第二話「ひとりでは創れない音」-6-
純白の光を纏い、リアハイリンへと変身を遂げた少女は、もはや先ほどまでの臆病な女子中学生ではなかった。
瞳に宿るのは、憧れのヒーローと同じ、揺るぎない意志の炎。
メルキーヴァの嘲笑を背に、彼女は暴走する二体の怪物へ向かって疾走した。
「あなたたちの声を聞かせて!」
まずはスレイヴたちの動きを止める必要がある。
そのためには、打撃を与えてダウンさせるのがベストだ。ヒナ曰く、素体が外的要因で傷つくことはないのだから。
その言葉を信じ、ためらいを捨てる。
ベース型の鈍器を振り回す大柄なスレイヴ。その死角へ滑り込み、太い脚の膝裏を蹴り抜いた。
——軽い。
デシリアの脚力は、常識を遥かに超えていた。
軽く踏み込んだはずの蹴りが、スレイヴの巨体をふわりと宙へ浮かせる。
重力を失った怪物は、地面と水平に静止したかのように見えた。
好機。
体操選手のようなしなやかさで跳躍し、無防備な腰を蹴り上げる。
砲弾と化したスレイヴが、天井へと激突した。
鉄骨が悲鳴を上げ、照明器具が粉砕される。
降り注ぐガラスの雨の中、落下してくる怪物へ追撃の拳を構えた。
イメージするのは、鉄塊の重さ。
羽毛のように舞い、鉄槌のように撃つ。
身体が記憶した戦闘本能に従い、拳を叩き込む。
スレイヴは弾丸のように吹き飛び、もう一体を巻き込んでドラムセットを粉砕した。
確かな手応え。
このまま畳み掛ければ、戦闘不能に追い込める。
しかし——。
「違う」
リアハイリンは己に言い聞かせる。
ただ倒すだけではダメだ。素体にされた人の心を救い出さなければ。
その声を、聞かなければ。
そう念じたとき。
《僕は、もっとハラハラした演奏がしたい》
脳髄に直接、男の声が響いた。
「!?」
リアハイリンは驚く。ヒナに状況を聞きたいが、メルキーヴァに「ヒナはここにいない」と言った手前、それはできない。
《ただ言われた通りに、楽譜通りに、求められる演奏をするだけなんて! そんなの、ちっとも面白くないじゃないか!》
「どうして……」
こんなに早く声が聞こえるのか。
「簡単な話さ」
答えたのは、高みの見物を決め込むメルキーヴァだった。
「彼らはすでに、仲間割れして傷ついていた。そこを君が追撃したんだ。すでにダメージの蓄積が閾値を超えていても無理はない。このまま同士討ちしあえば、君にとって万事解決さ。やっぱり、二体同時召喚なんてまるでメリットがないねえ」
相手の声を聞き、悩みを引き出し、それを解決するのは容易ではない。昨日は、少年の黒感情に共感できただけだ。力で解決できるのであれば、そのほうが手っ取り早い。同士打ちして傷ついたスレイヴが二体いる状況では、なおさら、そちらのほうが確実だ。
「でも——」
それを、『救う』と呼ぶのだろうか。
スレイヴがよろりと立ち上がり、ベースを構える。
リアハイリンは立ち尽くすことしかできなかった。
《……僕は……! 僕はただ、僕だけの演奏がしたいんだっ!!》
天に向けた絶叫。
右手が振り下ろされ、弦が掻き鳴らされる。
空気が歪むほどの重低音。
音圧の壁がリアハイリンを襲い、腹の底を揺さぶる。
踏ん張ることもできず、木の葉のように吹き飛ばされた。
床を転がりながらも、リアハイリンは狂ったようなベースの音に耳を澄ませていた。
自己主張が激しく、それでいてどこか悲しげな旋律。言葉にならない感情が込められているのは分かる。
でも、その正体が、どうしても掴めない。
立ち上がった彼女の背中は、迷いと不安に小さく丸まっていた。
ベースを掻き鳴らす彼の黒感情を、どう解決すればいいか、皆目検討もつかない。楽器を演奏した経験もなければ、ましてや、バンド仲間と音楽性の違いでケンカをした後に抱き合うような経験もないのだから。
物理ダメージを与えて、無理やり浄化するしかないのだろうか。
「嫌だ。嫌だけど、分からない……」
《うるせえ!》
独奏を遮る怒号。
ベースの演奏が強制終了させられる。
もう一体のスレイヴ——悠太が、渡の顔面を殴りつけたのだ。
《なにが『僕の演奏』だ! ああん!? おまえの演奏なんて、ただの騒音なんだよ!》
殴られて倒れ込む渡に、悠太は容赦なく馬乗りになる。心なしか、殴られた渡のスレイヴが、恐怖に巨体を震わせているように見えた。
《調子に乗ってんじゃねえぞ!》
悠太は渡の顔面目掛け、右の拳を振り下ろした。さらに、左の拳を振り上げる。
《てめえの独りよがりなプレイはなあ! 指だけはテクニカルに見えるかもしれねえけどよお! グルーヴってのががねえんだよ! この——》
「——悠太っ!!」
少女の声が、ステージに響き渡る。
