第六話「新たなヒーローの誕生を」-5-
「なっ——!?」
何が起こったのか、誰にも理解できなかった。
「マイム!?」
「よそ見してる場合?」
メルキーヴァの手が、今度は、リアハイリンへ。
その瞬間、水面に叩きつけられるような衝撃が全身に走った。
何が起こったのか分からぬまま、空中で無様に半回転して、右肩を柱に打ちつける。
左手で激しく痛む右の肩を押さえ、苦痛に歯を噛み締める
「その力は……」
「超能力、気功法、念動力……。呼び方はなんでもいい。そんなものさ」
「それは、あなたたちの世界の人みんな使えるの?」
「いいや、俺だけ。血の繋がった者は、もう全員死んだしな」
これまでずっとピエロじみた笑みを浮かべていた彼の表情に、初めて隙間風のような感情が現れた。
「物心ついたときから使えたのさ。でも、好きじゃなかった。ガキの喧嘩で使うと『卑怯者』呼ばわりだ。だから決めたんだよ。こんな力に頼らず、誰にも負けない男になってやるってな。そうして、腕っ節を鍛え続けて完成したのが、俺ってわけ」
言葉を紡ぐにつれて、徐々に彼の表情が、いつもの仮面のような笑みに戻っていく。まるで、その心の奥底にある本当の感情を、分厚い覆面で隠しているかのように。
「久々だよ。この力を使うに値する敵に出会えたのは。さあ、たっぷり楽しませておくれ」
痛みに耐えながら立ち上がるリアマイムは、沙耶がスレイヴにされてしまった日のことを思い出していた。下校途中、彼女のポケットからナイフがこぼれ落ちたが、あれはメルキーヴァの力による現象だったのだろう。
一旦、近くにあった巨大な石柱の影へと身を隠した。あのような目には見えない力の前に、平地ほど危険な場所はない。
——安全地帯なんてないだろうけど、ここなら気休めくらいにはなるはず。
隣の別の柱の影に、リアハイリンが息を切らしながら隠れているのが見えた。
ふたりは柱の影から、そっと顔を出し、互いに厳しい表情で目線を合わせる。リアハイリンの瞳には、「どうしよう?」と書かれていた。
「まずは様子を見ましょう。闇雲には攻められない」
「……そうだね。分かった」
リアハイリンは長く息を吐いた。よし、と呟き、リアマイムとは逆の方向へと飛び出していく。
地面に硬いものが強く当たり、石が派手に飛び散る音がした。
隠れるリアマイムからは彼女の姿が見えない。状況確認のため、わずかに顔を出す。
「!」
メルキーヴァがこちらに手のひらを向けていたのを見て、すぐに顔を引っ込めた。
背後の柱がひび割れる。
「おやおや。隠れてばかりじゃ勝てるものも勝てないよ、お嬢ちゃん」
その隙に、リアハイリンはメルキーヴァへ接近していた。
手を向けられるたびに、彼女は素早く身を翻しながら、少しずつ、確実に距離を詰めていく。
その手が届く位置までやってきて、歯を食いしばり、拳を放つ。
だが、メルキーヴァは嘲笑うかのように、ひらりと背後へと跳び、距離をあけて不可視の超能力を放った。
交差させた腕にそれが当たった直後、彼女は強風を受けた凧のように飛び上がった。身体が紙のように軽くなるのをイメージしたのだ。
リアマイムは、リアハイリンほど器用にイメージを力に変えることができなかった。
身体を鉛のように重たくして防御力を上げるなどのアクションが、まったくできないわけではないが、リアハイリンほど瞬発的に対応はできない。
手を向けられた瞬間に吹き飛ばされる今、自分にできることは何か——。
「——試してみよう」
意を決し、柱の影から飛び出した。
水の盾を展開させながら。
ゆらぐ水面越しにメルキーヴァの姿を捉え、リアマイムは盾で身を守りながら、走り出した。
盾に鉄球が投げられたような衝撃が連続する。しかし、止まらない。
衝撃を水のクッションで和らげながら突き進み、盾越しにメルキーヴァと押し合う形となった。
「頑丈な盾だね。でも」
メルキーヴァは見えない力をドリルのように一点に集中させ、突き刺した。
どれほど強固な水の盾といえども、一点に集中された強大な力には耐えられない。
拳ほどの大きさの穴が開き、メルキーヴァはその穴に両手の指を入れた。
「やっほー」
