第二話「ひとりでは創れない音」-3-
その日の夕方。
瑞季は月音優菜とライブハウスへ向かいながら、褒められていた。
「その服、かわいいね」
隣を歩く月音優菜が、柔らかな声で微笑む。
瑞季は襟つきの黒いブラウスを着ていた。下は膝下までの赤っぽいブラウンのスカート。ベルトの位置にはリボンがついていた。シャツもスカートも新品だ。首元にはリボンもつけており、普段の瑞季からすれば、かなり気合を入れたお洒落だった。
対して、月音優菜は灰色のTシャツにジーンズと、ラフな格好だった。その気取らない格好は、学校で見せる優等生の姿とは異なる印象を与えた。
しかし、それでもなお、彼女の育ちの良さからくるであろう凛とした佇まいと、内面から滲み出るような知的な雰囲気は、少しも損なわれていない。むしろ、そのギャップが、彼女の魅力をさらに際立たせているようにも見えた。
気合を入れて背伸びした自分と、自然体な月音さん。ライブという場に、どちらが相応しいかは考えるまでもない——。
スタンスの違いを見せつけられる。緊張と羞恥で、額に汗が滲んでいく。
「あ、ありがとう、ございます……」
すぐ側にいる、学校のマドンナ。その美しい横顔を直視することができず、視線を足元に落としたまま、か細い声で答えるのが精一杯だった。
「これ、誕生日にお母さんから貰って、まだ着たことなかったやつで……。黒のと白のがあって、迷ったんだけど、黒に、しました……です」
黒と白といっても、白のはもっとガーリーなやつで——とあわあわ続けたところで、「どうでもよすぎる話を長々と続けてしまった!」と瑞季は心の中で叫んだ。
「す、すみませんでしたっ」
「ふふっ」
月音優菜は、そんな瑞季の慌てふためく様子を見て、悪戯っぽく微笑んだ。
「どうして謝ってるのかは分からないけど、白もきっとかわいいんだろうなあ。見てみたい」
あまりにも自然で、包み込むような優しさ。
瑞季の心臓は、またしても大きく跳ねた。
「ひゃー」
「どうしたの? 面白い声が出たけど」
月音優菜は小首を傾げ、不思議そうに瑞季の顔を覗き込む。潤んだ大きな瞳があまりにも近くて、瑞季の心臓が暴れ出す。
「す、すみません……。月音さんが美しすぎて溶けそうで」
「染谷さんは、闇属性のモンスターか何かなの?」
「そうです」
「違うでしょ」
どうしてこうなったのか——。瑞季は思い返す。
それは至極簡単で、高梁星輝が所属するバンドのライブに誘われたのだ。
あまりに唐突で怪しい誘いだし、今日は夜から好きなアニメ関連のネット生放送が行われる予定だったので、断ろうとも思った。しかし、ヒナが「あのふたりを仲間にすればいいニャ」と言っていたことが気にかかり、承諾したのだ。
その後は一旦家に帰り、どの服を着ようか小一時間悩んで、今に至る。
ちなみに、ヒナはコンパクトミラーに入ったまま、瑞季のバッグで昼寝をしている。
「あの……。月音さん」
瑞季は、意を決して尋ねた。
「どうして、誘ってくれたんですか?」
「うーん、そうだねえ……」
月音優菜は、少し考えるような素振りを見せた後、にっこりと微笑んだ。
「実はね。染谷さんともっと仲良くなりたいなあって、前から思ってたの」
「え、でも、なんで」
「去年の文化祭のイラスト」
「え」
「染谷さんのクラスの展覧会の栞の絵を描いたのが、染谷さんだって聞いて」
「え、あ、はい」
瑞季は絵を描くのが好きだった。特に、自分の好きなアニメや漫画のキャラクターを模写したり、アレンジして描いたりするのが好きだ。
瑞季の趣味がどういうわけか去年の文化祭実行委員の耳に入り、なりゆきでクラス展示の栞に載せるイラストを描くことに。
そこで瑞季は、とあるアニメのキャラクターを描いたのだ。それは、あまり有名ではないが、彼女が熱狂的に愛してやまないマイナー作品のキャラクターだった。
「わたし、あのアニメ好きなの」
月音優菜は少し照れたように、しかし嬉しそうに言った。
「だから、あの栞を見たとき、なんだか嬉しくなっちゃって。この学校にも、わたしと同じアニメが好きな人がいるんだなあって」
「え……えええええっ!?」
瑞季は素っ頓狂な声を上げる。
あのマイナーなアニメを、月音さんが?
可愛らしい絵柄と猟奇的なストーリーのギャップが魅力だが、いかんせん二番煎じ感が否めず、話題にならなかった作品。R指定もついていたし、まさか知っている人がいるなんて。ましてや、それが学校のマドンナである月音優菜だなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた。
「意外……」
「ふふっ。あまり周りに言ってないんだけど、わたしね、アニメや漫画、小説が大好きなの。特に、勇気とか正義とか、仲間との絆とかが描かれる……ヒーローものが熱くて好き」
「私も! 私もヒーローもの大好きです!」
食い気味に叫んでいた。
「気が合うみたいだね。すごく嬉しいな」
学校のマドンナと同じ趣味を持っている。
それだけで、自分が何か小粒な偉業を成し遂げたような感覚に陥っていた。
しかも、月音優菜は「あまり周りに言ってないんだけど」とも言っていた。秘密のひとつを、教えてもらったのだ。
どうして私なんかに……。
昨日のことに探りを入れるため?
