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「……市ノ瀬」


「は、はいっ?!」


 名前を呼ばれただけなのに、驚いたせいか、裏返った声を出してしまった。


「聞きたいことあるんだけど……いい?」


「いい、けど……ど、どうしたの? なんだか、改まっちゃって」


 お酒のせいではないと思うけど、それまで楽しげだった橘くんの様子が、真剣なものへと変わっていた。


「アニキが渡したっていう手紙……まだ、持ってる?」


「えっ? も、持ってるけど、それがどうかしたの?」


「それ……見せてもらえない?」


 射るように向けられて視線は、とても強く。どれだけそのことに真剣なのか、言わずとも伝わってくる。


「そ、そんなに、見たいなら」


 明日にでも見せるよと言うと、橘くんはお礼を述べた。


「それと……もう一つ、聞きたくてさ」


 一口お酒を飲み、続きの言葉を口にする。




「市ノ瀬は……これから、どうしたい?」




 私に問うその目は、とても悲しくて。

 出てくる答えを、まるで怯えるように待っていた。

 どうしたいって……それって、純さんとのこと、だよね。

 次第に俯いていくのが分かり、私は顔を上げ、ちゃんと答えようと、橘くんの目を見据えた。


「すごく、悪いとは、思うけど……」


 言わ、ないと。

 そしてあのことも、聞いてみないと。

 目の前にあるお酒を一気に飲み干し、勢いで言葉を発する。




「もう……別れ、たいな。――だけど」




 ぐっと、手に力が入る。

 別れたい気持ちはあっても、簡単にはいかない。あの写メがある限り、不安は拭いきれないのだから。


「……写真、が。あるから、すぐには……怖く、て」


「それ、すっげーイヤなものなんだな」


「うん……撮らせた自分が悪いのは、分かってるんだけど、ね」


 ぽつり呟いて、手にしているグラスを口に運ぶ。

 橘くんもグラスを口へと運び、また、静かな雰囲気に包まれていた。




「――待たせたな。悪いけど、今日はお開き」



 

 そう言って、海さんはテーブルに並べられた食器を手にする。


「あ、私が洗っておきますから」


「いいって。元々今日は、俺の当番だしさ」


 そう言うと、海さんは慣れた手付きで食器を洗っていく。

 私たちはテーブルを拭いたり、飲んだ缶を片付けていると、急に、カチャッとドアが開く音がした。


「かぁ~い~」


「げっ、来たのかよ。大人しく寝てろって」


「海がいないと、やぁ~!」


 えへへっと笑いながら、美緒は海さんの背中に抱きつく。

 美緒にはもう、私たちがいても関係がないようで。目の前では、完全に甘えモードに入った美緒がいた。


「か、海さん。残りは、私がやりますから」


「わ、悪いな……ってか美緒、絡むな!」


「い~じゃんかぁ。久しぶりにぃ~エッ」


「言うな!」


 慌てて美緒の口を手で塞ぎ、海さんは私たちに悪い! と言い、部屋を後にした。

 なんとなく……美緒が言いたかったこと、分かるかも。


「今日の福原……いつにも増して激しいな」


「うん。やけに甘えてたよね」


 ふだんの美緒からじゃ想像出来ないけど、やっぱり、安心出来る人がいると、あんなふうにさらけ出せるものなのかなと、ちょっと羨ましかった。

 残ったお皿を洗い終えると、ふとした疑問が、頭を過る。




 いつから……だっけ。




 カレを送らなきゃとか。

 酔うわけにはいかないとか。

 先のことを気にして、自分がしないとって気負って。

 純さんの前で気を抜いたのなんて……最近、あったかなぁ?

 もうずっと気を張っている気がして、別れたいと思うようになってから、そういうことが気になり始めていた。




「――市ノ瀬?」




 ハッと気が付いた時には、目の前には橘くんの顔があって。


「気分、悪くしたか?」


「だ、だいじょっ?!」


 驚いた私は、咄嗟に離れようと体を後退させた途端、ガクッと、体が傾いた。

 しまったと思った時には、もう遅くて。ゆっくりと、体が後ろへと倒れるのが分かった。

 痛みがくるであろうと覚悟し、ぎゅっと目を閉じたのに。




 ……痛く、ない?




 鈍い音がしたのに、痛みはなくて。




「っ~、セーフ……」




 安堵のため息が聞こえ、ゆっくりと目を開けると。


「今日は飲んでんだから、気を付けないと」


 下敷きになった橘くんの顔が、目の前にあった。

 途端、顔が一気に熱くなる。ぼわっと、頭から湯気でも出てるんじゃないかって思うほど。


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