第四話「嘘」-6-
木々の葉が風にざわめき、静寂が辺りを支配していた。
スレイヴは、先ほどまでの激しい攻撃が嘘のように、おぼつかない足取りで、リアハイリンたちへと、一歩、また一歩と歩みを進めていた。その歩調はひどく不安定で、時折近くの木の幹にぶつかってはふらつき、今にもその場で倒れてしまいそうに見える。まるで、糸が切れ操り人形のようだ。
それを眺めながら、リアハイリンは思う。
あれは私だ——。
メルキーヴァと戦ったときに得た感覚。あれの正体は、怒り狂うスレイヴの姿と、メルキーヴァの瞳に写った、怒りに染まる自分自身の姿が一致したことだったのだ。
リアマイムや星輝に対しては、明確な憎しみと敵意を剥き出しにし、一心不乱に攻撃を仕掛けていた。しかし、リアハイリンに対してだけは、攻撃をためらっていた。
もし、星輝の言うように、沙耶が瑞季のことを好ましく思っていて。
逆に、いつもクラスの中心で輝いている星輝や優菜に対して、複雑な感情を抱いていたのだとしたら。
「ねえ、西沢さん」
リアハイリンは意を決した。
「あなたは……私たちに嫉妬してるの?」
スレイヴの足が止まり、その場に崩れ落ちる。
のっぺらぼうの顔が、じっとこちらを見ている気がした。
《私は……ずっと染谷さんを見てた》
か細い声。
《……染谷さんもひとりでいることが多かった。わたしもそう……。ただ、私は孤独が怖かった。本当は誰かと仲良くなりたい。でも、私なんかと喋っても、誰も幸せになんてならない……そんな自分が嫌だった》
私なんかと喋っても、誰も幸せになんてならない——。
その気持ちを、リアハイリンは痛いほど理解していた。自分も、先週まではそうだったのだ。
《……臆病な私にとって、ひとりでいてもどこか飄々としていて、自分の世界をしっかり持っているように見える染谷さんは……。なんだか、すごく大人びて見えて、憧れだった。いつか、染谷さんともっと仲良くなりたいなって》
「そんなこと、ないよ……」
伝えたい気持ちはたくさんある。でも、言葉がうまく出てこない。
スレイヴは力なく空を仰ぎ見ていた。
《……莉照くんに、毎日からかわれたり意地悪されたりするのは、本当に苦しかった……。でもね、染谷さんも莉照くんの心ない言葉に、一緒に心を痛めてくれてるような気がして……。私はそのことに、勝手に何度も助けられていて……。ほんと、勝手だよね、私って。最低で、大嫌い》
確かに、瑞季は苦しんでいる沙耶を見て、心を痛めていた。それを彼女に気づかれていたとは、思ってもみなかったが。
ましてや、そのことで、彼女の心を少しでも救うことができていたなんて……。
《最近、私の憧れの人が、他の人と一緒にいることが増えた。クラスどころか、学校中でも有名なふたりと》
リアハイリンたちは互いに顔を見合わせる。
そして、同時に同じことを思った。
これ以上聞きたくない、と。
《隣の席の大好きだった人が……。どんどん遠くへ離れていってしまうような気がした……。私は……またひとりぼっちになってしまったんだって……。それが、本当に寂しかった……。辛くて苦しくて……。だから——》
「——やめてっ!! もう、それ以上、言わないで!!」
リアハイリンは思わず叫んでいた。
だが、沙耶の感情の吐露は止まらない。
《……月音さんと高梁さんが、憎い》
三人は凍りついた。
《誘ってもらえて嬉しかった。でも、どこかで見下されてる気がした……。それに、ナイフを見られた。もう情けすらもかけてもらえない。あれは、私の汚い心の象徴》
スレイヴが力なく項垂れる。
《染谷さんにだけは……私の汚い心を、見られたくなかった》
リアハイリンは、ぐっ、と右手に力を込め、その手を、俯く沙耶へと差し出した。
「で、でも……! あれは無理やり渡されただけなんでしょ!? それに、誰かを傷つけたりなんてしてないんだから! 西沢さんは何も悪くないよ!」
《たとえ使っていなくても、私は確かにナイフを求めた。……明確な殺意があった。莉照くんに。ちょっぴり、月音さんと高梁さんにも。あと一歩間違えてたら……、私はきっと、それを握ってた》