ドアをこじ開けるように、水の盾が無残に引き裂かれた。
だが、そこには誰もいなかった。
リアハイリンが隠れていた柱の陰へと逃げ込んでいたのだ。
彼女たちは、狭い柱の陰の中で、肩をそっと寄せ合う。
「大丈夫? マイム」
「うん。最初から破られる想定だったから。それより、聞いて。あの力は厄介だけど、直線的な動きしかできないと思う。それも、メルキーヴァから放出する動きに限らているんじゃないかな」
「え、どうして?」
「柱に隠れているときに攻撃されることはなかったし、曲線的な動きができるのなら、わたしの水の盾を正面から破る必要はなかったもの」
先程のリアマイムの突進は、それを確かめるためのものだった。
「そこで、アイデアがあるんだけど」
柱から飛び出してきたのは、巨大な水の盾だった。
その盾がメルキーヴァへと一直線に近づいていく。その揺らめく水面の向こう側には、かすかに白い影が見えた。
「なるほど。面白い作戦じゃないか」
メルキーヴァはその意図を瞬時に理解した。
超能力をただぶつけるだけでは、あの水の盾は破れない。破るためには、力を一点に集中させる必要がある。だが、そのドリル状の攻撃は、盾を一瞬で貫けるわけでもない。そのわずかな時間に、俊敏なリアハイリンならば攻撃を躱すことができるだろう。
メルキーヴァは水の盾に向かって、ドリル状の力をぶつけてみる。
すると、予想通り、リアハイリンは盾が完全に貫かれる瞬間に、ひらりと右へと避けていた。そして、新しい水の盾が作り上げられる。
「そのまま近づいて、最後には至近距離から必殺技を打つって戦法か。いいね。来なよ」
盾が消えた瞬間、光線が放たれるのだろう。
それであれば——。
「その一瞬で、狩る」
メルキーヴァは構える。距離は数メートル。
「『黒き感情、無に帰せよ。デシリア・クリア・スクリーム!』」
盾が破裂し、飛沫が舞う。
その瞬間、メルキーヴァは見えないドリルを打ち出した。
しかし、
「!!」
彼が攻撃した先には、誰もいなかった。デシリア・クリア・スクリームの光線も閃光も発生しない。
「——『黒き感情、流れゆけ』」
それは、五メートル背後からの囁き。
「——『デシリア・フライト・シャワー!!』」
「なに!?」
閃光と飛沫の拡散による、至近距離からの広範囲攻撃。
回避は不可能だ。
優菜が考案した作戦のゴールが、これだった。
——まず、わたしが盾を出す。ハイリンはその盾に隠れながら、盾越しに透けるメルキーヴァに近づく。そして、最後にデシリア・クリア・スクリームを至近距離から放ち、私は盾を消す。と、見せかけてハイリンは逃げてほしい。
——メルキーヴァはたぶん、まだ超能力を全力で放っていない。相手の力が底知れない状態で一番の技を出すのは、リスキーだと思うの。だから、盾による後方支援をしながら、わたしがメルキーヴァの背後に回り込み、必殺技を打つ。これまでずっと、ハイリンが前に出て、わたしが後方支援してた。だから、ハイリンがブラフでわたしの攻撃を本命にしたら、相手の裏をかけると思う。
デシリア・フライト・シャワーの飛沫にメルキーヴァが包まれるのを、リアマイムは確かに実感していた。身体の中から湧き出る力を出し尽くすと、飛沫と閃光がなくなり、砂煙やの飛沫の残滓が空気中に残る。
眩暈がし、足から力が抜け、膝をついた。
そんな彼女の肩に、リアハイリンのやわらかい手が触れた。
その瞬間、
「——惜しい」
全身を打つ衝撃。
わけもわからぬまま、背中を地面に引きずらせていた。
全身が燃えるような熱が這う。
「ハイ……リン……」
耐え難いほどの痛みに耐えながら、か細い声でその名を呼び、細目を開けると、すぐ隣で、リアハイリンも倒れていた。彼女へ必死で手を伸ばすと、彼女もまた、苦痛に顔を歪めながら、左目だけをかろうじて開けた。
「マイム……」
「……いやあ、今のは危なかったよ。見事な作戦だ」
足を引きずり、メルキーヴァが歩み寄る。左腕はだらりと垂れ下がっていた。
左半身を犠牲にして、致命傷を防いだのだ。
それは、戦いに身を捧げた者にしかできない判断。
歪んだ笑み。白い歯が不気味に光る。
