第9話:つぶらな瞳を持つ獣の爪撃
「うにゅーーーーっ!!」
「ひぁ~~~~っ?!」
謎の獣の可愛らしい咆哮と、俺の情けなくも甲高い悲鳴が森の中に木霊している。
「うにゅにゅにゅにゅ!うにゅーーーーっ!!」
「いやぁ~~~~っ?!」
ちょっと待ってほしい?!こっちに来ないでほしい?!てかその手に生えてる鋭い爪も仕舞ってほしい?!
「マズいマズいマズいマズい超マズい?!」
その獣の突進は、速い!物凄く、速い!!
「木が・・・。デカい木が・・・」
子供の背丈ほどの高さをユラリフワリと飛んでいる俺なのだけれど、そんな俺目掛けて突撃してきたその獣はぶっとい大木をその巨体で薙ぎ倒し、ついでとばかりにその鋭い爪で辺り一帯を適当に引っ掻き回し、俺が身に纏っていた真っ黒なワンピースは既にズタボロである。
「ちょっと撫でようとしただけじゃん?!そこまで怒らなくてもいいじゃん?!」
残念なことに、俺の謝意は野生の獣には全く伝わっていないらしい。その獣はほんの一瞬だけ見失った俺の姿を再びつぶらな瞳に捉えると、その巨体を急ぎ方向転換し、俺目掛けて再び鋭い爪を振り回しながら襲い掛かってきた。
「ひゃん?!」
俺の口から零れるのは、短い悲鳴。
「ひぃっ?!」
それは、まるで女の子の悲鳴のよう。
「ひぐっ?!」
できることならば、急ぎこの場を離れたい。できることならば、背中の翼でもって空高く舞い上がり、あの可愛くも凶悪な獣とオサラバしたい。
「いやぁ~~~~っ?!」
だがしかし、残念ながらそれはできない。何故ならば、今の俺は背中に生えるこの翼をまだ十全に扱えないからである。
「もう許してぇ~~~~っ?!」
今の俺の体、いや、元々は清廉の魔女ことミリエル・ノドヴァ様の体なんだけれど。この体に埋め込まれた複数の異形パーツ、それは幼竜の生体素材・・・。
マスター曰く、俺がその異形パーツとの親和性を高めそれらから竜の力を十全に引き出すことができれば、文字通り人外じみた力を行使することも可能とのことなんだけれど・・・。
「無理無理むりむりムリムリむり無理絶対ムリィ~~~~っ?!」
その力を俺は、十全どころかまだ殆ど使いこなせていないのだ。
「うにゅーーーーっ?!」
「ひあっ?!」
「うにゅにゅうーーーーっ?!」
「いやん?!」
俺の右側頭部に埋め込まれた真っ黒な角の力で生み出した、簡素なワンピース。それはもう跡形もない。なんならマスターから貰ったお古の白いパンツも、そろそろ危ない・・・。
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ・・・」
ハッキリと言おう。今の俺はピンチである。超絶大ピンチなのである。
あぁ~、こんなことなら調子に乗って森の奥になんて行かなければよかった・・・。ウルウルの瞳が可愛いからって、こんな化け物に迂闊に近付かなければよかった・・・。
「このまま、俺は死ぬのか?こんな所で?こんなバカみたいな理由で?」
それは、それだけは・・・。
「ダメだ、それは絶対にダメだ・・・」
だってそれは、あの人に申し訳なさすぎる・・・。
「諦めちゃだめだ・・・。何か、何か手があるはずだ・・・」
考えろ・・・。考えるんだ!!
「うにゅーーーーっ!!」
「くっ?!」
獣の爪が、目の前に迫る。それは長くて鋭くて凶悪で、俺は・・・。
「風竜よ、俺に力を!!」
一対の翼に、力を籠める。薄い緑色のその翼に、俺はありったけの魔力を流し込む。
「今だ!!」
獣の爪は、俺の体に届かなかった。間一髪で、俺はその爪撃を躱した。
「うにゅ?」
獣の動きが、一瞬だけ鈍る。木に深々と突き刺さった爪を抜こうと、獣は俺から視線を大きく外す。
「うにゅ?うにゅにゅ~~~~?」
過ぎ去りし遥か後方から聞こえてくる、何とも形容しがたい獣の声。それに内心ビクビクと怯えながら、パンイチ姿の俺は全力で逃走を図るのだった。