第12話 向き合う未来
十一月も半ばに入った時、私はようやく、自分の家へと帰っていた。
久々に戻る家は、なんだか懐かしく……自分の部屋には、まだ画材道具が出していて。雪柳を描いた時から、この部屋は止まったまま。
だから、動かさないといけない。
二日後には、純さんに会うことになっている。それまでに、私はどうしても、やりたいことがあった。
それは……あの日にするはずだった、あの時に感じた思いを、形にすること。
「――よし」
イーゼルに、スケッチブックを立てかける。
今度のはB5の小さい作品ではなく、もっと大きい――F6サイズを、使用することにした。
これぐらい広くないと、生き生きしないもんね。
初めて描くそれに、まるで語りかけるように、私は絵と向き合う。
幸い、利き手である右はふつうに動かせるので、不自由はない。左は少し鈍い時があるものの、長く動かさなければ左も使える。
イメージは……そう、宇宙がいい。
どこまでも続いて。
たくさんの星が見えて。
そして主役は――あの日に見た、あのシャチ。
今まで生き物を描いてこなかったから、うまくかけるかなんて自信はない。それでも描きたいと思ったのは……その日が、私にとっての転機だから。
別れようと決意して。
初めて生き物を描きたいと思って。
――すごく、心が動いた日。
純さんに会いに行くと決めた時もそうだけど、これを書き上げられたら……何か、私の中で変わる気がして。
漠然とした感覚で、完成しても何が変わるとは言えないけど。一つの区切りのような、自分の中で、整理が付けられるんじゃないかと、そんな気がしていた。
全体に青を塗り、徐々に色を足していく。
浮き立たせたい部分は、予め下地を塗っているので、その部分は少し立体的になる。
次に、黄色と緑系の色を足しぼかしを入れていく。
青と緑が交わる交差した色が、私は気に入っている。
一色ではなく、交わったからこそ生まれるその色が、まるで自分のことのように思えて。親近感にも似た感情を抱きながら、丁寧に、色を深めていった。
◇◆◇◆◇
翌日、私は食事を済ませると、また部屋へとこもっていた。
本当なら学校へと行っている時間だが、まだ退院したばかりということで、行くのは来週からにしている。
「今日で……完成させる」
ここまで突き動かされるのは、生まれて初めてだ。
ただの自己満足のため、全ての時間を自分のために割くことも、これが初めてのことで。
昨日と今日の自分には、色々と驚かされる。
「何か……足りない」
朧げな形になっているものの、どこか納得がいかない。
背景のグラデーションは気に入っているけど……もう少し、何かが欲しい。
頭の中で思案しながら、一度手を休め、ベッドへと横たわる。いくら体調が回復したとはいっても、長くは描いてはいられない。
仰向けになり天井に視線を向ければ、窓から、少し冷たい風が入ってくる。それが今は、考えて熱くなる頭を冷やしてくれるようで……なんだか、心地いい。
「――あっ」
ふと、視線を窓へと向ける。
小さくなびくカーテンを目にし、私の中で、これがいいと思いつく。
ゆったりと動くカーテンを眺め、その動きを観察する。
描くのはそう……オーロラ。
シャチの頭上に付けていたグラデーションの部分を更に色分けし、そしてぼかしていく。色を付けては消して、また足していき……徐々に、納得がいくものが出来上がってきた。
「少しは……似てる、かな」
ふだんから、絵には命を与えるような感覚で描いているものの、今度の作品は、本当にそれを実感する。
生き物には大事であろう瞳を、私は今まさに、描き込んでいた。
くりっとして、でも、そんなに瞳は大きくなくて。
真っ黒ではなく、その中にも陰影がしっかりとして……最後に、瞳に明るさを入れれば。
「――完成、した」
背中を椅子へと預け、両手をだらんとぶら下げる。
そして視線を、目の前にあるもの……完成したばかりの絵に、そっと向けた。
初めて……だなぁ。
生き物をきちんと描くのは、これが初めて。
前に何度か挑戦したものの、なんだか納得が出来なくて……それこそ、ただの色味で入れたような印象しかなかったのに。
橘くんには、どう見えるんだろう。
自分で言うのもなんだけど、結構うまく出来ているんじゃないかと、うれしく思った。
これで、本当に生き物を描けるようになったら……。
――天使を、描きたい。
ずっと、私の中にあるイメージ。
でも、生き物を描けない私が、ましてや人なんて描ける訳もなく。今まで授業で描いたのも、何も感じない“ただの絵”でしかなくて。
でも……この絵を描けた今なら、そのうち。
“描ける”なんて自信が、少しずつ、心に満ちていく気がした。
「明日のことだって……きっと」
描けなかったものが描けたんだし、何より、気持ちが以前とは違う。
それに、一人ではないんだから。
もう……逃げるだけの空間から、出て行かなくちゃ。




