第四話「嘘」-5-
リアハイリンは高速で距離を詰め、メルキーヴァの顎を蹴り上げた。
「どうして西沢さんを!」
直撃したが、メルキーヴァの顔は一ミリも動いてはいなかった。
「この道を選択したのは、他ならぬ君自身だ。今さら何を言っているんだい?」
「うるさい!」
脚を下ろし、連続して拳を打ち込む。
「言ったでしょ! それでも私は、ヒナを護り続けるって!」
リアハイリンは跳び上がる。
宙返りからの踵落とし。
インパクトの瞬間、脚を鉛に変える。
「!」
想定外の質量。メルキーヴァの足元の地面がひび割れた。
「……いい一撃だ」
だが、それだけ。
弾き飛ばされ、距離を取ろうと着地した瞬間——。
既にメルキーヴァは眼前に立っていた。
「敬意を評し、俺からも一撃をお見舞いしてあげる。——小細工は、なしだ!」
腕を鋼鉄に変え、防御を固める。
タイミングも軌道も完全に見切った。万全の防御だったはずなのに。
衝撃が、装甲ごと内臓を貫いた。
視界が歪む。脳が揺れる。
――次が来る!
本能だけで回避した直後、先ほどまでいた空間が粉砕された。
「その程度かい? 俺はまだ半分しか力を出してないけど」
「ボスキャラのテンプレ台詞だね……!」
宙返りをし、着地する脚で地を蹴った。すべての力を頭に込め、メルキーヴァの額へ頭突きする。
捨て身の攻撃は片手で捕らえられた。ふたりの目と目の距離は、彼の手のひらの厚さぶんのみ。
「素晴らしい表情だ。憎しみに満ちている」
「違う!」
リアハイリンは頭を離し、手刀を振り下ろした。メルキーヴァはそれを前腕で受け止め、不敵に笑う。
「面白い」
「なにが!」
「君は、嘘をついているつもりがないでしょ。でもね、それこそが嘘なのさ。俺の眼を見な」
メルキーヴァの瞳を覗き込み、息を呑む。
そこに映っていたのは、憎悪に歪んだ自分の顔。
「感情は、いとも容易く嘘をつく。自らの都合の良いように」
血の気が引く。
目を逸らせない。
引き込まれる。
「もう一度問おう。本当に、君の心に憎しみがないと言えるかい?」
メルキーヴァは犬歯の先を見せた。
「今なら、君をスレイヴにすることもできそうだ」
腕に込めていた力が、一瞬途切れた。
「隙だらけだよ」
リアハイリンの瞳にメルキーヴァの背中が写った。
次の瞬間、彼女は蹴り飛ばされていた。
地面を転がりながら、ヒナの話が脳裏をよぎる。
黒感情の連鎖。憎しみが新たなスレイヴを生み、世界を飲み込んでいく。
「そうだ……。私が憎しみに染まったら、ダメなんだ」
リアハイリンは弾かれたように立ち上がり、リアマイムの元へ走った。
走りながら、何か大切なことに指先が触れた気がした。
見えていたようで、見えていなかった何か。
掴もうと手を伸ばすが、感覚はするりと指をすり抜け、消えてしまった。
スレイヴに背後から近寄り、跳ぶ。身体をひねり、拳を振り下ろそうとしていたスレイヴの首に、回し蹴りを叩き込んだ。
砂煙を巻き上げて転がる巨体を横目に、仲間の元へ降り立つ。
「ハイリン! 大丈夫だった?」
「うん。……ごめん。でも、メルキーヴァを倒せばスレイヴも消える。それは間違いないみたい」
だが、ひとりでは勝てない。仲間と共に戦うには、目の前のスレイヴを救わなければならない。
もどかしさが、胸を締め付ける。
「そっちは、どう?」
「何度か攻撃も当てたし、語りかけてもいるんだけど……」
起き上がり、こちらを睨むスレイヴは肩で呼吸をし、左足を引き摺りながらゆっくりと近づいてきた。戦い始めの頃のような余裕は感じられない。疲労させているのは間違いなさそうだ。
