第三話「籠の中の月」-7-
瓦礫の下敷きとなったリアハイリンに、さらなる絶望が降りかかる。
スレイヴが、彼女を押し潰すコンクリートの上へと飛び降りたのだ。
「乗っからないでよ……!」
衝撃のたびに亀裂が走り、重圧が増す。
限界だった。
「一か八か……」
最後の力を振り絞り、瓦礫を押し上げる。
生まれた数センチの隙間。
——間に合え!
飛び出すが、疲労した足はついてこない。上半身は脱出できたものの、腰から下は再び瓦礫に捕らえられた。
「……っ!!」
激痛に声すらも出なかった。
視界が霞み、肺が圧迫される。
それでも、うつ伏せのまま首を捻り、瓦礫の上で勝利を誇示するスレイヴの姿を、右目だけで睨みつけた。
スレイヴは万年筆型の剣を逆手で握り、銛のようにしてリアハイリンへ突き刺す。リアハイリンは、その刃先を右手一本で掴み取った。
スレイヴは剣を引き抜こうとする。しかし、リアハイリンの赤く染まった拳から、剣が離れることはなかった。
「離さない……。この剣も、あなたの心も……!」
《もう諦めなよ。私みたいにさ》
諦めに満ちた心の声が、頭の中に直接響いてきた。
それでも。
「諦めない! あなたも諦めちゃダメ!!」
《……うるさい……! うるさいっ!!》
剣を掴む拳への圧力が強まる。
腕が震え、骨が軋む。
《君は選ばれた人。だからなんでもできるんでしょ……? でも! 私は違う!》
切っ先が、潤んだ瞳に触れんばかりに迫る。
《私には、才能なんてないんだ!》
「才能なんて、諦めの早い人が生み出した幻想だよ」
凛とした声が響く。
それは、リアハイリンのものではない。
次の瞬間、万年筆に透明な蛇が巻き付いた。
——水の鞭だ。
生き物のようにしなやかな水が、スレイヴの手から剣を強引に奪い去る。
宙を舞った剣は、役目を終えたかのように砂となって崩れ落ちた。
「あなたには、確かに才能はないのでしょう。でもね、そんなものを持っている人なんて、この世にひとりもいないの」
声の主がリアハイリンのそばへ歩み寄り、地面にそっと手を当てる。
湧き出した二条の水流が、リアハイリンの下へと滑り込んだ。
天に向かって鎌首をもたげた水流は、巨大なコンクリートの塊を、上に乗るスレイヴごと容易く押し除けた。
「すごい……」
倒れ込んだまま、リアハイリンは目を見張る。
水色の装飾が散りばめられた純白のミニワンピース。
お腹には大きな青いリボン。
解き放たれた水色の髪が、風になびいている。
その姿は、湖面の白鳥のように美しかった。
「優菜?」
「うん。わたしも変身しちゃった」
リアマイムは悪戯っぽく舌を出してみせた。
いつもの穏やかな優菜とは違う。
自信に満ちた、頼もしいヒーローの顔。
「立てる?」
「ちょっと厳しいかも」
「わかった。あとは任せて」
優雅に跳躍し、瓦礫の山を飛び越える。立ち上がろうとするスレイヴの正面へと、音もなく着地した。
スレイヴは再び背中に手を伸ばし、万年筆の剣を取り出した。
「何本でも出せるんだね、それ」
振りかぶられる刃。
リアマイムは掌を向け、水の渦を展開する。
回転する水の盾が斬撃を受け止め、その勢いを利用して剣を弾き飛ばした。
がら空きの懐。
盾が瞬時に変形し、一本の棍へと姿を変える。
両手で握り、腹部へ強烈な突き上げを叩き込んだ。
大きく仰け反り、苦悶するスレイヴへ、静かに語りかける。
「あなたの心を、もっと聞かせてくれないかな」
《ほっといて! 才能のない私なんて、夢を追いかけるべきじゃないんだ!》
情けない自分への怒り。
