第六話「新たなヒーローの誕生を」-7-
メルキーヴァは暗い空間に背中から落とされた。
そこは、全面が冷たい黒で覆われた、ドーム状の広い空間。
天井は人間を十人縦に並べても届かないほど高い。窓はひとつもなく、照明は小さな電球がドームにぽつぽつと並んでいるだけであるため、薄暗かった。
この空間の入り口から、中央付近の王座へかけて赤いカーペットが敷かれており、メルキーヴァはカーペットの中央で倒れていた。
「おかえり」
無機質な声が聞こえ、メルキーヴァは倒れたまま頭を傾けた。
光を吸い込むほどの暗い外套を全身に包む、仮面の男——ジンが王座に深々と、退屈そうに腰をかけている。
「負けちまったよ、ジン」
「知っている。どんな気分だ」
「清々しい。どうしてだろうな。俺は結局、今の今まで一度もおまえの役に立たなかった。油断して空の邦の王子に出し抜かれ、計画に何年も遅延を発生させたし、こっちに来た後はデシリアを誕生させちまった。しかも、それを報告もせず、二番目のデシリアまで誕生させ、挙句の果てに、おまえに決闘場を作らせたのに、負けた。まさかこんなに汚点だらけの人生になるとはなあ。エリート街道を進んでたつもりなのに」
「それを自覚していながら、なぜ清々しい」
「黒感情を浄化されたからかもな」
メルキーヴァは冗談めかして笑うが、ジンは微動だにしない。その姿は、かつて民の心を動かした『英雄』のそれとも、メルキーヴァを魅了した若者とも思えぬ、冷酷なものだった。
「最後にひとつ頼みがある」
メルキーヴァは虚空を見上げる。
「俺を殺してくれ」
ジンは沈黙している。
「この清々しい気持ちのまま、死にたいんだ。役立たずを処刑すると思って、やってくれよ」
「承知した」
ジンは王座に立てかけていた黒い槍を手に取り、立ち上がる。落ちていたゴミでも処分しに行くかのように、静かにメルキーヴァへ歩いていく。
「最初はおまえも、俺を利用したがる奴らのひとりだと思っていた。ただ、どういうわけか、おまえについていけば、今までとは違う景色が見られる気がしたんだ。たった一年だったけど、本当に見られて驚いたよ。あの束の間の平穏を、覚えてるか? ……覚えてないか」
ジンは何も言わず、淡々とメルキーヴァの元に立ち、槍の切っ先を彼の心臓に突き立てた。
「これでよかったんだ」
メルキーヴァは、リアハイリンたちが莉照へかけた言葉を思い浮かべていた。
——あなたが今まで歩んできた道全部が、間違っていたわけじゃないよ。
「ジン。最後まで役に立たなくて、すまなかったな」
「時間稼ぎにはなった。感謝する。メルキーヴァ将軍」
その言葉には、一切の起伏がなかった。
彼は躊躇うことなく槍を突き刺す。肉を貫く鈍い音がかすかに響いた後は、一切の音を鳴らすことなく、メルキーヴァはゆっくりと瞼を閉じた。
◆
登校禁止期間は一週間で終わり、翌金曜日には登校することとなった。壊れた校舎はまだ完全に修繕されたわけではないが、授業をするには充分回復していた。
最初の登校日の昼休みに、瑞季たち三人と沙耶は校舎裏に来ていた。彼女たちの目の前には、莉照が虫の居所の悪そうな顔で立っている。
沙耶たちが来たのを確認すると、彼はすぐさま沙耶へ身体を向け、頭を下げた。
「ごめん!」
背筋はほとんど地面と平行だった。
彼女たち四人は莉照に呼び出されていた。正確には、呼び出されたのは沙耶ひとりで、彼らがふたりきりになるのは沙耶の心情的に難しそうだったので、瑞季たちもついてきたのだ。
「……」
沙耶は何も言わず、莉照の後頭部を見つめている。
「俺、自分に自信がなかったんだ。だから、自信をつけようと、クラスのみんなと仲良くなって、その……ヒーローになりたかった。もちろん、西沢とも仲良くなりたかった。西沢の力になりたかった。友達になりたかった。でも、俺のやり方は間違っていた……。許してくれ、なんて都合のいいことは言わない。せめて謝らせてくれ。ほんと、ごめん!」
「顔を上げて、莉照くん」
沙耶の声を聞いた後も、莉照は姿勢を変えなかった。その後、少しずつ頭を上げるが、視線は自身の足元に向かっていた。
沙耶も俯きながら、声を掛ける。
「その……友達になろうとしてくれたことは、嬉しい。でも、周りのみんなと仲良くなることばかりが幸せだとは、思ってない」
「うん」
「ひとりも好きだけど、最近は瑞季さんたちと一緒にいたりして、こっちもこっちで好き。だから、莉照くんや他のみんなと仲良くなることも、悪くないかなって」
沙耶と莉照は同時に頭を上げる。
しかし、沙耶はすぐに目を逸らした。
「でも、頭ではそう思うんだけど、心では、うまく受けいれられない部分もあって……。その……」
胸に右手を当てながら、沙耶は口をモゴモゴさせる。
唾を飲み、右手をきゅっと握り、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。できれば、もう話しかけないでください」
