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「筋肉が、思うように動かせないですね。ここは、動かせますか?」


 言われるがまま、私は手・足と、ゆっくりと動かしていき――最後に、顔を動かすようにと言われ、口元を緩めてみたのだけど。




「――やはり、難しいですか」




 そう言うと、先生は真剣な表情になり、私の目を見据えた。何を言われるのかと緊張していると。




「――どうやら、表情を作れないようですね」




 耳に入ったのは、そんな言葉。

 言われていることがすぐに理解出来ず、ただ、驚くばかりで。

 ガラス越しに映る自分を見れば、冷たい表情の自分と、視線が交わる。




 これが……私?




 目の前に見えるのは、無表情な自分。

 まるで人形のような姿に驚くも、それが表情に出ることはなくて。

 そっと頬に触れながら、心の中で、私は酷く落胆したいた。

 あっ……これなら、ちょっと。

 どうやら、眉をひそめることや、悲しいような表情をすることは出来るようで。

 けれど、やはり口元を緩めて笑うとか、口角を動かすことは、うまく出来ない。


「余程、ストレスがかかっていたのでしょう。今のあなたは、無表情に近い表情しか作れないようです」


 スト、レス……。

 途端、心に靄がかかったような、なんとも言いがたい感覚に襲われる。

 先程の母との映像が再び頭を駆け巡り、体が、何もかもを拒絶したがっていた。




 気持ち……悪い。




 思わず口を押さえると、先生は背中を擦り、余計なことは考えないようにと言う。


「今は、ゆっくりと休んだ方がいいです」


 しばらく擦られていると、落ち着いてきたのか、胸のつかえがやわらいでくる。

 明日になれば……少しは、よくなるのかなぁ。

 不安な気持ちを抱えたまま、私はゆっくりと、目蓋を閉じる。

 眠りへと落ちていきそうになった時、何か、頬に触れている感触があった。目を開けて見るも、眠りかけていたせいか、よく見えなくて。




「ごめん……ホントに、ごめん」




 ただ、懺悔の言葉を口にする声だけが耳に残って。

 触れられている部分が……なんだか、心地いい。

 落ち着くような感覚に身をゆだね、私は再び、目蓋を閉じた。


 ◇◆◇◆◇


 翌日、私はまた検査を受けた。

 終わると祖父母が来ていて、先生が私の状態を説明していく。

 二人は涙ながらに聞いていて、痛かったろうにと、体を擦ってくれた。

 心配……かけちゃった。

 ただでさえ、私が母から嫌なことをされたと知って、祖父母は罪悪感を覚えていたのに。申し訳なくて、二人に頭を下げることしか出来ない。


「お父さんには、私から連絡しておくから。――あのう。一つ、お願いがありまして」


 祖母は、先生に何か頼みごとをしていた。何を言っているのかと思えば、母が来ても、会わせないでほしいということ。最初は疑問に思っていた先生も、祖母の様子を見て察したのか、分かりましたと頷いてくれた。

 祖母からその話をしてくれ、私は少し不安が和らいだ。

 もし、今この状態で母と対峙してしまったら、きっと、今まで以上に取り乱してしまうから。

 祖父母が帰ると、私はベッドで横になっていた。まだまともに動くことが出来ないから、部屋に備え付けてあるテレビを見ることで、暇を持て余している。

 ……退屈、だなぁ。

 こういうふうに、ふだん何もしないという時間がないから、どうしていいものかと困ってしまう。

 しかも個室とあってか、妙に静かで。白を基調とした壁と、窓に付けられた薄い青が、余計にそう思わせる。

 指ぐらい、は……ちょっとはマシ、かな?

 ゆっくりと動かし、まだぎこちないながらも、握っては離しを繰り返す。両手で試してみると、左が右よりもぎこちなく、どうしても震えてしまう。

 右だけなら……出来る、かな。

 テレビ台に置かれている携帯に、そっと手を伸ばす。なんてことない動作なのに、それを手にするだけで、深いため息が出るほどだった。

 あれ……なんで、こんなメール。

 携帯を開くと、そこには一通のメールが入っていた。

 差出人は橘くん。内容は、学校が終わったらここに来るという内容なのだけど……最後の一文が、引っかかる内容だった。

 そばにいるから、って……。

 どういうことなんだろうと、頭を悩ませる。

 純さんからなら分かるけど……どうして、橘くんが?

 そんな疑問が頭に過った途端、ピキッ! と、頭に痛みが走る。

 声にならない声がもれ、両手で頭を押さえ、痛みに悶えた。




『あの時から……ずっと、君に惚れてた』




 学校の光景が浮かんだと思ったら、聞こえたのはそんな言葉。

 この声……純さんじゃ、ない。

 朧げな光景が浮かんでは消えていき、幾つかの光景が見える中で、印象に残ったのはその言葉だけで。

 胸が……苦しい、よ。

 ケガで痛むとかではなく、そう、まるで初恋でもしたかのような。

 胸が騒いで、落ち着かなくて……。

 これじゃあまるで……橘くんの、こと。

 右手で胸元を掴み、唇をぎゅっと噛み締める。

 彼氏がいるのに、そんなことを考えるなんて。それなのに、自分は明らかに彼氏以外の異性に惹かれていて――沸々と、罪悪感が芽生えていた。

 別れてもいない。ましてや、兄の彼女からこんなことを言われても、迷惑がかかることは目に見えているのに……。

 早く、会いたいと思ってしまう自分がいた。




 けれど、それから橘くんとは会うことは出来なくて。




 美緒たちとも会うことを許されず……私はしばらく、面会謝絶になってしまった。


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