第三話「籠の中の月」-2-
四時間目の授業終了を告げるチャイムが、気怠い午後の始まりを告げる。
さてさて、いつも通りの優雅なぼっち飯——。
染谷瑞季がそう自虐しながらお弁当袋を開けようとしたとき、教室前方から彼女を呼ぶ声があった。
「おーい! 瑞季ー! 一緒にご飯食べようぜー!」
瑞季は思わずパチパチと瞬きをし、口をあんぐりと開けた間の抜けた顔になってしまった。
「……瑞季?」
高梁星輝と、月音優菜。
ふたりが机のそばまで来て、不思議そうに顔を覗き込んでいる。
——夢じゃない!?
「は、はいぃっ!」
声が裏返る。勢いよく立ち上がる様は、まるでカツアゲされているかのよう。
だが相手は、クラスの聖母だ。
「ご飯、一緒にいいかな」
「わ、わわ私めのような、吹けば飛ぶような塵芥が、おふたりといいいい一緒だなんてててててて」
「アニメみたいな驚き方だね」
優菜は、くすくすと楽しそうに笑っている。
クラスのあちこちから、好奇と、ほんの少しの嫉妬が混じったような視線が突き刺さるのを、瑞季は肌で感じていた。
無理もない。このふたりは校内で有名人なのだ。
そんな彼女たちが、教室の隅で空気のように存在感を消して生きている瑞季と仲良く話している様子など、異常事態そのものだ。
「無理にとは、もちろん言わないけれど……。やっぱり、ダメ、かな……?」
優菜が、少しだけ寂しそうな表情で、上目遣いに瑞季を見つめてくる。あまりにも破壊力の高すぎる表情に、抗うことができるオタクがいようか。
いや、いない。
「ダ、ダメなんかじゃ、ないですっ! こ、こちらこそ、ぜひとも、お、お供させてください! 光栄の至りでございます!」
瑞季は、再び深々と頭を下げた。
「……ふふ。ありがとう、瑞季さん」
優菜はほっとした柔らかい笑顔を見せる。
「よしっ! じゃあ、話は決まりだな! 行こうぜ、瑞季!」
星輝はコンビニのビニール袋を戦勝旗のように高々と掲げ、意気揚々と廊下へと足を向けた。
「えっと……行こう、って、どこに?」
戸惑いながらもふたりについていった瑞季がたどり着いたのは、校舎の三階の一番奥まった場所にある、生徒会室だった。
「生徒会室?」
「うん。毎週水曜日は、ここで一緒にご飯食べてるの」
優菜が、にこやかに答える。
「え、な、なんでまた、こんなところで……?」
「日課だから」
優菜はこともなげに言うと、ポケットから小さな鍵を取り出し、生徒会室のドアの鍵穴へと、慣れた手つきで差し込んだ。カチャリ、と軽い音がして戸が開く。
「さあ、瑞季さんも、遠慮なくどうぞ」
「は、はい……。お、お邪魔します……」
生徒会室という場所に、生まれてこの方足を踏み入れたことはない。隠しようのない緊張を漂わせながら、おずおずと入っていく。
「ここが生徒会室……思ったより普通……というか、質素ですね」
「ごめんね、優雅なソファとかなくて」
「そこまでは期待してないです」
広さは教室の半分ほど。黒板の代わりのホワイトボードには、びっしりと予定が書き込まれている。中央には長机とパイプ椅子が六つ。
おそるおそる中へ足を踏み入れた。生まれて初めて入る、選ばれし者の聖域。
優菜が換気のために窓を開けた。心地よい冷たさの春風が、部屋の中へと吹き込んできる。その後、彼女は、持っていたお弁当箱を、長机の一番奥側の席に置いた。
星輝は、そんな優菜の動きを慣れた様子で見届けると、その正面の右隣の席にどかりと腰を下ろした。
優菜が優しく促す。
「お好きなところにどうぞ」
「お好きなところ……」
瑞季のぼっちスキルが、無意識に彼女たちから遠い席をロックオンする。
だが、さすがにそれは失礼だ。
葛藤の末、瑞季は星輝の二つ隣——優菜の斜め向かいの椅子を、ぎこちなく引いた。
「ここはね、生徒会のメンバーが予約制でお昼に使えるの。わたしは週一回予約して星輝とお昼を食べてて。星輝以外とここで食べるのは、そういえば初めてだね」
「そうなんですね」
「そんなに他人行儀じゃなくていいのに」
星輝は、コンビニの袋から大きな惣菜パンを取り出し、少し呆れたように瑞季の方へと身体を向けた。
「同じ秘密を共有した同志だろ?」
秘密を打ち明けたのは私だけでは——という気がしつつも、そうやって屈託なく言ってくれることは、素直に嬉しかった。
「う、うん……。分かってはいるんですけど、こう、体が言うことを聞いてくれなくて。すみません」
「まあ、確かに。昨日の今日で唐突すぎるもんな」
星輝は豪快にパンにかぶりつきながら、あっけらかんと言った。
「無理に距離を詰めようとしなくてもいいからさ、気楽にしてくれよな」
まるでここが自宅であるかのような言い方だった。
ようやく瑞季は、おそるおそるパイプ椅子に腰を下ろす。
優菜は、部屋の奥に設置された、小さな冷蔵庫の扉を開けていた。彼女が取り出したのは、緑色の二百五十ミリリットルの紙パック。果汁の全く入っていない、健康志向しかない野菜ジュースだ。
それを星輝の前に、とん、と置いた。
「どうぞ」
「はーい、まずい飲み物サンキュー」
どう考えてもありがたがっていない。
どういう状況?
