第二話「ひとりでは創れない音」-7-
「悠太の足止めを頼む!」
星輝の叫びに、リアハイリンは力強く応える。
「うん! 任せて!」
悠太のスレイヴにとって、眼前の戦士など眼中になかった。
視線は憎悪の対象である渡へと固定されている。
その殺意の射線上に、リアハイリンは滑り込んだ。
「通さないよ」
悠太は一瞬足を止めたが、すぐに羽虫を払うような無造作さで剛腕を振り下ろした。
風を裂く質量。
リアハイリンは最小限の動きで軌道を見切り、振り抜かれた腕へと跳躍した。
しがみつくと同時、脳裏にイメージを描く。
——私は、鉛の塊。
突如、スレイヴの右腕に数トンの重りがのしかかった。
バキリ、と床材が悲鳴を上げる。
予期せぬ負荷にバランスを崩した巨体が、抗う間もなくステージへと縫い付けられた。
獣のような怒りの声が響く。
空いた方の腕が、背中にいるリアハイリン目掛けて向かってきた。彼女はそれをも巧みに掴み取り、関節の可動域を逆手に取ってねじり上げる。
怪物は身動きひとつ取れず、床に伏すしかなかった。
「言ったでしょ? 通さないって」
涼しい顔で告げ、リアハイリンは視線を上げた。
その先には、渡のスレイヴと対峙する少女の背中があった。
星輝は、渡の真正面に仁王立ちしていた。
丸腰。だが、その瞳に宿る熱量は、どんな武器よりも鋭い。
「なあ渡。本番でいきなりジャジーに弾きやがって。ビビったじゃねえか」
まるで放課後の雑談のような軽口。
だが、渡は応えない。
凶器と化したベースギターが振り上げられる。
「高梁さん!」
「大丈夫」
リアハイリンの叫びを制し、星輝は振り下ろされる凶器をしなやかに躱す。床にめり込んだそれを、指先でそっと撫でた。
「でも、ちょっと楽しかったぜ。おまえの、誰にも媚びない自由なとこ。……正直、嫌いじゃねえ」
その言葉に、スレイヴの動きが止まった。
《前任と僕は違う》
次の瞬間、感情の堰が決壊する。
渡は再び凶器を振り上げ、咆哮した。
《僕は……! 僕のプレイがしたい! 誰かの真似事なんて求められる筋合いはない! 僕は、バンド全体で呼吸を合わせながら、最高のリズムを作り上げていきたいんだ!》
ベースギターが壁へと投げられ、ロックバンドのポスターを無惨に引き裂いた。
破片が飛び散り、鋭利な欠片が星輝の頬を掠める。
一筋の赤が肌を伝う。
だが、彼女は瞬きひとつしなかった。
「『バンド全体で呼吸を合わせながら』、か。なるほどな」
頬がジンジンと痺れる。
だが、星輝は頬に触れることすらせず、仲間を見据え続けていた。
「なあ、渡。ずっと不思議だったんだ。……演奏しているときも、今も……。なんでそんなに寂しそうなんだって」
不満の爆発に見えた暴走。
だが、真実は違った。
本当に嫌なら、わざわざ練習に参加する必要はない。しっかりと練習をしてきた上で、本番で挑発的なアレンジを仕掛けた理由。
それは反抗ではなく、必死のアピールだったのだ。
「自分らしいプレイができなくてグズってたんじゃなくて、バンドの一員になりきれないことに、ずっと苦しんでたんだな」
《ソロで好きに弾けなんて……そんなの、ちっとも嬉しくない!》
脳内に直接、少年の絶叫が響く。
《僕は……! 前任の穴埋めじゃなく、Magical Heartの本当の一員として、貸し借りゼロのままステージに立ちたかったんだよぉぉっ!》
心の声は、高性能なスピーカーを通したかのように鮮明に響き渡った。
悲痛な残響が防音壁に染み込むまで、星輝は待った。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……ほんと、ひねくれてんな、おまえ。最初からそう言えよ。ただの自己中だと思ってたじゃねえか」
呆れたような、けれど安堵の混じった笑み。
表情を引き締め、彼女は深々と頭を下げた。
「……でも、ウチらも、おまえをちゃんと仲間として見てなかったかもしれねえ。……悪かった」
リーダーとしての、そして仲間としての謝罪。
スレイヴは立ち尽くし、沈黙を守っている。
「……ただな、渡」
顔を上げた星輝の瞳に、力が戻る。
鋭く、そして温かい光が。
「自分の気持ちは、言わなきゃ伝わらねえ。そこは説教させてもらうぞ」
息を吸い込み、渡を射抜く。
「ステージに立つなら、客を見ろ。おまえ、ほとんど手元しか見てなかっただろ。小手先の技術より先に、前を向け。じゃねえと、本当に大事なモンが見えなくなるぞ」
叱られた子供のように、渡が視線を逸らす。
星輝はその視線の先へ、素早く回り込んだ。
