第六話「新たなヒーローの誕生を」-3-
「シュートやドリブル、キャッチ。サッカーでのアクションは、言葉以上に気持ちが出るんだ」
小学生の頃の莉照は、膝に手を当てて息を切らせている幼馴染へ声をかけた。
「高梁。何か悩んでいるのか?」
「え? ……まあ、そうだな。そんなことも分かるのか? ボール程度で」
「もちろん」
この日、莉照はキーパーをしていた。クラブ活動ではフォワードを担当する彼だが、学校の授業では全体を見ながら初心者にもアドバイスをしやすいように、キーパーになるのが好きだった。この日は莉照と星輝は別チームで、彼は何度も彼女のシュートを受け止めていた。
「いつものおまえとは違って、シュートにもパスにも迷いがあった。パスの判断が遅れた場面も何度かあったし、パワーもなければ、コントロールもばらついていたぜ。だから、悩みでもあるのかって思ったんだ」
「へえ、なるほどな。……でも、莉照には関係ないことだよ」
高梁星輝は額の汗を腕で拭い、莉照に目を向けることなくチームメンバーのもとに走っていった。
◆
リアハイリンはサッカーをしたことがない。ポジションはフォワードとキーパーという名前をかろうじて知っているくらいだったし、PKがいつなんのために行われるのかも知らない。片方がボールを蹴り、片方がそれを防ぐ、ということしか分からなかった。
「私がキーパーやるよ。莉照くんがキッカーね」
リアハイリンは軽くボールを蹴り転がす。
スレイヴは立ち上がり、そのボールを足で受け止めた。
どうやら勝負に乗ってくれるらしい。
「ゴールは、この柱とあっちの柱の間でどうかな。高さは、あの松明まで」
指を差して確認すると、スレイヴは彼女の指の先を目でなぞった。
通常のサッカーゴールよりひと回り以上大きかったが、デシリアの力なら止められるだろうという慢心に似た自信はあった。
「問題なかったら、いつでもどうぞ」
リアハイリンは脚を肩幅に開き、見よう見まねで構える。昨日、「キーパーなんて分からないよ」と言った瑞季に星輝が「こんな感じで構えて、ボールが蹴られたらそっちに飛べばいいんだよ。知らんけど」と言って見せた適当なフォームだった。
スレイヴはゆっくりと後退する。一度動きを止め、ゆっくりと前進し始める。徐々に速度を上げていき、水の球を蹴った。
ボールは、リアハイリンのちょうど右肩のあたりをめがけて、一直線に飛んできた。
「まさかのど真ん中!」
一歩だけ右に進み、胸の位置でがっしりと捕らえた。ボールが高速で回転していたことによる摩擦熱が、彼女の白いグローブに伝わり、霧のような白い水飛沫が、勢いよく弾ける。受け止めた瞬間、内臓を揺さぶられるかのような衝撃があった。
だが、その場から一歩も後退することなく、ボールを完全に受け止めてみせた。
「……つまらないキックだったね、莉照くん」
リアハイリンは挑発する。
「ああ。まったくだぜ」
星輝が腕を組んで現れる。
「パワーもねえ、コントロールもねえ。小学生の頃の方がマシだったぜ、莉照」
スレイヴは、癇癪を起こした子供のように、足で地面を力いっぱい叩きつけた。
「悔しいか? なら、もう一回やらせてやるよ。今度は、全身全霊で来い!」
星輝はまるで自分がキーパーであるかのように強く叫んだ。
「全力で受け止めてやるよ! ウチのハイリンが!」
「やるのはやっぱり私なんだね……」
ハリアイリンは抱えているボールをしぶしぶスレイヴへ投げた。
「ハイリン。次はたぶん、マジで強いのが来ると思う。気をつけてな」
「うん。分かってる」
スレイヴがボールを足でぴたりと受け止めると、星輝は走って離れていった。その先にはヒナが心配そうな表情で浮いている。
スレイヴは再び助走をつけ、後退した。先ほどよりも二歩分、後退の幅が大きい。そして、ゆっくりと前進し始め、その速度を急速に上げていく。
スレイヴが大きく後退する。
助走。
加速。
左足を踏み込み、身体を深く沈める。
振り抜かれる右足。
美しくも力強いフォーム。
ボールが衝撃波と共に迫る。
先ほどとは桁違いの重さ。鋭い衝撃。
皮膚が焼け爛れそうなほどの摩擦熱。
まさに魂の一撃。
——絶対に目を離してやらない!