瑞季はそう思いながらも何も言えず、借りてきた猫のように小さくなって、その光景を見守っていた。
「瑞季さんもいる?」
同じ野菜ジュースを取り出し、優菜が尋ねる。
「い、いえ、結構です」
「だよね、わたしも飲みたくない」
「自分が飲みたくないのにウチに飲ませるなんて、優菜は鬼だよ鬼」
「つべこべ言わない」
「はーい」
母と息子の会話だ。
星輝は眉を曲げながらも、野菜ジュースのパックにストローをブスリと差し込み、咥えた。
「あー、今日もまずい。来週こそ何かの手違いでおいしくなんねえかな」
「野菜ジュースは、月音さんが買ったものなんですか?」
「うん。いつも素敵な音楽を聞かせてくれるお返しにね。野菜ジュースなのは、星輝がいつも不健康な食事ばかりしてるから」
「感謝されてるのか貶されてるのか」
「高梁さんは、いつもコンビニなんですか?」
「まさか。金欠だし。今日は弁当忘れちゃってさ。でも、今日は瑞季とたくさん話したかったから、朝のうちに買ってきたんだ」
——瑞季とたくさん話したかったから。
ストレートな言葉に、心臓が大きく跳ねる。顔から蒸気が出そうなほど熱い。
「あ、あああぁありがとうございますぅぅぅぅ!」
「どういたしまして……で、いいのか?」
星輝は困ったように笑った。
瑞季は、そんなふたりに顔を見られないように俯き、お弁当箱を震える手で開ける。——顔を隠していても、耳が真っ赤になっているのはバレバレだった。
「ねえ、瑞季さん」
優菜が優しく尋ねてきた。
「ヒナはおうち?」
「えっと、連れてきてます」
瑞季がブレザーのポケットから何かを取り出すのを、優菜と星輝は不思議そうに見つめていた。
昨日の戦闘の後、瑞季は改めて優菜と星輝にヒナを紹介し、ヒナ自身の口から事情を説明してもらっていたのだ。ヒナは以前、瑞季に「あのふたりを仲間にすればいいニャ」と言っていたが、その話題は特に触れられなかった。
「ヒナ、出てきて」
瑞季が手のひらの上で声をかけると、懐中時計のような形のコンパクトミラーが、ぽんっ、と気の抜けた音を鳴らす。そして、次の瞬間には、クリーム色と茶色のぶち模様の猫のぬいぐるみの姿へと、変化していた。
「こんにちはだニャ」
あまりにファンタジーな光景に、優菜と星輝は咀嚼をぴたりと中断していた。口の中のものを、ふたり同時にごくりと飲み込んでから、それぞれ口を開いた。
「これは、驚いたな」
「ほんと」
ヒナはふわりと宙に浮かび上がる。瑞季の手を離れ、長机の上へちょこんと着地した。
瑞季が素朴な疑問を口にする。
「そういえば、ヒナってご飯とか食べなくていいの?」
「いつも瑞季からエネルギーを補給してるから大丈夫ニャ」
「は?」
「言ってなかったニャ? ぼくら精霊は、周囲の生き物の感情をエネルギーにして生きているニャ」
「そんな怖い設定聞いてない」
「特に、強い感情ほど美味しく栄養価も高いんだニャ。……夜、おぬしがこっそりと、肌色の面積がやけに多いアニメを見て鼻の下を伸ばして悶えているときの、あの、背徳感と興奮が入り混じった——」
「——やめて! ってかなんで見てるの! 布団に潜って寝てろって言ったでしょ!」
再び、瑞季は顔を真っ赤にした。額には汗が浮かび、前髪がべったりと貼りついている。
「それ、私に悪影響ないよね」
「ないニャ。感情エネルギーは何もせずとも表に出るものだニャ。それを、おこぼれとして頂戴してるだけニャ」
ヒナは、したり顔でそう説明した。
「人間とか猫が食べるような物は食べなくていいの?」
「生きるために食べる必要はないニャ。……けど、娯楽として愉しむことは、あるにはあるニャ」
ぬいぐるみがどのようにご飯を食べるのか——。
星輝はそれに興味があったらしく、食べかけだったチョコチップメロンパンの一部を小さくちぎり、ヒナの目の前へと差し出した。
「食ってみるか?」
