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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第三話「籠の中の月」

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第三話「籠の中の月」-5-

「大丈夫ですか」

 優菜と星輝は仰向けに倒れた男性の肩を叩くが、男性は応答しない。

 胸は呼吸で上下している。足元には剣で切られた電柱の一部が転がっており、男性の履くスラックスにはコンクリートの欠片の灰色の痕がついていた。

「飛んできたコンクリートの塊が脚に当たって、倒れたときに頭を打っちゃったのかな」

「そうっぽいな。骨折はしてなさそう。内出血くらいはしてるかもしれないけど」

 優菜は男性の頭部に外傷がないか確認する。

 コンクリートにぶつけてしまった跡はあるが、出血はなかった。

 頭部に外傷がある場合、無理に運ぶのは良くない。この状態が運んでいい状態であるか、優菜には判断できなかったが、怪物が暴れているこの場所でこのままにしておくわけにはいかないだろう。

「とにかく安全なところまで運びましょう」

 幸い、男性は細身で小柄だった。星輝が男性の背中に周り、脇の下から手を入れて前腕を掴む。優菜は脚を重ねさせて抱える。星輝が上体を上げさせると、優菜も立ち上がって男性を持ち上げた。

「ぼくも手伝うニャ」

 ヒナが優菜のブレザーのポケットから飛び出し、男性のお尻の下に回って背中で押し上げる。このままふたりと一匹は慎重に路地へ進んでいく。

 優菜はリアハイリンへ目を向ける。スレイヴがこちらに背中を向けるようにしながら、攻撃をいなし続けていた。彼女からは手を出していないように見える。

 おそらく、優菜たちが意図せず巻き込まれないように、あえてスレイヴの意識を自身に向けることに専念しているのだろう。

 優菜は、その姿にテレビの中のヒーローの姿を重ねた。優菜自身も憧れていたヒーローの姿だ。

 路地に入ってから二分ほど進み、そこから一度曲がったビルの影で、優菜たちは男性を寝かせた。ブレザーを脱ぎ、丸めて枕にして男性の頭の下に置く。

「ヒナ。この人が起きちゃう前に鏡に戻って」

「分かったニャ」

 ヒナは再びコンパクトミラーに戻り、優菜の手に収まった。ブレザーのポケットにしまう。

 一息つくと、男性が「うぅ……」と呻き声を鳴らした。

「動かないでください。脚を痛めているので」

 男性は眩しそうに目を開け、優菜と星輝に交互に目を向ける。混乱しているようだ。

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして。救急車呼びますね」

「あの……む、娘は」

 優菜と星輝は互いに顔を見合わせる。

 この男性以外は、誰も目撃していなかった。

「逃げてるときに、娘とはぐれてしまったんです。探しに行ったところ、脚に何かが当たって……気がついたらここに」

 彼の娘が安全な方に逃げていればよいのだが、もしその子もお父さんを探していたとしたら。

「星輝。救急車を呼んで。この人のことは任せたよ」

「ちょ、優菜!」

 優菜は、星輝が探す役割を買って出る前に走り出した。

 星輝なら必ず率先して探しに行く、と優菜は思う。一昨日までの優菜なら、お守り役を受け入れ、救急車を呼んだはずだ。

 わたしも役に立ちたい——。

 優菜は昨日、何もできなかったことを悔やんでいた。クラスメイトたちが怪物と戦っていたことも知らずに逃げ、ほとんど全部終わりかけたときにやっと戻ってきて、影から見ていることしかできなかった。

 戦っていたヒーローが瑞季だと知ったとき、察した。怪物が現れ、逃げたとき、人混みで瑞季とはぐれたのは、彼女の意思だったのだと。

 普段、クラスでおとなしく暮らしている瑞季の姿と、危険を承知で立ち向かう姿。

 その対比に、優菜は憧れを抱いた。

「許されるのなら、瑞季さんと一緒に——」

 そこまで考えたところで、彼女の脳裏に父の姿が浮かんだ。過保護なほどに自分を心配してくる肉親が、怪物と戦うことなんて許してくれるはずもない。

 優菜は交差点で立ち止まる。

 本当は、怖くて怖くてたまらない。男性を助けに行ったときだって、星輝がいなければ近づく勇気さえ出なかっただろう。男性へ近づくときも、安全圏まで運ぶときも、ずっと脚が震えていた。

 そんなわたしに、怪物と戦うことなんて——。

 安全な鳥籠の中で暮らし続けていたわたしに——。 

 ——デシリアとなって、瑞季と一緒に戦わないかニャ?