彼女はすぐに顔を上げ、莉照に目を向けることもなく去っていった。
◆
翌日の土曜日のお昼前、瑞季は待ち合わせのために公園にいた。先日のリベンジのため、沙耶と四人でカフェでパフェを食べる約束をしていたのだ。
待ち合わせ場所は、それぞれの家の方向を鑑みて、この公園がちょうどいいんじゃないかと瑞季が提案した。
しかし、彼女がここを提案した理由はそれだけじゃない。
ここが瑞季にとって大切な場所でもあったから。
この公園は、初めて瑞季が変身した場所。壊されたブランコや柵は撤去されているが、民家との外壁や地面は整えられていた。
待ち合わせの時間までは、まだ余裕があった。少し早めに行って待っていようと思っていたが、すでに優菜がベンチに座っていた。
「こんにちは。早いね、優菜。私も結構余裕を持ってきたんだけど」
「こんにちは。さっき来たばかりだよ。天気がいいから、こうやってひなたぼっこするのもいいかなって」
考え方がおしゃれだ、と呟きながら瑞季は優菜の隣に座る。
「沙耶、ちょっと遅れるって。どの服を着ていくか迷ってたら時間旅行してたみたい」
「かわいい理由だね。星輝は、たぶんギリギリに来るよ。……デシリアのことを抜きにすると、瑞季と私服で会うのは二度目かな」
「うん」
「今日は白い服なんだ。可愛いね」
「これ、星輝のライブに行くときに話してた、もう一着の方なんだ」
「あ〜。白か黒かって話してたね。着てくれたんだ」
「うん。優菜が見たいって言ってくれたから……」
「似合ってる」
月のような笑顔。顔が熱くなる。
いつもなら目を逸らすところだ。
でも、今日は違う。
「ありがとう」
瑞季は堂々と微笑んだ。
その後、優菜の予想に反し、一分も経たないうちに星輝が公園の入り口に姿を表した。
星輝が手を振ると、瑞季たちも手を振り返した。
「星輝、どうしたの? 早くない? 熱出てる?」
「ウチだって、たまにはウキウキして早く来ちゃうこともあるさ」
優菜たちが話している中、瑞季はふたりの小さな男の子が公園に入ってくるのを視界の端で捉えた。男の子たちのうちのひとりに既視感を覚えたが、それを思い出す前に、星輝がため息をつきながら優菜の隣に座って言った。
「昨日は後味が悪かったな」
「だね。でも、沙耶ちゃんが自分の気持ちに嘘をついて、上辺だけ和解するより、ずっと爽やかだったんじゃないかな」
「確かにな」
瑞季も頷いた。
きっと、あれで良かったのだろう。
心の傷は、謝罪程度で消えたりしないのだから。
瑞季は改めて、公園に入ってきた男の子を見た。小学生の低学年くらいだ。片方は大柄で、もう片方は小柄で華奢な子だった。
見覚えがあったのは小柄な子の方。
「あ」
瑞季は気づいた。
ショルダーバッグからヒナのコンパクトミラーを取り出す。
「ヒナ。あれって」
「ニャ?」
瑞季は鏡を傾け、男の子たちをヒナに見せた。
ふたりの少年がキャッチボールをしている。体格はずいぶん違うので別学年にも見えるが、ふたりの間の空気は、気の知れた同級生のそれだった。
「あの小柄な子、ここでスレイヴになってた子じゃない?」
「ニャ? あ! 本当だニャ」
テレビのヒーローに憧れていたが、それがテレビの中の虚像だと知り、落ちこんでいた少年——瑞季が初めて救った少年だ。
「くらえ! ファイアー・マグナム!」
少年が日曜日の朝のヒーローの技名を詠唱しながら投げたボールは、高い放物線を描くが、軌道が逸れていた。
大柄な少年は斜め前に進み、ボールをミットに納める。ボールが柔らかいためか、あまり音が鳴らない。
「龍之介。おまえ、まだテレビのヒーローなんかに憧れてるのかよ。実際にはいない、って前も言っただろ」
大柄な少年の言葉には、小馬鹿にするような調子が含まれていた。
ボールを投げる。彼の球は、龍之介と呼ばれた受け手の少年から、少し逸れていた。
「ううん。いるよ」
小柄な少年は駆け足で落下点まで下がり、キャッチする。
グローブで、自身の胸を叩いた。
「ぼくの中に、いるんだ」
グローブの中でボールをぎゅっと握り、大きく振りかぶった。
「もし、全部作り物だったとしても、そのときは、ぼくが本物のヒーロー第一号になるまでだ!」
これまでよりも一歩ぶん軸足を前に出し、力を乗せてボールを投げた。緩い放物線を描きながらも、もうひとりの少年の胸元にまっすぐ飛んでいく。柔らかい球のはずなのに、ミットが快音を鳴らした。
「じゃあ、おまえがピンチになったら、おれが颯爽と駆けつけて敵を蹴散らしてやるぜ!」
彼の投げた球は速く、受け止めた少年はグローブ越しの重みに右目を閉じた。グローブにはまったボールを掴み、少年は笑う。
もう一段足を踏み出し、投げ返した。
「よろしくね、ヒーロー二号!」
新たなヒーローの誕生を、瑞季は頬を綻ばせて眺めていた。
(第六話「新たなヒーローの誕生を」了)
第七話「選ばれなかった者たち」 2026/3/21 8:00投稿予定




