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「仮にうまく笑えなくても、オレは嫌わないから――安心、して?」


 微かに残っている不安をも、全て拭い去ってくれるかのような言葉。そっと髪に落とされたキスに、思わず顔を上げると――ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべた橘くんを視線が交わる。

 な、何か考えて、る――?

 今までの経験からか、なんとなく、また恥ずかしいことをするんじゃないかという考えが頭に過った途端。




「夜まで……帰らないんだよな?」




 そんなことを言ったかと思えば、体がふわりと持ち上がる。




 えっ……これって。




 体が倒され、背中には、やわらかな感触。

 視界には天井が映り、そこまできてようやく、ベッドに倒されたことに気が付いた。




「あんな言葉聞いたら……男はみんな、勘違いするよ?」




 両腕を掴まれ、視界に、橘くんの顔が入ってくる。

 いわゆる、馬乗り……という状態だろうか。体の上には、覆いかぶさるように、橘くんの体が間近にあった。


「顔、赤いよ。な~に考えてんのかなぁ?」


 その言葉に、私は余計、顔だけでなく体中が熱くなる感覚がした。

 こ、こんな状況だったら……誰って、赤くもなるよ!


「あ、あのう……まさか、ここ、で?」


 してしまうんじゃないかという考えが、頭に過る。

 おどおどする私の様子が楽しいのか、橘くんはふっと怪しい笑みを見せ――そっと、耳元に、顔を近づけた。


「しないよ。言っただろう? 市ノ瀬が求めるまではしない、ってね」


 まるで、私を試しているかのような、そんな言葉。

 確かに、言われたけど……。

 心では、すぐにでも一緒になりたいという気持ちがあるのに、体はまだ、それを受け入れることが出来なくて。

 どう、しよう……。

 受け入れなければいけないのか。

 でないと、嫌われてしまうのではという、嫌な考えが心を支配しそうで。

 ちぐはぐな感覚に胸を痛めていると、大丈夫だからと、やわらかな音声が耳に入る。


「しなくちゃいけないのかなと、そんなこと、考えなくていいから」


「ど、どうして……」


 心を読んだかのような言葉に、私は驚きを隠せなかった。

 だって、いくら待ってくれるとは言っても……その、我慢出来ない時だって、あるだろうし。


「好きな子のためなら、これぐらい当たり前」


「っ……!?」


 ふっと、笑みを見せた途端……唇に、やわらかな感触があった。触れるだけのキスをすると、橘くんは笑顔で、私を見つめた。




「だから――余計なこと、考えるなよ?」




 いつか聞いた、低くて色っぽい声。

 これ以上悩むなと言うその言葉に、キスをされたドキドキも合わさり、私の心臓はもう、爆発寸前なほど、鼓動を増していた。

 そんなこと、言われたら……。

 することは出来なくても、もっと、近くに感じたいと思ってしまう。こんなこと言うのは、男の人には酷かもしれないけど。


「……あの、ね?」


 ゆっくり言葉を発すると、何? というふうに、橘くんは首を傾げる。




「ま、まだ出来ない、けど……一緒に、横になりたい、です」




 自分でも、大胆なことを言ったのは分かっている。恥ずかしいけど、それでも今は、言葉にして伝えたい気持ちの方が勝っていて。――言葉を発したあと、真っ直ぐに、橘くんを見つめていた。




「――ホント、煽るのうまいって」




 ははっと笑いをもらしたかと思うと、上にあった重みが消える。すると横から、温かい温もりを感じた。向き合う形で抱かれ、自分で言っておいてなんだけど、すごく心臓が高鳴ってしょうがない。




「紅葉は……これで満足?」




 耳元で囁かれた言葉に、私は思わず、間の抜けた声をもらしていた。

 い、今……名前。

 初めて呼ばれ、それがいまいち信じられないでいると、橘くんはまた、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「欲を言えば、オレはもう少しで満足出来るんだけど……分かる、よね?」


 こつんと、おでこをくっつけて言う橘くん。

 言おうとしてることは、なんとなく想像できるけど……。

 今まで呼んだことがないし、それに、こんな間近で名前を呼ぶなんてことは、余計に心臓に悪い気がする。


「…………」


「やっぱり……まだ、慣れない?」


 腰に手を添えられ、体を引き寄せる。途端、心臓がドキッ! と、大きく脈打つのが分かった。

 言いたい、けど……。


「恥ずかしいだけなら、呼んでくれるとうれしいな」


 だ、だからそうされると……!

 囁くように言われ、息が時折、耳元をかすめていく。

 全身が、熱を帯びていって……触れられる部分だけでなく、見つめられるだけでも、どうにかなってしまいそうなほど。痺れてしまったかのような、頭がぼぉーっとする感覚が、体を支配していく。




「……、や」




 気付けば、小さく、言葉を発していた。

 きっと、自分でも気付かないうちに、早く言いたかったんだと思う。グラスから溢れ出る水のように、私は、愛しい人の名を、ゆっくり、丁寧ねいに紡いでいく。




「さ、くや……朔夜が、好き」




 名前だけでなく、好きと言われると思っていなかったのか、橘くんの顔は、どんどん赤みを帯びていく。




「だ、だから……そーゆう不意打ちは、反則だって」




 先程までの悪戯っぽい雰囲気は消え、橘くんも、すごく恥ずかしい様子で、私を見つめる。どこか苦しいのか、困ったような表情で、言葉を口にした。


「軽いのだけにしようと思ってたけど……我慢、出来ないだろう?」


 熱を帯びた声に、私はどこか、期待をしていたようで。


「……ちゃんと、息が、出来るなら」


 少し間を置いてから、私は、そう答えていた。

 意外だったのか、一瞬、橘くんは驚いた表情をする。けれど、すぐに満面の笑みに変わり、やわらかい言葉を、耳元で囁く。




「オレも、紅葉が好きだよ。――離さないから、覚悟してね?」




 言い終わると同時。唇に、橘くんの唇が重なる。

 初めは触れるだけの、やさしいもので……次第に、深いものへと移行していく。




「んッ……はっ、ぁ」




 以前の時と比べ、苦しいことはなくて。

 甘くもどかしい感覚が、全身を駆け巡っていた。

 しばらくすると、ゆっくり唇を離す橘くんは、更に体を密着させてきて。




「――もう少し、このままでいよう」




 静かに目を閉じる様子に、このまま寝てしまうのかなと、そんな考えが過る。

 まだ時間はあるし……いい、よね。

 私もこのままでいたくて、頷いて、橘くんの胸に顔を埋めた。




 この時間が……どうか、壊れないように。




 ようやく訪れた安息の時間に、神にも祈るような思いだった。




 いつも、不安を取り除くような言葉をくれて。

 いつも、私の意思を尊重してくれて。




「本当、怖いくらいやさしいね」




「ははっ。やさしいのは、彼女限定だから」




 少し悪戯っぽいところもあるけど、とてもやさしい彼に、自然と、笑みがこぼれてくる。

 支えてくれる人と、一緒にいれる喜びを……幸せというものを、大げさかもしれないけど、私は今、人生で一番と言っていいほど実感していた。


               Fin.


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