親に認めてもらえない悲しみ。
それらが、リアマイムには痛いほど伝わってくる。
しかし、彼女は甘やかさない。
「さっきも言ったけど、才能なんて幻想だよ」
才色兼備。文武両道。なんでも持っている、才能ある少女。神に愛された幸運女。
そんな陰口を言われる裏で、彼女は誰よりも背筋を伸ばし続けてきた。誰かが羨んでいる間も、歯を食いしばって努力してきた。
一見完璧に見える人こそ、見えない場所で青筋を立てて苦しんでいる。
物語の教えを胸に、彼女は歩み続けてきたのだ。
「『才能』なんて運任せの二文字で、片付けられたくなんかない」
三メートルの距離まで歩み寄り、水の棍を霧散させる。
表情を緩めた。
「幻想なんかを、諦める理由にしないで。あなたが、嗤われたことを心の底から悔しいと思っているなら、きっとできる。『悔しい』っていう感情は、本気で物事に挑んだ人からしか生まれないんだから」
《本気で挑んだ人からしか生まれない……》
その声は、小さく震えていた。
「そう。あなたが本気で夢を追いかけるなら、きっとその姿に励まされる人がいる。応援してくれる人がいる。後押ししてくれる人がいる。たとえ、それが親じゃなくても」
語尾が震えた。
自らの『親に認めてもらいたいという思い』が、胸を締め付けたから。
その気持ちが本物だから、自分の好きなものに蓋をしてでも努力した。
その呪縛から、彼女はまだ脱することができていない。
それでも、声を震わせながら、なりたい自分になるために宣言する。
「正直に言うと、こうしてデシリアになったことを、親に話す勇気はないよ。絶対に言えない。ただ、言わなくてもいいと思ってる。わたしの世界は、家の外に無限に広がっているのだから」
無限の世界を、わたしは飛びたい——。
囚われ、傷ついた魂へと、そっと手を差し伸べた。
「親に本音を伝える勇気なんて、まだ出さなくてもいいと思う。その前に、自分自身に本音をぶつけて。気持ちを伝えるかどうかは、自信が出てから考えればいいんじゃないかな」
スレイヴは膝をつき、胸の前で両手をギュッと握り締めた。
《頑張る。私、もうちょっと——ううん、ずっと頑張ってみせる》
その声に、絶望の色がなかったわけではない。
しかし、それに負けないほどの、希望の色が宿ってもいた。
「うん。一緒に頑張ろう。応援してる。瑞季も、星輝も応援してくれるよ」
スレイヴと向かい合い、左腰に装着されたポーチからデシリル・アンプを取り出した。デシリル・アンプに嵌められたデシリル・ジェムは、水色の光で輝いていた。
「『黒き感情、流れゆけ』」
リアマイムの華奢な身体に、清流のような浄化のエネルギーが放たれる。
全身を温かく満たされていく。溢れんばかりのエネルギーを、右腕の一点へと、極限まで集中させた。皮膚の裏側でそれを受け止め、破裂寸前まで高密度に圧縮されていく。
そして、そのエネルギーを解放させた。
「『デシリア・フライト・シャワー!』」
閃光と水飛沫が一帯を覆う。霧のように細かい大量の飛沫にスレイヴが包まれていく。すると、スレイヴの影が光の中でみるみる縮み始めた。影が人の大きさにまでなると、周囲を包んでいた光と水飛沫は、静かに消え失せた。
そこに現れたのは、真新しい制服に身を包んだ女子高生。
幸せな夢を見ているように、満足げな微笑みを浮かべながら眠っていた。
瑞季は星輝に体を支えてもらいながら、道路の真ん中に立つ水色のヒーローへ近寄っていた。
「優菜!」
星輝が呼ぶと、ヒーローは振り返る。
柔らかい光が彼女を包み、いつもの優菜に戻った。