リアマイムの説得が効かないのに、自分の言葉が届くとは思えなかったが、自分の胸から溢れる言葉を抑えきれなかった。
「ごめんね、いつも力になれなくて。苦しそうなのに見て見ぬ振りばかりして」
スレイヴに手を差し伸べ、彼女は前進する。
「でも、もう大丈夫だから」
すると、スレイヴの動きが止まった。リアハイリンも足を止める。
静寂が、しばし場を包む。
十数秒の間、何も起こらない、緊張した時間が過ぎた。
均衡が破れる。
弾かれたようにスレイヴが駆け出した。
今日一番のスピード。リアハイリンは身構えるが——。
スレイヴは彼女を飛び越え、背後へと抜けた。
「え……?」
その先、木の陰には星輝がいる。
「ダメッ!」
ふたりはスレイヴを追いかける。
リアハイリンがスレイヴの足にしがみついたときには、すでに星輝まで眼前に迫っていた。
スレイヴの腕に水の鞭が絡みつく。スレイヴはそれを振り払おうと暴れ、足にしがみついていたリアハイリンをも吹き飛ばした。
そして、血管の浮き出た拳を星輝に向ける。
星輝はしゃがんだ。拳は空を切って木に直撃し、衝撃で葉が弾けるように舞った。
スレイヴはさらに星輝へ拳を向ける。
「星輝!」
リアマイムが星輝を抱きしめ、背中で庇う。
そんな彼女を、さらにリアハイリンが身体を大の字に広げて庇う。
衝撃を覚悟して目をぎゅっと瞑る。
――しかし、衝撃はいつまでも来なかった。
「え……?」
おそるおそる目を開ける。
スレイヴの拳が、鼻先数センチでピタリと止まっていた。
スレイヴはゆっくりと腕を下ろし、ただリアハイリンを見下ろした。
「……」
スレイヴは明らかに攻撃モーションを中止している。偶然では考えられない動作だった。
——さっきも、私への攻撃を躊躇ってた。
その隙に、リアマイムは星輝を抱え上げ、逃げだす。二秒遅れて、リアハイリンもスレイヴから離れた。
「やっぱり、スレイヴは私を攻撃しようとしない」
不可解だった。つまり、
「それが沙耶の声を聞くための鍵……」
しかし、思い当たる節がなかった。自分が贔屓されるような理由なんて——。
なぜなら、その答えを彼女自身が避けていたから。
彼女の盲点をついたアイデアを出したのは、星輝だった。
「もしかして、西沢さんは瑞季のことが好きなのかもな」
「え?」
いつもの冗談かと思った。
しかし、星輝の表情は真剣そのものだった。
「それとも、ウチや優菜のことが嫌いなのか?」
「そんなこと、あるわけ——」
リアハイリンの言葉が途切れる。
脳裏に、これまでの戦いの光景がフラッシュバックした。
自分への攻撃を躊躇うスレイヴ。
星輝やリアマイムの呼びかけに激昂したスレイヴ。
そして、スレイヴの造形——。
バラバラだったピースが、音を立てて繋がっていく。
「……そっか。莉照くんじゃなかったんだ」
震える声で、リアハイリンは告げる。
「憎い相手ならその姿に、自分が嫌いなら自分の姿になるはず。なのに、あの姿は……」
「うん。だから、あれは西沢さん自身——あっ」
ふたりも気づいたようだ。この、あまりに単純な事実に。
スレイヴには顔がない。だから制服だけで沙耶だと思い込んでいた。
だが、沙耶はツインテールだ。
このスレイヴの黒髪はミディアムロング。髪を括っていない。前髪だって沙耶のものとは違う。彼女は眉までのぱっつんだが、このスレイヴはまつ毛まで届く流し前髪だ。
それは、見慣れた誰かの特徴そのもの。
「あの姿は……私だ」