「む? それは……チョコチップメロンパン……!」
ヒナは目を輝かせ、星輝の手元へちょこちょことやってくる。
「お? 知ってんのか?」
「食べたことはないニャ。初めての無の邦の食べ物だニャ……」
ちぎったパンを口元へ持っていくと、淡い光に包まれて消え失せた。精霊流の食事らしい。
「ニャニャッ!? な、なんて美味ニャ!」
ヒナは興奮してぴょんぴょん飛び跳ねた。
「こんな素晴らしいもの、初めて食べたニャ!」
「え、そんなに?」
「毎日でも食べたいニャ!」
目をキラキラと輝かせ、完全に興奮状態のヒナ。
優菜が、そっと声をかける。
「健康にも気をつけないとダメだよ」
この手のマスコット的キャラクターは、わがままを言って好きなものだけに固執する、赤ん坊みたいな存在になりがちだが、やはり一国の王子たるヒナは聞き分けがいいらしく、「ふむ、確かに」と頷いた。
「優菜の言う通りだニャ。よし、決めたニャ。瑞季!」
ヒナは瑞季の方へと向き直り、ビシッと短い前足を突きつけた。
「ん?」
「週一でチョコチップメロンパンを献上するニャ! さらに、健康のために栄養価の高いものも用意するニャ!」
「は?」
聞き分けはいいが、図々しさも一級品だ。
「……ねえヒナ様? その食費はどこから出るとお思いで?」
引きつった笑顔で尋ねる。
「瑞季のしみったれたお小遣いニャ」
「しみったれてるのはご存知なんですねー」
瑞季は笑顔のまま、ヒナの顔面を鷲掴みにした。
「痛いニャ! アニメグッズ代をちょっと回すだけニャ!」
「うるさい! あれは私の命なの!」
そんなやりとりに、クスクスと星輝と優菜は笑っていた。
瑞季はふたりの笑い声で我に返り、またしても顔を真っ赤にする。
「す、すすす、すみません……! また、お見苦しいところを……!」
「ううん。なんだか元気で安心しちゃった。ヒナの食費は、わたしもちょっとくらい出すよ」
「ウチも」
「ありがとう……」
瑞季は合掌して感謝を述べた。
ようやく自分のお弁当の蓋を開ける。「いただきます」と改めて手を合わせ、母が作ってくれた少し甘めの卵焼きを一切れ口に運んで、ゆっくりと咀嚼した。
「そういえばさ」
星輝が、ふと真面目な顔になって尋ねた。
「そもそも、なんで瑞季があんな化け物と戦うことになっちゃってんだ? プロボクサーとかの方が適任なんじゃねえの?」
「うわっ、それ訊いちゃうんだ……」
それは、この手の「選ばれし者」系のアニメや漫画では、暗黙の了解として見逃されるべきポイントのひとつ。
だが、そこにヒナは回答を用意してきた。
「それはもちろん、ぼくを拾ったのが瑞季だったからニャ。すべて瑞季のせいニャ」
「私のせいなの!?」
「あと、もうひとつ質問。戦ってたとき、リアハイリン、って言ったよな。この名前、必要あるのか? 普通に本名で呼んだほうが分かりやすくない?」
「——それはダメ!」
答えたのはヒナではなく瑞季だった。
「……ロマンだよ! 普段は本名で、変身したら変身後の名前を使うのは!! ヒーローものの!!!! ロマンだよ!!!!!!」
熱弁が部屋に反響する。
我に返った羞恥心が、遅れて瑞季を襲った。
「と、取り乱してしまいました……」
瑞季は顔を真っ赤にし、いつの間にか立ち上がっていた腰を下ろしてうつむいた。
そんな瑞季の様子を見て、優菜が「う、うん……。気持ちはよく分かるよ、瑞季さん……」とフォローしようとするが、それが余計につらい。
一方、星輝はそんな瑞季の姿を見て、腹を抱えて大声で笑っていた。
「……ぶっははは! いやあ、わりい、瑞季! でも、大事なことだってのは伝わったよ。……それと、やっと敬語を外してくれたな。嬉しいよ」
星輝は涙を拭いながら、ニカッと笑った。
一方、瑞季は頭を深く下げていた。
「私めごときが、タメ口を聞いてしまい、誠に申し訳ございませんでした……」
「なんで謝罪のグレード上げた?」