「瑞季さん、怪我はない?」
「うん、全身だるいけど、一応怪我はないみたい。それと、あの……」
瑞季は顔を赤らめながら、優菜の瞳を見上げた。
「月音さん、すごくカッコよかった。頼もしかった」
優菜もかすかに頬を紅潮させる。
「ありがとう。わたしはね、瑞季さんに憧れてデシリアになる決意をしたの」
「そそそそそんな、わわっ私がカッコいいなんて……」
優菜は安堵し、声を出して笑った。
そこへ、水を差す男の声が聞こえた。
「二人目が誕生しちゃったね。おめでとう」
彼女の後方十メートル。巨体の男は、傾いた電柱の上で腕を組んで立っていた。
「メルキーヴァ!」
「一応聞くけど、ここで王子とデシリル・ジェムを貰えたら、お嬢ちゃんたちにもう危害が加わることはない。戦う必要もない。でも、渡さないなら、ずっと戦い続けることになるし、たくさん痛い目にも遭うよ。どう?」
メルキーヴァは優菜に目を向けた。
優菜の瞳に、迷いはなかった。
「胡散臭い交渉に応じる気はない」
ヒナによると、彼が属する組織ヘヴンは、無の邦(地球)をも侵略して収めようとしているらしい。危害を加えない、なんて言われて信じられるはずはなかった。
「君は? リアハイリン」
「渡すはずないでしょ」
瑞季は即答し、肩を貸してもらっていた星輝から離れ、二本の足で立った。
「私は、あなたみたいな卑怯者なんかに負けない。ヒナも、デシリル・ジェムも渡さない。スレイヴだって、増幅させる黒感情の種がなくなるまで、助け続ける。たとえ、それが綺麗事だったとしても。——それが、私のなりたいヒーローだから」
青臭いセリフだ——瑞季は自分でも思う。数日前の自分なら、そんなことを現実に言う人がいれば嘲笑していたかもしれない。
しかし、瑞季は現実と虚構の線を越えた。さらに、仲間だっている。
今なら、どんな困難だって越えられる気がした。
瑞季はメルキーヴァを睨む。
白い歯が、外套の影の中で鈍く輝いた。
「そう言うと思った。じゃあ、試させてもらうね」
「試す?」
「またね」
そして、メルキーヴァは消え去った。
「ちょっと! あーもう!」
瑞季は叫ぶ。
「ああいう敵って、なんでこうも意味深なことを言い残して消えるんだろうね!」
「そういうのがかっこいいと思ってるお年頃なんだろ」
「どちらかというと、そのお年頃なのはわたしたちなんじゃないかな」
「確かに」
三人は笑いあう。笑いながら、瑞季は周囲を見渡していた。
道路にはあらゆる瓦礫や壊された車、街路樹が散乱している。
戦うたびにこんな景色を——。
胸が締め付けられる。
それでも、諦めはしない。
ひとりではできなくても、仲間となら。
「これからよろしくね、瑞季」
優菜は、初めて瑞季を呼び捨てで呼んだ。
「え、えっと、その……」
今しがた堂々とメルキーヴァに喧嘩を売った瑞季だが、改めて優菜と星輝に囲まれると、いつもの調子に戻ってしまいそうになる。
でも、このままじゃダメだ——。
瑞季は、先ほどの水色のヒーローの後ろ姿を思い浮かべ、意を決する。
そして、彼女は一歩、新しい自分へ踏み出した。
「こちらこそ——これからもよろしくね、優菜、星輝」
三人の手が重なり、乾いた音が響く。
笑い合う三人。
すっかり安堵した瑞季は気づいていない。
優菜の視線が、星輝のもう片方の手に向けられていたことを。
握りしめられた拳の隙間から覗く、赤い宝石。
そして、それを握る手の、微かな震えを。
(第三話「籠の中の月」了)
第四話「嘘」 2026/2/28 8:00投稿予定




