決断
うとうととした心地よい眠りの中で、何かがコツ、コツ、と響く。何なのだろう?このまま眠っていたいのに…。マルタは不快な物音にゆっくりと瞼を開ける。隣には瞼を閉じ、寝息を立てているお婆さん。そして、シャルルが立っている。…ん?シャルル?
満月の月光を背に浴びたシャルルの顔は暗くて見えなかったが、小さな肩は震えていた。コツ、コツン…夢の中で聞いた音がまた響く。何なのだろう?窓の方から聞こえる。…ああ、そういう事か、とマルタは窓の下を見て思った。月光に輝く、銀色の髪。見開かれた祈る様な青い瞳。
「シャルル、行くのよ。」
マルタはシャルルの震える背中に向かって言った。
「バネッサ様の事は、私に任せて。私はその為に作られた奉仕の為のお人形。最後までバネッサ様に付き添うわ。貴方は愛し、愛される為に作られた。私にはない能力を持っている。本当にハンスを大切に思うのなら行きなさい。次、会える保証なんてないんだから…。」
シャルルは振り返った。案の定、大きな鳶色の瞳は涙の粒で一杯だった。マルタは時計を見て言った。
「それに、12時までまだ2時間もある。まだ、十分時間はあるわ。」
「マルタ…ありがとう!」
涙はこぼれたが、いつものご機嫌なシャルルの、満面の笑みだった。駆け出していくシャルルにマルタは叫んだ。
「でも、掟だけは守るのよ!ばれてしまったら、ハンスも私もバネッサ様も、みんなが悲しむんだからね!12時には…12時には帰ってくるのよ!」
シャルルは行ってしまった。でも、これで良かったのだ、とマルタは思う。ハンスはとても良い少年だった。そして、ハンスと一緒にいる時のシャルルの楽しそうな顔!それを目の当たりにしてからは、二人を咎めることなんて出来るわけがなかった。やっぱりシャルルはいつも笑っていた方が良い。でももし、シャルルがこのまま帰って来なかったらお婆さんは悲しむだろう。そして、悲しんでいるお婆さんを見る事はマルタにとって何より辛い。でも、後は、シャルルを信じるしかない。シャルルはきっと戻ってくる。マルタはドレスのポケットに手を入れ、何かを取り出した。指をそっと開くと、そこには七色に輝く羽の形をしたパールが満月の光を浴びていた。
「今日は奇跡が沢山起こるみたい。」
マルタは満月に祈りを捧げた。