誰もが声の方角へ目を向ける。スレイヴさえも、振り上げた拳をぴたりと止めていた。
気絶していたはずの高梁星輝が、ステージの隅に立っていた。
「それ以上、言うな」
射抜くような眼光に、スレイヴは力なく腕を下ろした。
「高梁さん、目が覚めたの?」
リアハイリンが、驚いて声をかける。
「……おう。あんだけギャンギャン騒いでりゃ、さすがに起きる」
星輝は、首をゴキゴキと鳴らしながら、気怠そうに言った。
「にしても、首、いてえな……。あの野郎……ってか、」
高梁星輝は言葉を切り、ステージ後方で腕を組むメルキーヴァを、ギロリと睨みつけた。
「おい、オッサン! いきなり後ろから、女の子の首を殴りつけるなんて、どんな神経してやがんだ!!」
メルキーヴァは何も言わず、ただ、肩を竦めてみせるだけだった。
「ったくよお、覚えてろ」
高梁星輝は吐き捨てると、再びリアハイリンの方へと歩いてきた。
「ところで、これ、どういう状況? ってか、あんたは? ずいぶん派手な格好してるけど。地下アイドルか何か?」
不思議そうに、リアハイリンの姿を、頭のてっぺんからつま先まで、じろじろと眺め回している。
「いや、その」
どうやら瑞季だとは気づかれていないらしい。それも無理はない。瑞季は昨日、部屋で変身して鏡を見て自分の姿を確認していた。かなり印象が変わっていたため、まず気づかれることはない、と確信したのだが。
「もしかして、染谷さん?」
声が変わるわけではないし、状況からして明白でもある。
「ちちちちチガイマス、染谷瑞季なんて人シリマセン」
「絶対に知ってんじゃん」
ここで、これ以上あたふたすると、それこそ、ただの染谷瑞季でしかない。ごほん、と咳払いをして気を引き締め直す。
「危険だから逃げてください」
努めて冷静に、ヒーローらしく、言ってみた。
「……はあ? やだね」
高梁星輝はあっさりと拒否した。
「バンドメンバーが、あんなことになっちまってんだぞ? バンドリーダーが指咥えて眺めてられるわけねえだろ」
リアハイリンが、何か反論の言葉を口にする前に、高梁星輝は質問を投げた。
「どうやったら、悠太と渡を元に戻せるんだ?」
「ええっと、あのふたりの心を救うか——じゃなくて! 危険だから! 逃げてください!」
「あんたには救えるのか? あいつらの心を」
バンドリーダーのまっすぐな瞳が、リアハイリンを射抜く。リアハイリンには、その問いに、自信を持って首肯することができなかった。
そんな、言葉に詰まる彼女の様子を見て、高梁星輝は、自嘲気味に微笑んだ。
「要は、あいつらのケンカの仲裁をすればいいんだろ? バンドやってりゃ、そんなの日常茶飯事だよ。まあ、あのふたりに関しては、仲裁に成功できた試しがないが」
「ダメじゃないですか」
「そんなことはねえよ」
彼女は、きっぱりと首を横に振った。
「今までは、確かにそうだった。特に、渡のやつが何を考えて何に不満を持ってるのか、さっぱり分からなかったからな。……でも、さっき、あいつの本当の声が聞こえたんだ。だから、今ならできる気がする。いや、絶対にやってやる」
高梁星輝の揺るぎない断定に、リアハイリンは思わず気圧されそうになる。しかし、相手は、ヒナの故郷を滅亡寸前まで追い込んだ怪物なのだ。ただの人間が簡単に近づいていいような、生易しい存在ではない。
「でも、危険すぎます。人間なんて簡単に——」
「——護ってくれ」
「え……?」
「ウチがあいつらを説得する。だから、あんたは手を出すな。その代わり」
呆然とするリアハイリンに、星輝は悪戯っぽくウインクする。
「もしウチがヤバくなったら、助けてくれよな。——ヒーローさん」
その響きは、リアハイリンの身体の奥底から、熱くて力強いものを込み上げさせた。頭の中に、幼い頃、食い入るように見ていたヒーローアニメのワンシーンが、鮮明に浮かび上がってくる。
強大な怪物から必死で逃げるか弱い少女。
その少女の頭上に、巨大な瓦礫が、無慈悲に落ちてこようとしている。絶体絶命のピンチ。
そこへ、颯爽と現れたヒーローが、その瓦礫を敢然と受け止めた。
アニメで映し出されたのは、少女を護るヒーローの頼もしい後ろ姿を映した、感動的な画角だった。
しかし、今、頭の中に鮮明に浮かんでいるのは、ヒーロー自身の目線から見た光景だった。護るべき誰かのために、その身を盾にする、絶対的な覚悟。
瞳へ熱く込み上げてくるものを、ぐっと抑え込む。
そして、瞳に、本物のヒーローだけが持つことを許される輝きを、確かに見せた。
「……了解。任せて」
その声に、迷いはなかった。
「よし、契約成立だな!」
星輝はニカッと笑い、リアハイリンの隣に立つ。
「さあ、いっちょやりますか!」
「はい!」