「その勇気が、わたしにはない……」

 でも、

「せめて、今の自分にできることをしないと」

 優菜は太ももを指で強く掴み、震えを痛みで隠して再び走り出した。


 薙ぎ払われる刃を、重力を無視した跳躍で回避する。空中で身体を反転させ、無防備な背中を蹴り飛ばした。

 優菜たちが負傷者を避難させてから、三度目のダウン。

 リアハイリンは道路の中央を陣取り、剣の間合いをコントロールし続けていた。

 このスレイヴは、過去の個体と比べれば知性的だ。だが、その知能も彼女を追い詰めるほどではなかった。

 どれほど鋭い剣だって、刃が届かなければ、ただの棒切れに過ぎないのだから。

 状況は、リアハイリンが優勢だった。

《……になりたい》

 脳裏に響く、呻き声。

《私は漫画家になりたい。でも、安定した職業を選べ、って》

「そっか」

 本当の勝負はここからだ——。

 身構え、心の声に意識を同調させる。

《才能がない自覚はある。このまま続けるより、諦めたほうがいいんだ、って。だから、もう諦める。何も考えない。言われたとおりにする》

「諦めるのも、立派な選択肢のひとつだと思う。その決断を下せるあなたを否定する人は、誰もいないと思うよ。それより、あなたはどうしたいの? 本当に、やめたいの?」

 素体の少女がスレイヴ化した原因。

 それは、『諦める』ことへの納得ではなく、『諦めたくない』という渇望なんじゃないか。

「どんな漫画家になりたいの?」

《誰かを楽しませたい。誰かを、私の漫画で笑顔にさせたい。勇気づけたい》

「立派な夢だね」

《でも!》

 突如、心の声が絶叫に変わった。

 感情の爆発に呼応し、スレイヴが獣のように襲いかかる。

 速度は上がったが、動きは大振りだ。迎撃の必要すらない。

 リアハイリンは刃を躱し続ける。

《でも! 下手くそな私が頑張っても嗤われるだけ! 嗤われたくない! 私が見たい笑顔は、そんな顔じゃない!》

 嘲笑への恐怖。

 その叫びを聞きながら、リアハイリンの胸に不安がよぎる。

 ——私ひとりで説得できるのかな。

 昨日の解決は、星輝の言葉があったからこそだ。

 この少女の気持ちは理解できる。けれど、その暴走する感情を鎮められるだけの言葉を、自分は持っているだろうか。

 自信のなさが、足取りをわずかに重くする。

 仕切り直すためにバックステップで距離を取った。

 だが、スレイヴは逃がさない。

 距離を詰める足音が、アスファルトを砕きながら迫る。

《私は、私の夢を、お父さんやお母さんに認めてもらいたい!》


 スレイヴの叫びは、路地裏にいた優菜の足を止めていた。

 ——お父さんやお母さんに認めてもらいたい!

 それは、優菜自身がずっと抱え、蓋をしてきた感情と同じものだった。

 理想の娘。真面目で、笑顔を絶やさず、大人に逆らわない「良い子」。

 そうやって生きてきた。安全な鳥籠の中で、自分の想いを足元に隠しつつ、物語から得たものを決められた範囲内で活かしながら。

 デシリアになるということは、その範囲を越える行為だ。

 その線の先は、あまりに危険。

 リアハイリンへ改めて目を向ける。スレイヴのペンが道路に鋭利な割れ目を作っていた。

 優菜の背中に、冷たいものが這い上がる。

 線を超えたら、あの刃がわたしを切り裂くかもしれない。そうなってしまったら、お母さまやお父さまは——。

 震える彼女の心を、リアハイリンがスレイヴへ投げかけた言葉が、揺さぶった。

「ちゃんと、あなたの本気や本音をお父さんやお母さんにぶつけたの?」


《本気……本音……》

 脳内に響く声が震えている。

 誰にも理解されない孤独。どうしようもない諦念。

 泣き濡れたような寂しい響き。

 リアハイリンは、かつて漫画で読んだ台詞を口にした。

「生半可な気持ちなら、嗤われても仕方ないよ。本気なら、ちゃんと勇気を——」

 言葉が、喉で詰まった。

 放った台詞が、鋭利な刃となって自分自身に返ってきたのだ。

 ——私はどうだ?