「ウチらが元々持っているものと、おまえの持っているものは、簡単に混じり合うものじゃねえ。だから、ガンガン本音や音をぶつけ合って、磨きあおう。おまえの好きな貸しも借りも、数えられないくらいにな」
星輝は、渡へ右手を力強く差し出した。
「お客さんに、『前も良かったけど、今はもっと好きだ』って、言わせてやろうぜ」
渡は、差し出された手と、彼女の頬の血を見つめていた。
長い沈黙。
やがて。
《……そうだね》
巨大な指先が、彼女の手にそっと触れた。
《このバンドを、僕がもっと進化させてみせるよ》
その言葉を聞いて、星輝はニッと笑う。
「へへっ、いいねえ! 期待してるぞ。……これで、文句はないか? 悠太」
彼女は悠太のスレイヴへ身体を向ける。リアハイリンは既に彼から手を離しており、スレイヴは腕を組んで大人しく立っていた。
「ウチらも、新しいサウンドを自分のモノにしよう。これまで時間をかけて作り上げてきたMagical Heartのイメージが崩れるのを恐れるのは、分かる。でも、ウチらが築き上げてきたものは、そう簡単に壊れやしねえよ。だろ?」
悠太はまだ不服そうに見える。
無理もない。
たとえ渡に悪気がなかったとしても、彼の行動は悠太を傷つけた。その事実は消えない。
だが、悠太も同じく渡を傷つけた。楽屋では胸ぐらを掴んでいたし、先ほどだって酷いことを言いかけた。
だが、彼が普段は人一倍冷静な男であることを、星輝は知っている。
悠太は、組んでいた腕をゆっくりと解いた。
《……そうだな。信じて進むしかないよな》
彼の黒感情は、まだ完全には癒えてはいないだろう。
わだかまりは残るかもしれない。
だが、ここからは言葉ではなく、音で解決すべき領域だ。
悠太が渡のもとへ歩み寄る。
少し照れくさそうに、しかし、まっすぐに。
《……よろしくな、渡》
《ああ。よろしく、悠太》
ふたりの間に散った火花は、憎悪ではなく、好敵手としての熱だった。
星輝は大きく息を吐き、ステージの隅で見守っていたヒーローへ向き直る。
「染谷さん。これで、ウチの役目は果たせたかな?」
「うん。すごかったよ、高梁さん。……本当に、ありがとう」
称賛と感謝を込めて、リアハイリンは右手を掲げた。
掌に集うのは、破壊ではなく再生の光。
「『黒き感情、無に帰せ。デシリア・クリア・スクリーム』」
純白の輝きがステージを満たす。
温かな光が晴れると、そこには怪物の姿はなかった。
残されていたのは、向かい合うようにして眠る、ふたりの少年の寝顔だけだった。
星輝が安堵し、倒れる仲間の間でぐったりと床にお尻をつけるのを、リアハイリンは穏やかに見つめていた。
——すごいな、高梁さん。
「あー、疲れた」
「お疲れさま。それより、頬」
「え? あ、痛てっ」
痛みを思い出したのか、星輝はようやく自分の頬を指でなぞる。その指には赤い液体が付着していた。
「あー。顔に怪我するのなんて久しぶりだな」
「えっと、ティッシュ」
リアハイリンは自分のバッグへ向かう。確か、絆創膏も備えていたはずだ。
そういえば——。
会場中を見渡す。メルキーヴァの姿はどこにもなかった。
「染谷さん。あいつらは、そのうち目を覚ますのか?」
「そのうち覚ますはずだよ。——って! そそ染谷ってててだだだ誰デショウカ」
「さっき普通に頷いちゃってたから、もう遅いんだよなあ」
思い返すと、スレイヴを浄化する前に「染谷さん」と呼ばれていたような気がした。
「ど、どうかご内密に……」
「もちろん」
瑞季は変身を解く。すると、これまでの疲れが一度に肩にのしかかったみたいに、彼女はよろけた。
「おっ、なかなか私服可愛いじゃん」
「ぴゃえー」
そして倒れた。
「個性的な鳴き声だなあ。——あ」
星輝はパチンと指を鳴らす。
「もしかして、昨日の騒ぎのときに、ベンチで寝てた男の子って」
今さら誤魔化す必要もないだろう。
瑞季は、はにかんで首肯する。
「あー、そういうことか。化物が消えるまで、染谷さんが男の子を護ってたのかもって優菜と話してたけど、あながち間違いじゃなかったんだな……あ」
星輝が、入り口を見て固まる。つられて瑞季も振り返り、固まった。
月音優菜が、そこに立っていた。
「あ……見つかっちゃった」
「優菜、いつからそこに?」
月音優菜も困惑した様子だった。目線を泳がせ、どこまで正直に話すべきかを考えた後、「ええっと」と頬を指で撫でながら、白状するような照れ笑いを見せた。
「星輝が、『ただの自己中だと思ってた』みたいに言ってたあたりから」
「あっちゃー」
(第二話「ひとりでは創れない音」了)
第三話「籠の中の月」 2026/2/21 8:00投稿予定