たとえそうだったとしても、ほとんど話したことのない相手に、こんなにフランクに接することなんてできる?
すごい。
「月音さん、尊敬します」
「え、急にどうしたの」
月音優菜は不思議そうに小首を傾げた。計算され尽くしたかのように、あまりにも可愛らしい仕草だ。
「だって、近くの席の子が私の好きなアニメの話をしてるってことは、今まで何度かあったけど、私、話しかけたことはないんです」
瑞季は俯き気味に正直な気持ちを打ち明けた。
「輪に入って語りたくてうずうずしたりはするけど。そんな勇気、私にはなくて。だから、すごいなあ、って」
「染谷さんも、たくさんの物語から勇気をもらっているはずだよ。ただ、それを受け取っていないだけ」
優菜は優しい声で言った。
「受け取っていない……」
「そう」
彼女は頷く。
「わたしは、物語が教えてくれる大切なことを、素直に受け止めているだけ。そして、教えられた通りに実行しているだけなの。物語が、わたしの一番の先生だから」
ふわりとした彼女の柔らかな笑み。
それが眩しくて、瑞季は思わず目を逸らしてしまった。
そして、まっすぐな眩しさから目を逸らした瞬間、瑞季の頭の中に、見たくない光景が次から次へと浮かんできた。
いつも、言い訳をして見て見ぬフリをし続けてきた、自分自身の情けない姿たち。
そして、今日の放課後の廊下で、ひとりでとぼとぼと歩き去る西沢沙耶の後ろ姿。
彼女をからかう莉照蓮司の憎たらしい口元。
予定があるからと言い訳して逃げてしまった自分。
「もし、本当は話しかけたい、って思ってる人がいるのなら……。きっと、染谷さんにもできるはずだよ」
優菜の優しい声が、瑞季を現実に引き戻した。
「だって、染谷さんもちゃんと教わっているはずだもん。だから、大丈夫。……わたし、応援してるね」
月音優菜は、もう一度、にっこりと花が咲くように微笑んだ。
◆
「なんださっきの演奏は!」
リハーサル後のライブハウスの楽屋で、ドラムスの悠太はベースの渡の胸ぐらを掴んでいた。
「なんだも何も、僕の演奏だよ」
ベースの渡は悠太の圧などどこ吹く風で、悠太の指に指をかけ、放させようとする。
「放して。襟が伸びる」
「てめえなあ!」
「おい」
横からふたりの腕を掴んだのは、スリーピースバンド『Magical Heart』のギターボーカルで、リーダーの高梁星輝だ。男子ふたりとの身長差は二十センチ近いが、声は誰よりも通る。
「落ち着け。このまま暴れて、他のバンドの楽器傷つけたらどうすんだ」
楽屋には、他のバンドの楽器や荷物がところ狭しと置かれている。
開演三十分前、他のバンドたちは外の空気を吸いに行っていて、残っているのは三十分後の本番でトップバッターを務める彼らだけだった。
悠太はしぶしぶ渡の手を離し、代わりに睨んだ。渡は腕を組み、天井と壁の境界へ目線を移している。
「気持ちは分かる。でも、ぶつかってる場合じゃない」
「でもよ、こいつ全然言うこと聞かねえじゃん」
悠太の意見について、高梁星輝は同感だった。リーダーという立場でさえなければ、あるいは悠太が先に怒鳴らなければ、彼女も同じように胸ぐらを掴んでいたかもしれない。
「言うことなんて聞きたくないよ。君たちの求めるプレイ、つまらないし」
「ああん?」
「落ち着け」
渡は先月入ったばかりの新メンバーだった。前にいたベースと悠太と高梁星輝は幼馴染みで、三人でずっとバンドを続けていたが、元ベースの男子が親や学校に学業を優先させられ、しぶしぶバンドを抜けることになった。その代わりに、彼のつてで、バンドを探していたベーシストの渡を迎え入れることになったのだ。
「渡。ずっと言ってるけど、今日はウチらのプレイに合わせてくれ。ウチらふたりがおまえに合わせて手数を増やすほどの時間がないんだ」
渡が加入してから、まだ二週間しか経っていない。ベース不在の高梁星輝たちにとって、彼の存在は藁にもすがるほどの奇跡だったのだ。
「今日が終わったら、おまえのやりたいような曲もしっかり作っていこう。バンドの方向性も修正しよう」
「おい、星輝。こんなやつのために、そこまでしてやることは——」
悠太の言葉が途切れた、高梁星輝に睨まれたからだ。その鬼気迫る眼光に、悠太は口を接ぐむ他なかった。
そんなふたりの無言のやりとりなどお構いなく、渡はテーブルに浅く腰かけ、手持ちぶさたに指のストレッチをしていた。
「それなりに評判のバンドだったから入ってみたけど、がっかりしたよ。曲調はいろいろあるけど、基本的なプレイばっかりだし」
渡は腰かけていたテーブルからおしりを持ち上げる。
「ま、弾かせてもらえるだけ感謝してるけど、もともと僕らは貸し借りゼロだ。僕は自分のプレイスタイルを折って借りを作る気はないよ」
渡は星輝たちに背中を向けた。
高梁星輝は語りかける。
「渡。今日のステージはおまえのお披露目でもある。MCでソロパートやるか? アドリブ得意だろ。そこでおまえの音を、客に、ウチらに見せつけてみろよ」
それは、今日のライブでは自分たちの演奏に合わせろという、交換条件だった。
チッ、と舌打ちが響く。
「はいはい、どーも。ちょっとトイレ」
渡は振り返りもせず、楽屋から出ていった。