 脳裏に浮かぶ、星輝と優菜の顔。

 仲良くなりたいと願いながら、壁を作って逃げているのは、他ならぬ自分じゃないか。

 その矛盾に、拳からふっと力が抜ける。

「……勇気が足りないのは、私のほうだ。そんな私に、説教をする権利なんて……」

《うるさい……うるさい!》

 スレイヴは甲高い声で絶叫した。そして、巨大な万年筆が天を突き刺すように掲げられる。

《ほっといてよ! 私が勇気なんて出したって、きっと嗤われるだけなんだから! 勇気なんて言葉、私には似合わないの!》

 鈍く光る切っ先が、断頭台の刃のように振り下ろされる。

 反応が遅れた。

 咄嗟に両腕を交差させ、刃を挟み込む。

 ギチリ、と腕の骨が悲鳴を上げた。

「似合わないなんてこと、ない!」

 奥歯を噛み締め、踏ん張る。

 背負い投げの要領で、剣ごと巨体を放り投げた。

 スレイヴが宙を舞い、雑居ビルの最上階へ激突する。

 窓ガラスが粉砕され、破片が宝石のように飛び散った。

 屋上の柵を掴み、這い上がるスレイヴ。

 リアハイリンもまた跳躍し、屋上の縁に着地する。

「勇気っていう言葉にね……。似合うも、似合わないも、ないんだよ」

 息を切らしながらも必死に言葉を紡ぐ。

「実はね。私も、あなたと同じようなことを思ってたんだ。でもね、一歩踏み出して気がついた。……私みたいな、ただの根暗なオタクだって……。昔、テレビで見たキラキラしたヒーローの姿を目指していいんだって。誰に何を言われようと、自分の信じる道を進んでいいんだって……!」

 そこで言葉を切り、自嘲気味に笑う。

「……って、まだその勇気を全然出しきれていない私に言われても、説得力ないよね……。ねえ、もしよかったら、私と一緒に、もう一度だけ勇気を振り絞ってみようよ」

《……うるさいっ!! もう、黙ってよ!!》

 拒絶の絶叫。

 スレイヴが高く跳躍し、落下の勢いを乗せた斬撃を放つ。

 リアハイリンは後方へ跳び、隣のビルの屋上へ回避した。

 剣閃が、元のビルの角を深々と切り裂く。

 ズズズ……。

 不吉な音が響き、コンクリートの塊がずり落ち始めた。

 一辺が三メートルはあろうかという巨大な正三角錐。

 数トンの質量が、眼下の路地裏へと滑り落ちていく。

 その軌道を見下ろし——リアハイリンは凍りついた。

「——しまった!」

 薄暗い路地裏。

 そこに、水色のランドセルを背負った少女が座り込んでいた。

 頭上を覆う死の影を、涙ぐんだ瞳で見上げている。

「逃げて!」

 叫ぶが、少女は動けない。

 間に合え――!

 リアハイリンは上半身の質量を増やし、慣性を無理やり殺した。

 屋上の柵を支点に身体を反転させ、地上へダイブする。

 砲弾のような急降下。

 抱えて逃げる余裕はない。

 少女のすぐそばへ滑り込み、両手を天に突き出した。

「しゃがんで!」

 華奢な両腕に、骨が砕けるような衝撃が襲いかかった。

 もっと硬く——!

 世界で一番硬い物に——!

 イメージで耐久力を極限まで引き上げる。

 だが、足元のアスファルトは限界だった。

 蜘蛛の巣状に亀裂が走り、足首まで地面にめり込んでいく。

 腕、胸、背中の筋肉が、内側から引きちぎられそうになる。

 呼吸すらままならない。

「逃げ……て……」

 掠れた声は、少女に届いただろうか。

 少女は涙声で応える。

「足が震えて……動けなくて……ごめんなさい」

 塊の重心が前方へ傾き、一辺が地面に接地したことで負荷は減った。

 だが、吹き飛ばす余力はない。

 どうしよう……どうしよう——。

 激痛と酸欠で思考が回らない。

 焦燥と無力感が、物理的な重さと共にのしかかる。

 そのとき。

 足音が近づいてきた。

 それは、彼女の背後で止まる。

「……ほら、もう大丈夫だよ。怖くないからね」

 聞き間違えるはずのない、透き通った声。

 優菜だ。

 彼女は少女に寄り添い、優しく語りかけていた。

「おてて、動かせる?」

 落ち着いた声色が、少女のパニックを鎮めていく。

「……うん」

 少女が、か細い声で答える。

 優菜は背中を向けてしゃがみ込み、自身の首に手を回すよう促した。

 少女が震える手でしがみつくのを確認し、その細い足をしっかりと支える。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、そして駆け出した。


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