第1話:鏡に映る少女
湿らせた布切れでこびり付いた汚れを落とし、乾いた布切れで水気を拭き取る。その後、更に手触りの良いやや上等な布で磨き仕上げる。そうして汚れを取り除き輝きを取り戻した鏡に映るのは、長い銀髪を揺らし、瑠璃色の瞳をパチクリとさせる年若い少女。
「・・・・・、ふぅ・・・」
何度見ても、眩暈がする。何度見直しても、その姿は変わらない。これが、今の俺の姿だなんて・・・。
「考えるのはやめよう・・・。今は、課された仕事を優先しよう・・・」
汚れてしまった布切れを水の入った木桶の中へと投げ込み、俺は小さな溜息を零しながらその場を離れる。
「掃除の調子はどうかな?マール?」
「・・・・・。えぇ、順調ですよマスター」
「そうなの?でも、その割には全然片付いているようには見えないけど?」
背後から聞こえてくる、いつも通りのマスターの声。それは一切の悪意無く、寧ろ優しさとか思い遣りとかそういった感情すら籠っていそうな声。なのに・・・。
「そのテーブル、さっき拭き上げたばかりなんですけど・・・」
「え?そうだっけ?」
「そこの棚も、昨日丸一日掛けて整理したばかりなんですけど・・・」
「・・・・・。そうだったっけ?」
この人は、どうしてこんなにも・・・。
「マスター。私は、三日前にあなたからこう指示を受けました。この家を綺麗にするように、と。近々、昔の知り合いがここに来るから、恥ずかしくないようにしようって・・・」
だから俺は、あんたの指示通りにやったんだよ。家中の埃を掻き集めては捨てて、染みの付いた床も磨き上げて、棚の中に乱雑に詰め込まれた本も整理して・・・。
それなのに飲み物は零すし、本は読みっぱなしだし、いつの間にか部屋に物は増えてるし・・・。この鏡、元々はマスターの部屋に置いてなかったっけ?それにそこの不気味な像、どこから持ってきたんです?
「テーブルに飲み物零すの、やめてもらってもいいですか?」
「あ、えぇと・・・」
「読み終わった本、ちゃんと元あった場所に返してもらってもいいですか?」
「いや、その・・・」
俺は、何か難しいことを言っているのだろうか?俺は、何か変なことでも言っているのだろうか?
「私は!マスターの指示通りに!!ちゃんとやりましたよ!!!」
「ま、マール?」
「なのに!それなのにあなたはっ!!」
「・・・・・」
綺麗にしたばかりのテーブルは、我が主様が零した液体によって再び汚れてしまった。その液体はついでとばかりに床をも濡らし、染み一つ無いほどにまで磨き上げたそれに新たな染みを広げていく。
「わざとじゃないんだよ。本当だよ」
「当たり前だろ!!これがわざとだったら流石にぶん殴るぞテメェ?!」
「・・・・・。マール、お口が悪いよ」
「むぐっ?!むぐぐっ?!」
こ、こいつ・・・。
「せっかく綺麗な見た目に整えてあげたんだからさ。もっと可愛げのある話し方をしないとね」
「むぐぐぐぐ・・・」
「ね?」
「むぐ~~~~?!」
口が、口が開かねぇ~~~~っ?!
「さて、と・・・。マール、掃除はもういいや。時間切れだ」
「むぐぐぐぐ?!え?」
「ほら、お客様だ」
「・・・・・、はい?」
突如として俺の体を襲った異変。それは玄関の方から聞こえてくる呼び鈴の音とともに呆気なく解除された。
「お客様用のお茶を淹れてくれる?それと、先日町で買ってきた茶菓子も出そう」
「・・・・・」
「マール、返事は?」
「・・・・・。承知致しました、すぐに準備します・・・」
机の上に転がったコップはそのままに、ついでに濡れてしまった床もそのままに、俺は仏頂面を浮かべながら布切れの入った木桶だけを持ってその場を後にする。
「おまえは無事でいてくれよ?せめて五日くらいは、綺麗なままであってくれよ?」
部屋の奥にある厨房へと向かう道すがら、俺は先程綺麗に磨き上げたばかりの鏡に向かってそう呟く。そしてそんな俺の言葉を受けた鏡の中の少女は、生気の一切感じられない瞳のまま皮肉げにその口元を歪めるのだった。




