第三話「籠の中の月」-3-
放課後。昇降口の喧騒を抜け、瑞季は自分の下駄箱からくたびれたスニーカーを取り出し、履き替えた。いつもなら、ここからひとり、ぼんやりしながら坂道を下っていくのが常だった。だが今日は、星輝と優菜という、瑞季の日常からは浮いた存在のふたりがいた。
「高梁さんが部活入ってないのって、バンドがあるから?」
「そうそう。練習もあるし」
いかにも快活で、運動神経も抜群そうな雰囲気の星輝。彼女が帰宅部であると瑞季が知ったのは、ついさっきのことだった。
「月音さんは生徒会があるから、部活は入ってない感じ?」
「うん、まあ、そんなところかな」
優菜は多くを語らず、曖昧に微笑んで頷くだけだった。
瑞季としては、優菜が帰宅部であるということの方が、星輝が帰宅部であることよりも意外だった。別に、生徒会役員が部活動に所属しているというのは、珍しいことではない。それに、星輝のように学校外で積極的に打ち込んでいる活動があるというわけでも、なさそうなのに。
瑞季がそんなことを考えている間に、星輝はもう別の話題へと切り替えていた。
「この三人以外だと、クラスで帰宅部の女子は西沢さんだけだっけ」
「うん。西沢さんとも一緒に下校してみたいね」
優菜の言葉に、瑞季の胸がちくりと痛む。
三人が昇降口を出て校門へと向かって歩いていると、外の掃除当番をしているらしい別のクラスの女子生徒たちの会話が耳に入ってきた。
「昨日、救急車来てたよね。音楽室いたから音しか聞いてないんだけど」
「うん。女バレの先輩が怪我したんだって」
瑞季は会話を気に止めず、星輝と優菜の後ろを歩く。
そのとき、小さなため息が聞こえた。優菜の方向から。
「ん? どうした優菜」
星輝が心配そうに優菜の顔を覗き込む。
「ううん、なんでも。怪我しちゃった人が気の毒だな、って思っちゃって」
「そっか。まあ、運動部ってのは、怪我がつきもんだからなあ」
星輝はあっけらかんとそう言うと、「それよりさ、」と話題を変えた。
星輝と優菜は小学校からの幼馴染らしいが、瑞季は彼女たちとは別の小学校の出身だった。そのため、帰る方向が違う。
学校から続く、なだらかな坂道。
徒歩五分までの道のりは三人とも同じなのだが、その先で帰路が分かれることになる。
三人が分岐路に差しかかったとき。
足元から、重たい地響きが伝わってきた。同時に、一本向こうの大通りから、轟音と共にコンクリート色の噴煙が立ち昇る。
それは、日常が崩れ去る音。
「あ、あれって……!」
星輝が息を呑む。
「まさか……また?」
優菜の声も、緊張に強張っている。
スレイヴ。
三人は言葉を交わすまでもなく、互いの顔を見合わせ、強く頷き合った。
「方角的に、オフィス街の方っぽいね……!」
山の上にある学校から海までは一本の坂になっているが、ずっと勾配が続くわけではなく、中腹に平らになっている場所がある。このあたりはオフィスや住宅が集まっており、海沿いに次ぐ栄えた場所だった。
瑞季たちは、噴煙の上がる方角へと急いで向かった。
近づくにつれて、人々の悲鳴や怒号といった不穏な雑踏が、徐々に大きくなってくる。けたたましい車のクラクションの音が連続して聞こえてきたかと思うと、グシャリと機械が踏み潰されるかのような音と共に、クラクションの音がぷつりと途絶えた。
三人がたどり着いた大通り。
道路のど真ん中に仁王立ちし、空へ向かって咆哮を上げる巨大な怪物。
身長はビルの二階ほど。初戦のスレイヴよりは小さいが、昨夜の二体よりは明らかに大きい。
禍々しい紫色の体躯には、衣服の痕跡が見て取れた。胸元のスカーフ、脚にはミニスカートのようなライン。
「なんだか、制服っぽいね」
「繋西高校の制服に似てる」
そこは、近所の進学校だ。
瑞季たちの近隣には、逃げ惑う人や走る車の姿は見当たらなかった。スレイヴの足元に、無残に踏み潰された普通乗用車が哀れな姿を晒しているのみ。見たところ、その車の中に人の姿はない。
乗車していた人は、既に逃げ出すことができたのだろう。
瑞季は、わずかながら安堵の息をついた。
「周りのビルの中にいる人たちも逃げられたかな……」
