第三話「籠の中の月」-4-
ヒーローの後ろ姿を見送ると、ヒナは息をつき、優菜と星輝へと向き直った。
「聞いてほしいことがあるニャ」
「ん? どうしたんだ?」
「実は……ぼくには、おぬしらを守る特別な力なんて、これっぽっちもないんだニャ」
あっさりと白状するヒナ。
ふたりは呆気にとられる。
「え?」
「じっくり話がしたかったんだニャ。瑞季抜きで」
ヒナは深々と頭を下げた後、まっすぐな瞳でふたりを見つめた。
「デシリアとなって、瑞季と一緒に戦わないかニャ?」
「こんにちは」
リアハイリンは、無人の車のボンネットを破壊するスレイヴの背中に声をかけた。
スレイヴが振り返る。
まだ敵だとは認識していない。
「ごめんね。ちょっと痛いかも」
謝罪と同時、スレイヴの腹部に白い拳がめり込んでいた。
吹き飛んだ巨体がアスファルトを削りながら宙返りし、着地する。
瞳のない顔が、ギロリと彼女を睨みつけた。
「私が相手だよ。これ以上、何も壊させない」
右手を伸ばし、クイッと指を曲げて挑発する。
「さあ、あなたの声を聞かせて」
獣のように飛びかかるスレイヴ。
リアハイリンは軽やかにそれをいなしていく。道路を砕く剛腕が何度も振り下ろされるが、その拳が衣を掠めることさえない。
動きは単純——でも、一撃が重い。
応酬を繰り返しながら、リアハイリンは分析していた。小回りは効くようだが、この単調さなら回避は難しくない。
——いける。
リアハイリンは腕の外側をすり抜け、肩へ回し蹴りを放つ。
確かな手応え——は、なかった。
蹴り足が空中で固定されている。
スレイヴのもう左手が、足首を掴んでいたのだ。
「!」
スレイヴが左手を掲げる。
股関節が悲鳴を上げ、視界が反転した。
そして、スレイヴはリアハイリンを無慈悲に地面へ叩きつける。
轟音と共に、アスファルトがクレーター状に陥没した。
——だが、そこにリアハイリンの姿はない。
めり込んでいるのは、スレイヴ自身の腕だった。
掴んでいた獲物が突如として数トンの質量に変わったため、自らの腕ごと地面に叩きつけてしまったのだ。
その隙に、リアハイリンは道路の反対側へと着地していた。
今度は羽のように質量を消して。
「危なかった……」
単純な動きから知性は低いと読んでいたが、甘かった。
このスレイヴ、瞬時の対応ができる——。
「視界の外から攻撃するしかないか」
正面から突撃する。スレイヴはそれを素直に待ち受けているようにも、こちらの策を考慮しているようにも見える。
もし考慮されているのだとしても、
「対応できない動きをすればいい」
スレイヴが待ち受ける中、接触寸前で地面を蹴った。
右への急激な方向転換。背後を取る。
だが、スレイヴは反応していた。
裏拳のようなラリアットが顔面を襲う。
「その程度のスピードなら、朝飯前だよ」
スライディングで回避し、さらに背中へ。
スレイヴが振り返るが、そこに彼女はいない。
彼女はすでに頭上を飛び越え、死角に着地していた。
渾身の体当たり。
スレイヴが車道へと弾き飛ばされる。
受け身を取って立ち上がり、敵を探すスレイヴ。
だが、視界には誰もいない。——リアハイリンが、飛ばされるスレイヴと地面の間を駆け、すでに背後で構えていたから。
裏拳が深々と背中に突き刺さる。
今度こそ、確かな手応え。
スレイヴが中央線に突っ伏した。
《……認めてもらいたい》
女の子の声が聞こえた。やや低めの、ぼそぼそとした声だ。
リアハイリンは耳を澄ますが、スレイヴが立ち上がるまで、声の続きは聞こえなかった。
「もう少し、弱めないと」
追撃をかけようとして、足を止めた。
スレイヴが襟元へ手を伸ばしたからだ。
取り出されたのは、身の丈ほどもある巨大な万年筆。
それを剣のように構える。
「な、なにそれ」
嫌な予感が背筋を走る。
スレイヴが踏み込み、万年筆を横薙ぎに振るった。
跳躍して躱す。
振り返った彼女が見たのは、鏡のように滑らかな、電柱の切断面。
「ッ!」
返しの刃が来る。
リアハイリンは質量を増やし、重力に引かれるように急降下した。
宙に浮いた電柱の上半分が、さらにふたつに割れる。
伏せるリアハイリンの眼前に、電柱の欠片が転がった。それに、つい意識を奪われてしまった瞬間。
スレイヴがそれを蹴り上げた。
砲弾と化した瓦礫が、リアハイリンの肩を掠めて後方へ飛んでいく。
バウンドする音。
そして、男性の呻き声。
「え」
歩道に、逃げ遅れた男性が倒れていた。
「しまった!」
助けに行きたいが、万年筆の間合いがそれを許さない。
下手に動けば、ふたりまとめて斬られてしまう。
リアハイリンは男性を背に庇い、剣先を見据えた。
そのとき、視界の端にふたつの影が動いた。
星輝と優菜だ。
建物の影を縫うように、男性へと近づいていく。
頬が緩む。
「任せたよ」
ふたりに気づかせないよう、敵の意識を引きつける——。
決意と共に、リアハイリンはスレイヴの間合いへ踏み込んだ。




