抜いたのだ。巨体はたまらず数メートルも後退させられていた。
「ふーん。なかなか速いね」
ナーサの声に目を向ける。彼女は先ほどと同じ体勢で、こちらを眺めているだけだった。
「もうひとつのデシリル・ジェムはどこだ? 王子が持ってるのか?」
「教えない」
短く吐き捨て、再びスレイヴへ視線を戻した。
スレイヴは体勢を立て直し、今度は腕から生えた何本もの鋭く尖った蔓の鞭を、リアハイリン目掛けて振り下ろそうとしていた。
「王子に挨拶させてよ」
リアハイリンは、戦いながらナーサの話に耳だけを向ける。
「噂には聞いてるんだけど、会ったことないんだよね。なんたって王子がこっちに来た八年前、あたしはまだ小さかったから」
振るわれる鞭を避けながら、リアハイリンはちらりとナーサを見た。
「危害を加える気はないよ。挨拶くらいさせてくれもいいんじゃない?」
リアハイリンは戸惑っていた。メルキーヴァが「今は王子に危害を加えるつもりはない」と宣言したときは、確かに何もされなかった。彼は相手に嘘をつく性格ではなかった。だからといって、ナーサを信じていいものか、リアハイリンには判断ができない。
後方の建物の影に隠れている星輝へ、目を向ける。
星輝が持つ瑞季のバッグのチャックが、ひとりでに開いたかと思うと、中からヒナがぴょこんと姿を現した。ヒナはふわりと空を飛び、物陰から堂々と出ていく
「空の邦の王子なら、ここにいるニャ。おぬしのような子供にまでこのようなことをさせるとは……。ヘヴンとは残忍な組織なんだニャ」
すると、スレイヴが制止した。リアハイリンとリアマイムは何かの予兆かと思い距離を取る。しかし、ナーサが棒読みで話すだけだった。
「これはこれは。お目にかかることができて光栄です、空の邦の王子様」
言葉とは裏腹に、彼女は頭を下げることもせず、脚を組み直した。
「おかげさまで、あたしたちの世界の民は八年も待ち惚けていますよ。お言葉ですが、あたしはね、この任務をさせられてるんじゃないの。自分から志願してやってる。勘違いすんな」
ピクピクと、ナーサの白い左頬が痙攣している。深い怒りが見え隠れしていた。
「志願? どうしてニャ」
「さあね。自分で考えてみれば?」
ナーサは嫌味ったらしく、大袈裟に肩をすくめる。
「それにさ、子供に戦わせてるのは、あんたもでしょ? お互い様じゃない?」
「それは……」
そこへ、リアハイリンは力強く叫ぶ。
「私たちはヒナに戦わされてるんじゃない! 自分の意志で、自分の正義を貫いてるだけ!」
ナーサはそんなリアハイリンをしばらく睨んだが、「まあ、なんでもいいや」と一笑した。
「あんたらのことなんて興味ないし。それよりさ、王子。火のデシリル・ジェム見せてよ。あたし赤も好きなんだよね」
「見せるわけないニャ」
パァンッ!