ふと、スレイヴの近くのオフィスビルの壁に目をやると、二階の壁が不自然に凹んでいるのが見えた。スレイヴが暴れた際に、何かを叩きつけた跡だろう。
「……まあ、しがない社畜さんたちは、そう簡単に持ち場から逃げたりはしねえだろうけどな」
「こらこら」
優菜が星輝を軽くなだめたとき。
瑞季は、背後に嫌な気配を感じた。
「やあ」
瑞季たちが弾かれたように振り返ると、長身の男——メルキーヴァが、いつものようにフードの奥で薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「やっぱりこれくらいの時間だと、お嬢ちゃんたちにも都合がいいんだね」
「あんたねえ……。三日連続で現れるなんて働きすぎなんじゃないの? さてはブラック企業の社畜?」
「手厳しいお言葉、痛み入るよ」
メルキーヴァは、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「それで? 王子くんは一緒?」
「渡さない」
「だろうね」
瑞季たちは警戒し、一歩後退する。
彼女は改めて気づく。
メルキーヴァの目的は、ヒナを捕らえることだけではない。彼らが欲しているのは、ヒナがこの世界に持ってきた三つのデシリル・ジェムと、それを使うためのデシリル・アンプ。
つまり、「ヒナを護る」と宣言したものの、それらを所持している瑞季自身もまた、明確に狙われている存在なのだ、と。
だが、メルキーヴァが次に発した言葉は、そんな瑞季たちの警戒心を裏切るものだった。
「……まあまあ、そう殺気立たないでよ。君や王子くんをいたぶったりする気は毛頭ないからさ」
「え?」
瑞季たちは、虚を突かれたように顔を見合わせた。
メルキーヴァは腕を組み、不敵な笑みを浮かべたままだ。
「ほら、俺にかまっている暇があるの? スレイヴは刻一刻と町を破壊してるよ?」
メルキーヴァが顎で示した方角から、金属が激しく軋み、折れるような甲高い音が聞こえてきた。
慌ててそちらへ顔を向ける。
道路脇に立っていた街灯をスレイヴが掴み、道路側へ、ぐにゃりと大きく曲げていた。やがて街灯は、スレイヴの怪力に耐えられなくなり、根元のアスファルトを大きく抉りながら、土台のコンクリートごと無残に引き抜かれてしまう。
スレイヴは、もはやただの金属棒と化した街灯を、槍投げのように、近くのコンビニエンスストア目掛けて投げつけた。
けたたましい音を立ててガラス窓が大破し、店内の棚がなぎ倒されていく。
「君たちが戦っている間、俺は何もしないと約束する。思う存分やっちゃいな」
瑞季が、再びメルキーヴァの方へと目を戻した途端——彼の姿は、最初からそこにいなかったかのように、掻き消えていた。
「どういうことだ? 何を……」
「高梁さん。考えるのは後にしよう」
瑞季の声は冷静で、強い決意に満ちていた。
星輝がハッとして彼女を見る。そこには、昨夜見たヒーローの顔があった。
驚き、そして、込み上げる喜び。
星輝は表情を引き締め、力強く頷いた。
「そうだな。まずは目の前のことだ」
「私の荷物、お願い」
「ああ、任せとけ」
「ヒナ」
瑞季は、肩にかけていたバッグを星輝へと手渡す。少し開いたバッグの口から、ヒナがひょこっと顔を出した。
「ヒナはどうする? 私と一緒に行く?」
「ぼくはここに残り、ふたりを護るニャ」
ヒナはバッグの中から飛び出し、ふわりと宙に浮き上がる。
「え? そんな力あるの?」
瑞季は訝しむようにヒナを見つめる。
確かに、ヒナは空の邦の王子だ。何か特殊な力があるのかもしれない。
「ぼくに任せておけば大丈夫だニャ」
ヒナは自信満々に胸を張っている。
瑞季は一瞬、躊躇した。
ヒナはメルキーヴァに狙われている。メルキーヴァが本当に何もしないでいてくれるとは限らない。瑞季と一緒にいた方が、まだ安全なのではないだろうか。
しかし、ヒナを信じてみたくなった。
右手にデシリル・アンプを掲げ、左手に握りしめた白いデシリル・ジェムを窪みへ、嵌めこんだ。
純白の光が溢れ出す。
それが瑞季の全身を包み込むと、彼女は白き戦士、リアハイリンへと変身を遂げた。
「いってきます」
「いってらっしゃい!」
優菜と星輝のエールを背に、怪物目掛けて駆け出していく。




