初盆
夏休み、わたしは補習と課題で休みなく通学している。
家庭科部は夏休みの活動がなくて陸斗はお休み。なのにわたしが家を出る時には起きてきて「行ってらっしゃい」とあくびをしながら見送ってくれる。
母は、どんなときも必ず朝の見送りを怠らなかった。
歯を磨いていても、洗い物をしていても、喧嘩をして気まずく気配を消して行こうとしたときも、絶対に見逃さずに見送りに出ていた。
わたしと陸斗も同じように見送り合う。
だってもしもが起こることを身を持って知ってしまったから。
母は言わなかったが、もしもが起きても後悔しないために、そして後悔させないために、どんなときも笑顔で送り出していたのかもしれない。
夏休み中、わたしが登校する日は陸斗が夜ご飯を作ってくれる。
スマホで検索して適当に作るわたしに対して、陸斗はきっちり分量を量る。しかも夏休みで時間があるので、凝った料理にも挑戦している。そして美味しい。
林君のお母さんにも教えを請うているようで、料理の腕はわたしよりもずっと良くなり、姉としてちょっと複雑だった。
補習が終了する頃、わたしは林兄の手を離れた。林兄のお陰で勉強が追いついただけじゃなく、しっかり理解させてもらえた。次のテストが楽しみになるほど。嫌々習い始めたのに今は林兄様々だ。
八月十一日。葬儀屋さんがお盆の準備に来てくれた。
初盆まで面倒をみてくれるらしく、料金も先払いされていた。
三月のあの日。動転するわたし達に代わって、父の会社への連絡は学校が。葬儀屋の手配をしてくれたのは林君のお母さんだった。
わたし達には父と母しかいなくて。伯父は警察の人がどうやったのか分からないけど連絡してくれて、いつの間にかそこにいた。
祖父母は陸斗が生まれた頃には全員が亡くなっていたので、それだけだ。
林君のお母さんには甘えてばかり。長く続くと相手の負担になると分かっているけど、何をしたらいいのか分からないので本当に助かっていた。
もちろん、立て替えてくれたお金は親が残してくれた遺産からちゃんと渡してるけど、気付かせてくれたのは弁護士の沖田さん。わたしじゃ分からないことばかりだった。
祭壇が出来上がると、わたしと陸斗は無口になった。お互いあの日を思い出しているのだ。
たった五ヶ月。半年すら過ぎてない。
二人並んで座っていたら、いつの間にか手を繋いでいた。
十二日を過ぎると、父の会社の人や同級生たちが家族とお参りに来てくれる。
一番に来たのはやっぱり林家。四人揃って。
続いて弁護士の沖田さんに、陸斗の担任の小野川先生。
小野川先生は教頭先生を伴ってやってきて、二人して「困ったことはないか?」と親身になってくれた。
県外に出て親の介護をしている菅原先生も来てくれた。びっくりしたのと嬉しいので泣いてしまった。
加害者からは御仏前が送られてきた。
伯父からは音沙汰なし。血がつながっているのにやっぱり変だ。伯父と父たちの間に何があったのか気になるけど、沖田さんは教えてくれなかった。
わたしの担任の長谷部先生は、形式通りにお参りして、「二学期からは頑張って」とだけ言葉を残して帰って行った。
お盆が終わると祭壇が片付けられて、枯れかけた分を除いた生花が残された。
人の出入りで賑やかだった家は途端に静けさに包まれる。
わたしは何とはなしに母のスマホを引き出しから取り出して充電をしながら電源を入れた。
陸斗が「何してるの?」と聞いてきたので、「写真を見ようと思って。陸斗も一緒にどう?」と誘ったけど、「俺はいい」とアイス片手にソファーに座ると自身のスマホを触りだした。
母のスマホにはわたし達の写真が山のように保存されている。
幼少期の分は写真用紙に印刷されているけど、最近の分は全てデータのままだ。
その中からわたしは陸斗の卒業式の様子を見るつもりだ。
今日までちゃんと見る機会がなくてそんな気にもなれなかったけど、初盆を終えて、いまなら見ても大丈夫な気がしたのだ。
いなくなってしまう前の父と母の姿を。