「もう限界かな?」
リアハイリンとリアマイムは、互いの身体を支え合いながら、ゆっくりと立ち上がった。その間、メルキーヴァは何もせず、余裕の笑みを向けるだけだった。
「もう、動き回ることはできなさそうだね」
リアハイリンは、まだデシリア・クリア・スクリームを残している。正面からメルキーヴァの攻撃にぶつければ、まだ勝機はある。
しかし、メルキーヴァの動きを止めたり、確実に当てられるほど近づく術はない。避けられれば終わりだ。
「降参してくれれば、これ以上傷つけてやらずに済ませてあげてもいいけど、どうする?」
リアハイリンは、力なく俯いてしまう。
その姿は、メルキーヴァにもリアマイムにも、戦意を失い、絶望しているかのように、見えたことだろう。
しかし、リアハイリンは、静かにメルキーヴァを見上げた。
「……どうして、あなたはひとりなの?」
唐突な問い。
メルキーヴァの眉が動く。
「ずっと不思議だった。こっちの世界には、何人かで来てるんでしょ? なのに、その仲間は姿を見せない。あなたひとりだけが私たちの前に現れる。どうしてあなたは、ひとりで戦うの?」
「群れるのは嫌いなんでね」
吐き捨てるような一言。
メルキーヴァは続ける。
「俺は、ずっとひとりで生きてきた。団体の中でも孤独だった。その孤独こそが、俺を孤高の存在として強く育て上げたのさ。孤独の黒こそが、もっと強靭な力ってわけ」
どうしてだろう——。
リアハイリンには、彼の姿が、優菜たちと出会う前の自分と重なって見えた。本当は誰かとお喋りしていたかったのに、誰かと行動するよりも単独行動の方が楽だ、と嘯いていた頃の自分に。
リアハイリンのどこか同情するような視線。
メルキーヴァは腕を下ろた。
「ヘヴンのことなんて、どうでもいい。侵略も、故郷の勝利も、興味はない。俺は強い奴と戦えればそれでいい。だから、空の邦の王子を逃したことを償うために、率先して王子探しを買って出たふりをした。誰よりも早く、デシリアと戦うためにね」
リアハイリンはぼんやりと、今までの彼の行動を思い出していた。
確かに彼は、デシリル・ジェムとアンプの奪還よりも、彼女たちの実力を試すことを優先していた。
「ヘヴンのことがどうでもいいなら、どうしてヘヴンに協力しているの? 社員ではない、って言ってたよね」
「言っただろ? デシリアと戦うためって」
だが、リアハイリンは、静かに首を横に振った。
「それは矛盾してるよ。デシリアが生まれたのは、あなたがヒナを逃してしまったから。それなら、デシリアが生まれることは計画にはなかったはずだよ。それまでの間、あなたにはヘヴンに協力する理由がなかった。違う?」
「おまえには関係のないことだ」
これまで聞いた彼の声の中で、もっとも低く、棘のある音だった。
誰にも触れられたくない心の奥底の傷に触れられたような、拒絶の響き。
リアハイリンは、ふっ、と笑う。
「ようやく、あなたの本当の声が聞けた気がする。さあ、もっと話してよ」
「……また俺をスレイヴ扱いしていやがって」
彼の目は、どこか空虚な光を宿したままだった。
「もう遊びはおしまいだ。消し炭になる準備はいいかい?」
「できるものなら、やってみなよ」
挑発と共に、全エネルギーを右腕へ集中させる。
「マイム。……さっきはこれで打ち勝てる気がしないからハッタリにしたけど、やっぱりこれで打ち勝たないといけないみたい」
「だね。……わたしには大した力は残ってないけど、精一杯支えるから。全力をぶつけて」
「うん」
深く息を吸い、掠れた声で、最後の詠唱を始めた。
「『黒き感情、無に帰せよ』」
一方、メルキーヴァは彼女たちへ向けた右の手のひらを、ゆっくりと後ろへと引いていく。その動きに合わせるように、今度は、左手をぐっと前へと突き出し、腰を深く落として重心を下げていく。
古の武術家が必殺の気を放つかのような、荘厳な構えだった。
「全身全霊を込めた、一撃の気を受けてみろ!!」
突き出される掌。
空間を歪ませるほどの巨大な力が放出される。
リアハイリンも右手を突き出し、絶叫した。
「『デシリア・クリア・スクリーム!!』」