リアハイリンは、そのボールだけに全神経を集中させる。
ブーツの靴底が地面にギリギリと擦れ、後退していく。
「……そっか。本当は進み続けたいんだね、莉照くん」
手を押してくる力強いボールを、さらに強く掴み返した。
力を込めれば込めるほど、摩擦熱が強くなる。
それでも、その力を緩めたりはしない。
そして、とうとう、その水の球が、限界を超えた熱によって沸騰し、縮んでいく。
ゴールラインにリアハイリンの踵が触れようとしたとき。
とうとう水の球は完全に消滅し、白い蒸気だけが残った。
「莉照くんはお父さんに憧れて、必死に背中を追ってきたんだよね。その目標が過ちを犯しちゃって、自分も同じ道を進むんじゃないかと絶望してる」
もし、テレビの中のヒーローが、何かとてつもなく大きな過ちを犯してしまったとしたら……。
そう考えると、胸に締め付けられるような痛みが走った。
「確かにお父さんは間違ったかもしれない。でも、憧れて頑張った時間は、絶対に間違ってない」
立ち尽くすスレイヴへ、微笑みかける。
「今のシュート、すごくよかったよ。きっと、お父さんの子供だから打てたんじゃない。あなたが頑張ってきたからこそ打てた、あなただけのシュートだよ」
「うん」
リアマイムはリアハイリンの隣に立ち、胸に手を当ててスレイヴへ語りかけた。
「間違いに気づけたのなら、これから正していけばいい。簡単に直せないところもあるかもしれないけど、それでも少しずつ意識していけば、いつか直せると思う。ううん、絶対になれるよ。本当になりたい、あなたに」
スレイヴは答えなかった。
ただ立ち尽くし、彼女たちをじっと見つめている。
それは、彼女たちの言葉が心に確かに響いているからなのだと、後方で見守っていた星輝は思っていた。
「自暴自棄になるには、まだ早い。そうやって暴れることも、本当はしたくないんだろ? だから、最初のシュートが弱かった」
星輝の言葉に、リアハイリンが続ける。
「もっと自信を持って。確かにあなたは、沙耶への態度を間違えてしまった。同じように、接し方を間違ってきた人もいるのかもしれない。でも、だからって、あなたが今まで歩んできた道全部が、間違っていたわけじゃないよ」
《間違って……た、わけじゃ、ない……》
掠れた声だった。
「うん。このまま、自分の気持ちに嘘をついて子供みたいに暴れ続ける自分と、間違いを認めて成長できる、大人な自分。——莉照くんは、どっちになりたい?」
《俺は……俺はただ、かっこいい大人になりたい。子供たちに憧れられるような、立派な大人になりたい……》
「それなら、もう、こんなところでぐずってちゃ、いけないよね」
スレイヴへ星輝がゆっくりと手を差し伸べる。
「帰ろう。ウチらの教室に。そこから、一緒に新しい一歩を踏み出そう」
リアマイムはリアハイリンと顔を合わせる。
リアハイリンは、その顔に書いていることを読み取り、頷いた。
リアマイムがスレイヴへ清らかな手を向ける。
「『黒き感情、流れゆけ。デシリア・フライト・シャワー!』」
閃光と、無数のきらきらと輝く水飛沫が、スレイヴの巨大な体躯を優しく、やわらかく包み込んでいく。禍々しい紫色のオーラが消え失せ、代わりに、穏やかで温かい、水色の光に包まれながら、元の人間の大きさにまで縮んでいった。
やがて、周囲を包んでいた光と水飛沫が消え失せた。
そこには、見慣れた制服に身を包んだ莉照が、幸せな夢を見ているかのように、穏やかな微笑みを浮かべながら静かに眠っていた。
リアハイリンたちは、ようやく安堵のため息をつき、胸をそっと撫で下ろした。
しかし、張り詰めていた緊張の糸を、完全に解き放ったわけではない。
ぱん、ぱん、と芝居がかった手を叩く音が、空間に響いた。
「お見事」
メルキーヴァが、手を叩きながら彼女たちの元へ歩いてきた。その外套の影で、白い歯が不気味に光っていた。
「この間はちょっと見損なったっちゃけど、君たちは成長して戻ってきた。嬉しいよ」
彼は拍手をやめ、パチン、と長い指を鳴らした。
「さあ、第二ラウンドを始めるよ。コンクラム。彼女たちを回復させてあげて」
すると、身体が突然軽くなった。
手のひらの焼けるような痛みも、全身を打った鈍痛もない。
変身する前の状態そのものだった。
「なに、これ……」
「連戦のための回復機構さ。どういう仕組みなんだろうな、これ。俺も知らないんだ。まあ、ここは現実世界じゃないし、なんでもありなんだろ」
メルキーヴァは身に纏っていた外套を脱ぎ捨てた。
「さあ、いつでもかかってきな。遊んであげる」
リアハイリンは、今まで自分たちが浄化してきた人々を想う。
この男さえいなければ、誰も——。
彼らのためにも、負けるわけにはいかない。
「優菜、行くよ」
「うん。あの人には、自分の行いをたっぷり反省してもらいましょう」




