第七話「選ばれなかった者たち」-2-
一時間目の授業を受けながら、星輝は眠気に耐えていた。
昨夜は遅くまでギターの練習をし、今朝は急遽朝ごはんを作り、幼稚園児の弟の送り迎えもした。既にクタクタだ。
薄れていく意識の中、次男の服のもつれが思い出される。
学校で何か言われてなきゃいいけど……。
「高梁」
「……あ、はい」
小池先生に呼ばれたことに気づき、彼女は顔を上げる。
「授業聞いてたか?」
「いえっさー」
「教科書の開いているページがまるで違うのにか?」
「小池っち先生の声だけに集中してるので」
星輝はいつも通りの笑顔を作る。
小池先生は真顔でその笑顔を見つめた後、教科書に目を戻した。
「では、今しがた説明したばかりの、『古池や』で始まる松尾芭蕉の有名な俳句を全文言ってみろ」
「あ! それ聞いたことある!」
もはや授業を聞いていないことの自白である。
「最近のバンドの歌だよな。『古い毛や 頭離れて いづこへと』」
「そのバンドを教えろ。俳句でクレームの手紙書いてやる」
すみません、と言って星輝は教科書をめくる。
「えーっと、何ページですか?」
「高梁」
彼女を見つめる小池先生の目には、かすかに心配の色が見えた。
「疲れているなら、無理に授業に参加する必要はない。保健室で休んでいてもいいんだぞ」
「……大丈夫です」
しばらく星輝の顔色を見てから「そうか」と呟き、小池先生は授業に戻った。
四時間目の授業が終わり、昼休みに入った。瑞季が伸びをする星輝に声をかける。
「お疲れ。今日、生徒会室でご飯食べる日だよね」
「ん? あー、そういえばそうだったな」
どこか上の空の様子で、星輝は机の右のフックにかけているバッグに手を入れた。
「……あ」
「ん? どうしたの?」
バッグを漁っていた星輝が、深いため息をついた。
「もしかして、お弁当忘れちゃった?」
瑞季が尋ねると、星輝は「ああ……」と力なく頷き、立ち上がった。
「購買で焼きそばパン買ってくるわ。先に生徒会室行ってて」
「はーい」
星輝は席を立って教室を出た。
優菜は日直のため黒板を消していた。そこへ、瑞季は声を掛けた。
「日直お疲れ。星輝、お弁当忘れちゃったみたいで。パン買ってくるから先に行ってて、って」
「そっか。じゃあ先に行きましょう」
ふたりは授業の話をしながら生徒会室へ向かう。途中で瑞季は「そういえば優菜とふたりで校内を歩くのは初めてかも」と思ったが、今の瑞季は学校のマドンナとふたりきりでも緊張はしなかった。
優菜が生徒会室に鍵を開けるのを見ながら、瑞季は「星輝、最近お弁当じゃないこと多いね」と言った。
「しかも購買で最安値の焼きそばパンかジャムパンばかり。好きなのかな」
「ちょっとでも安く済ませたいんじゃないんだと思う」
思えば、瑞季もお弁当がなければ一番安いパンで済ませているかもしれない。財布を毎日のお昼で圧迫する行為は、なけなしのお小遣いで生きるオタクには命取りとなりかねないのだから。
「ギターも、弦とかピックは消耗品らしいし、大変そうだね」
「うん」
沈むような相槌だった。
瑞季は気になったが、尋ねる前に優菜が「今日ちょっと疲れてそうだったから心配だね」と言い、生徒会室の戸を開けた。
「そうなの?」
「うん。だって、小池先生に敬語使ってたし」
「星輝の疲労の基準それでいいの?」
優菜は口元に手を当てて上品に笑う。
「冗談。でも、ちょっと疲れてそうだったのは本当だよ」
「そっかー。何かあったのかな」
「星輝はあまり気を使ってほしくないと思うから、そっと見守っておきましょう」
瑞季は、星輝に「今日何かあった?」と聞く気満々だった。優菜の一言を聞き、考えを改め直す。
身近な友達にも踏み入れられたくない領域は、誰にでもあるだろう。そこに勝手に足を踏み入れるのは野暮というものだ。
瑞季はいつもの席に座る。
「そうだね。私たちは何も気づいてない。それでいいよね」
「うん」
優菜は生徒会室の奥にある小型の冷蔵庫を開いて野菜ジュースを取り出し、いつものように星輝の席に置く。




