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橘くんと、デートの約束をしてから数日。
早くその日がくるようにと、リハビリにも気合が入っていた。
「いい調子ですね。――これなら、外出だけでなく、退院も早まるかもしれませんね」
しかも、先生からうれしい言葉を聞き、気合はより一層倍増された。
まだ学校へ一人で行くのは難しいものの、家に帰れるかもしれないということを言われ、とても励みに感じる。
「ま、ぁ…だ、め……ぅ、か?」
声も、以前よりはハッキリと発音が出来るようになってきて。全部が全部伝わるわけではないけど、美緒にもなんとか伝えられるぐらいになっていた。
「そうですねぇ。――あと二、三日、様子を見てよければ許可しましょう」
あと、もう少しで。
そう思ったら、心はとても晴れ晴れとして。
鏡に映った自分も、心なしか、口元を緩められているような気がした。
部屋に戻ると、私は携帯を手にし、メールを打つ。ようやくふつうどおりに打てるようになり、右手は完全に、元通り動かせるようになっていた。
送る相手は橘くん。
数日中には許可が下りそうだと伝えると、その日が楽しみだというメールが返ってきた。
このやりとりだけでも舞い上がってしまいそうな自分は、ある意味どこか悪いんじゃないかと思えるほど。一喜一憂してしまうことが、自分でも不思議に感じた。
何通かメールを交わすと、リハビリをしたこともあってか、徐々に睡魔に襲われる。ベッドに横になると、眠りに落ちるのはあっと言う間で……。
「――クレハ」
思わぬ来訪者がいることなんて、夢にも思わなかった。
「起きなさい。――クレハ!」
体を揺さぶられ、私は強制的に眠りから覚まされる。
何が起きたのかと混乱する頭に、更に追い討ちをかけるような光景が、目に飛び込んできた。
……お、かあ、さん。
目の前にいるのは、間違いなく母親で。髪をショートにしていたものの、その姿を見間違うわけはなく。――反射的に、私の体は硬直した。
なんで?
確か、会わせないようにって話していたのに。
「聞いてよ。ここのかんごふさん、おかしいのよ? 母親なのに会えないとか……バカなこと言うの」
看護師さん、ダメって言ったの?
でも……だったらどうして、ここにいるの?
「頭にキタから、ママ髪の毛切って、シンセキって言ってようやく入れてもらったのよ?」
ホント、大変だったわぁと、母は笑った。
子どもに会うために、そこまでする覚悟はすごいと思うけど……私には、そんなことをされても喜べない。むしろ髪を切って、名前を偽ってまで来ることが、恐怖にすら感じていた。
「それでねぇ……クレハに、見てほしいものがあるの」
カバンからA4サイズの物を取り出すと、楽しそうに母は笑みを浮かべる。
白に少し金粉が付いた和紙のような厚紙に、私はあのことが頭を過り、嫌な予感がしていた。
『クレハには、ママの国の人が合うのよ』
まさか、本当にお見合いなんて……。
見せられたのは、男性の写真。ほりが深い顔立ちに、少し色黒のそれは、間違いなく、母と同じ国の人だった。
「どう? カッコイイでしょう?」
片手で写真を見せてくると思えば、もう片方の手は、ガッチリと私の右手を掴んでいて。強制的に、写真を見なければならない状況だった。
「この人、向こうでシャチョウをしてるのよ? ふつうのじゃあなくて、リゾートのところ。いいでしょう?」
そりゃあ、母にとってはいいだろうけど。
私はその人に、何の魅力も感じない。知らない人にそこまで思うのは失礼だと分かっているけど、私には、この人とこの先一緒になるという想像が出来ない。
「あら、何も答えなんて……ハズカシイの?」
「…………」
何も、答えたくない。
答えなければ叩かれるかもしれないと考えが過るものの、さすがに、病院でそこまではしないだろうと思うから。
「いい。クレハは、この人と会うのよ?」
分かったの? と、少し低くなる声に怯えてしまい、私は反射的に、首を縦に振り頷いていた。
満足したのか、母は自分の膝の上に写真を置くと、その手を私の頬へと移動させる。
「そうよ、ママの言うとおりにすればいいの。――いうこときかないから、こうやってビョーインにいるんだから」
そんな、こと……それとこれとは、関係ないのに。
触れられた部分が、気持ち悪い。
頭には今までのことがフラッシュバックし、眩暈にすら襲われる。
せめて、ナースコールを押せればと思い右手を引いてみるものの、まだ力が完全に戻っていないせいか、ガッチリと掴まれた腕からは、逃れることが出来ないでいた。
「ママが、シアワセにしてあげるからね? クレハは、いうとおりにしてればいいのよ」
楽しげにふふっと笑みをこぼし、母は私に近付くと。
「っ……!」
私の額に、唇を落とした。
途端、気持ち悪いという感情を通り越し……とても、虚しい感覚が湧く。
お、なじ――。
同じ場所に、さ、れた。
橘くんと同じ場所に触れられたのが、酷く悲しくて……目からは、涙が溢れ出していた。
「あら、泣くほどうれしかったの? だったら、もっとしてあげるわよ?」
再び、笑顔で近付く母。
この時の笑顔が、私には悪魔のように思えた。
うれしいはずない。
こんなの……全然うれしくない!
怒りにも似た感情が湧き出し、振り払うような仕草を見せ、母から離れようとする。
少しでも離れたいと、全身が、母という存在を拒絶していた。
やめて……もう、触らないで!
「……ぃや!」
拒絶の言葉を口にすると、母は一瞬、驚いたような表情を見せる。けれどすぐに、それは怒りの表情へと変わり――いつも私を叩いていた時と、同じ表情を見せた。