もし、教室で使っていたとしたら。
そんな画が、リアハイリンの頭に浮かぶ。赤いトーンで染められた、影の濃い画だ。
差し出していた右腕から力が抜け、重力にすら逆らえなくなり、だらりと萎れてしまう。
《私はまたひとりになった。——ううん、最初からひとり。甘い夢から醒めただけ》
声が途切れる。スレイヴは動かない。
リアハイリンは地面にへたり込んだ。
痛いほど分かるよ、と言いかけた言葉を飲み込む。
「でも……」
振り返れば、仲間たちがいる。
「私は……もうひとりじゃないんだ」
その掠れた声は、仲間たちまで届かず、風の音にかき消される。
リアハイリンは、瞳を幼い子どものように潤ませながら、ぽろぽろと大粒の涙を流していた。
「分からないよ……どうすれば、西沢さんを助けられるの……? もう、何も分からないよ……」
リアハイリンとスレイヴは互いに、木の影にお尻をつけて座り込んでいた。
リアハイリンは涙を流しながら、思う。スレイヴには目がないけど、きっと泣いている。
涙を拭いてあげたい。しかし、それだけで彼女が救われるとは思えなかった。
星輝と優菜は嫌われてしまっている。ふたりがいくら説得しようとしても、火に油を注ぐだけ。
瑞季にしか、沙耶は救えない。
その事実が、あまりに重たかった。
「どうすれば……」
このまま必殺技で浄化することは可能かもしれない。
しかし、それでは沙耶の黒感情は晴れない。
それでは、何も解決しない。
「そんなの、やだ……」
いくらもがいても、「嫌い」という感情をねじ曲げることができるとは思えなかった。触らないのが一番だ。お互いに距離を取ることが正解。
「でも、そんなことしたら、また西沢さんがひとりになっちゃう」
瑞季が無理やり星輝や優菜と離れて——あるいは離れたふりをして——沙耶と友達関係を築くなんて、できない。たとえ、それをして沙耶が救われたとしても、瑞季たち自身は救われない。
みんなが幸せになれる道筋が、どこにも見当たらない。
リアハイリンは座ったまま振り返り、涙で汚れた顔を仲間たちに見せた。
「星輝、優菜……。私、どうしたらいいかな」
ふたりは目を逸らすように俯いた。どうしたらいいのか分からないのは、憎いと言われた彼女たちも同じだった。
先に顔を上げたのは星輝だった。
「今回は、ウチらの声は届けられなさそうだから、全部任せちまう形になって、本当にごめん……。偉そうかもしれないけど、ウチが言えるのは、自分の心を話してくれた西沢さんに、ウチらも心をぶつけないといけないんじゃないかな、ってことくらいだ」
「私の心を……」
自分は沙耶の話を聞いて、素直に何を思ったのか。
最初に思い浮かんだのは、ある種の悪口とも言える一言だった。
そして、その一言は自分自身に返ってくる。優菜や星輝と仲良くなる前の自分は、まさしくそれだった。
星輝のライブに誘われたときの自分を、彼女は思い出す。
「ふたりが話しかけてくれて、すごく嬉しかった。でも、私はその気持ちをあんまり表に出せなかった。むしろ自分を卑下していた。私はふたりと同じ世界にいちゃいけない凡人だ、って。……あっ」
ずっと、漠然とした違和感があった。その正体を、リアハイリンは確かに掴んだ。
メルキーヴァの言葉が蘇る。
——感情は、いとも容易く嘘をつく。自らの都合の良いように。
瑞季は立ち上がり、スレイヴへ歩み寄った。
「ねえ、西沢さん。本当に、星輝や優菜が憎いの?」
スレイヴが顔を上げる。
「ごめんね。今から私、西沢さんを傷つけるかもしれない。でも……全部、本音で話すから。聞いてくれる?」
スレイヴは黙って彼女を眺め続けている。
「まず、ありがとう、西沢さん。自分の心の汚いところなんて、他人にそうそう話せることじゃないよね……。それを話してくれて、嬉しいよ」
お互いが両手を伸ばせば届きそうな距離で、リアハイリンは歩みを止める。
「率直な感想を言うね」