乾いた破裂音が鼓膜を叩き、ヒナの目の前の空間が爆ぜた。
いや、弾けたのは空間ではない。
いつの間にか展開されていたリアマイムの『水の盾』が、見えない何かの衝撃を受け止め、飛沫を散らしていたのだ。
「……マイム! ありがとうニャ!」
ヒナが、安堵の声を上げる。
スレイヴが振るった鞭は音速に達し、その一撃はヒナの身体に届くよりも先に、衝撃音を置き去りにしていたのだ。盾がなければ、ヒナは今頃無事ではない。
「どうしたしまして。結構攻撃範囲が広いみたいだから、下がってた方がいいかも。挨拶は済んだでしょ?」
「すまないニャ。お言葉に甘えさせてもらうニャ」
「王子。まさか隠れるなんてしないよなあ」
ナーサは呆れるような身振りをしながらヒナたちを見下していた。
「あんたに攻撃はしないでやるから、お仲間が倒れていくのをその目でしかと拝むんだな。それが王族の義務ってもんじゃない?」
「ヒナ。挑発に乗る必要はないよ」
リアマイムが静かにヒナを諭す。
しかし、ヒナは首を横に振った。
「……マイム。彼女の言う通りだニャ。ぼくがこのままバッグに隠れたら星輝が狙われかねないニャ」
ヒナの言う通り、星輝が襲われて人質になってしまえば状況は最悪だ。それに、星輝のことをまるで気にしないナーサは、おそらく彼女が火のデシリル・ジェムを持っていることに気づいていない。それであれば、ヒナが星輝の近くにいるより、リアマイムの近くにいた方が星輝は安全だろう。
「分かった。できるかぎり一緒に行動しましょう。星輝は引き続き隠れてて」
「了解ニャ」
「了解」
スレイヴが再び蔓の鞭をうねらせる。だが、リアマイムは水の盾をあえて防御に使わず、放り投げた。
回転する水の円盤がスレイヴの顔面で弾け、視界を塞ぐ。
その隙を見逃すはずもない。リアハイリンが滑り込み、軸足を刈り取るようなローキックを見舞う。
ズドン、と地響きを立て、スレイヴがアスファルトに背中から倒れ込んだ。
だが、その衝撃で舞い上がった街路樹の葉が、不自然に宙で静止する。
「ッ!」
直後、リアハイリンの頬から鮮血が飛んだ。
斬撃。
舞い落ちる木の葉の一枚一枚が、高速回転する刃と化して襲いかかってきたのだ。
動体視力に長けるリアハイリンでも、それらの動きのすべてを目で捉えることはできなかった。十数枚の刃をかわした後、彼女の腕にピリッとした痛みが走る。
次の瞬間、彼女の視界一面にバケツをひっくり返したような水が落ちてきた。軽い葉たちは水の重さに耐えきれず、一斉に力なく地面に落ちていった。
「ありがとマイム」
その隙にスレイヴは立ちあがろうとしていた。
「させない」
リアハイリンはすぐさま駆け出し、がら空きの胸板に拳を深々と突き刺す。
めきめきと樹皮が砕け、スレイヴは再び地面へ縫い付けられた。
そのあまりにもあっけない手応えに、リアハイリンは違和感を覚える。
「……意外と弱い?」
攻撃の威力も速さも、莉照のスレイヴとは比べ物にならない。後隙も大きい。
スレイヴは再び身体を上げる。あえて追撃せずに眺めてみると、立ち上がるのに五秒ほどかかっていた。その上、立ち上がってからもふらふらとよろめいていた。ダメージの蓄積は進んでいるらしい。
リアハイリンの隣に、リアマイムとヒナがやってきた。
「ここまで順調だね」
「うむ! ふたりとも、実に、見事な戦いぶりだニャ!」
「うん。でも、あまりに順調すぎて不気味かも」
まだまだ油断はできない、とリアハイリンは唾を飲み、スレイヴへ手を伸ばす。
「あなたの心を、聞かせて」
「心?」
ナーサがほくそ笑む。
そして、彼女はリアハイリンたちが思いもよらなかったことを言った。
「そんなものないよ。ただの木なんだから」
ふたりは驚き、街灯の上に座るナーサへ身体を向け、眉間に皺を寄せる。
「ただの木? 人が素体になってるんじゃないの?」
「あんたたちが今まで戦ってきたのは第二世代。人の黒感情を媒体とするスレイヴさ。でも、その子は第一世代のスレイヴ。なんでも素体にして思う通りに動かせるんだけど、いかんせん弱いんだよね。まあ、メルキーヴァさんに勝ったあんたたちなら、苦戦しないよな」
街灯の上に座っていたナーサが、ようやく重い腰を上げ、地面に降り立った。そして、腰につけたポーチから、黒くて細い、懐中電灯のような物体を取り出した。
「今日のメインディッシュは、あんたたちを倒すことじゃなくて、これを試すことさ」
ナーサはさらにポーチから何かを取り出し、それをリアハイリンたちに見せるように掲げた。太陽光を乱反射して輝く、ラウンド・ブリリアント・カットされた緑色の宝石だった。
「ニャ!? あ、あれは……! 地のデシリル・ジェムだニャ!」
「化現しな、地の黒槍」
ナーサは緑色のデシリル・ジェムを、右手の黒い物体に嵌め込んだ。すると、その物体は眩い深緑色の光を帯びながら、みるみる伸びていく。そして、二メートルもの黒い槍へと、その姿を変えたのだ。
緑色に輝く鋭利な切っ先が、リアハイリンたちに向けられる。
「せいぜい楽しませてくれよ。デシリア」