一呼吸置いて、はっきりと言い切った。
「西沢さん、面倒臭いよ」
微笑みながら、続ける。
「でも、それが心なんだと思う。孤独を感じてたのは本当かもしれない。でも、『憎い』って感情は、ちょっと嘘が混じってない? 自分を守るための、嘘が」
スレイヴは彼女から目を反らした。
その仕草が、図星を意味するかは判然としない。
リアハイリンは進み続ける。
「この考えは、私にとって都合のいい偶像かもしれない。それを西沢さんに押し付けてしまっているのかもしれない。……でも、このまま続けるよ」
沙耶と瑞季はよく似ている。
それなら、瑞季がずっと自分自身に対して思っていたことが、程度は違えど沙耶にも当てはまるんじゃないか。
「私は、西沢さんと仲良くなりたい。星輝も優菜も、同じことを思ってる。本当は西沢さんも、そうなんじゃない? 私だけじゃなくて、ふたりとも仲良くなりたいんじゃないの? 自分が、人気者と仲良くなりたい、ごく普通の女の子だって思いたくなくて、その気持ちを隠してるんじゃないの? そうじゃなかったら、さっき自分から会話に参加してくれたときの笑顔は、なんだったの?」
あれが偽りだなんて、思いたくない。
《やめて……!》
「やめないよ」
沙耶の心を見つめながら、リアハイリンは仲間ふたりが、自分の横に立ったことを感じた。
仲間の温もりを確かに感じながら、続ける。
「自分なんてひとりであるべき、とか、誰も仲良くしてくれないし、仲良くなる必要もない、とか。そういう気持ちは私も持ってたよ。学校では死んでるみたいに授業だけ受けて、帰ってきてからが人生開始ってくらいに、思ってた。でも」
スレイヴを改めて眺める。瑞季がモチーフとなって形作られた怪物。その姿に、過去の自分自身の姿が重なった。
リアハイリンは自身の胸に手を当て、叫んだ。
「そうやって、自分をただ卑下し続けることは、誰のためにもならない、って、私はふたりから教えてもらった! そんな遠慮をする必要は、世界のどこにも存在しないんだって!」
リアハイリンの目から、再び涙が流れる。それを拭うこともせず、彼女は静かに続けた。
「あなたは、自分が変な奴だ、って、ひねくれ者の面倒臭い人間だ、って思いたいんでしょ? だから、それを裏付ける、小さな小さな証拠を無理やり大きくして、本当は何に一番苦しんでるのか、隠したいんでしょ?」
リアハイリンはさらに一歩進む。既に、スレイヴの手が届く範囲に入っていた。
「あなたの本当の黒感情は『虚栄心』。仲良くなりたい相手に近づきたくてもうまく近づけないから、いっそ嫌わせてしまえ、自分みたいな最低な人間からは離れていってくれ、悩むくらいならひとりでいたほうが楽だ、っていう、歪んだ虚栄心。違う?」
スレイヴは、悲痛の響きを拳に乗せて、初めてリアハイリンを殴った。
彼女は、それを正面から、胸で抱えるようにして受け止める。
「本当は分かってるんでしょ? 自分が、何よりもいじめに苦しんでる、純粋な心を持った普通の女の子だって」
スレイヴの拳が、リアハイリンには赤子のように小さく見えていた。込められた力が徐々に弱くなっていくのを感じながら、リアハイリンは最後の一押しを言った。
「認めていいんだよ。自分を」
スレイヴの手から力が抜けていき、ついに、ぶらん、と力なく垂れ下がった。
リアハイリンは微笑みながら、スレイヴの胸へ歩み寄る。
「私は、星輝やみんなの軽口に、クスッと笑ったりしてる、等身大のあなたが好き」
スレイヴの膝の間に立ち、胸に抱きついた。
「これから、たくさんお喋りしようよ。って言っても、私なんて、好きなアニメや漫画を早口で自慢することしかできないけど」
《うん……》
涙のような、透明な声。
「だいじょうぶ。あなたには、私がいる。……一緒に歩こう」
ふと思う。
スレイヴのその姿は、汚い部分まで全部私に受け止めてほしいという、彼女の甘えだったのかもしれない。
その考えは胸に秘め、瑞季は優しく詠唱した。
「『黒き感情、無に帰せよ。デシリア・クリア・スクリーム』」




