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加藤 里う

9 加藤 




 夕刻になって、加藤さんは夜笑さんに連れられて夜刀神社にやってきた。

 興味津々のリトは、目を輝かせて加藤さんを出迎えた。


「カトー、人間を殺したのかにょ?」


 こらこら、滅多な事を訊くもんじゃない。

 幸い、リトの言葉は加藤さんには通じていない。

 隣の夜笑さんは苦笑いしている。


 夜笑さんと加藤さんは、お社の軒下に腰を掛けた。

 明らかに加藤さんの機嫌は悪い。


「くそぉー、あの女ぁー」


 加藤さんは、傍らに置いたビニール袋から、缶の飲み物を取り出すとグビグビと呑み始めた。


「ぐぅはぁー。絶対許さん。このあたしに手錠をかけようとしたのよ!」


「まぁーまぁー。とりあえず、最初から話してごらんなさい」


 夜笑さんはそう言うと、自分も袋から飲み物の入った透明な瓶と取り出し、その中身を啜った。


「にゅー、何飲んでるにょ?」


 リトは、夜笑さんの膝の上に登ると、ヒクヒクと二人が飲んでいる物の匂いを嗅いだ。


「にゅー、お酒にょー。不良にょー」


「はいはい、あなた達はこれね」


 加藤さんは、袋からとても素敵なものを取り出した。

 ニャウニュールだ!


 加藤さんは、夜笑さんが用意してくれたお皿に、ニャウニュールを入れる。

 俺たちは、すかさずお皿に飛びついた。


「これ、この子たちの大好物なの」


 加藤さんは、微笑してエサに喰いつくリトの背を撫でた。


「で、何があったの?」


 夜笑さんが、手に持っている酒を啜りながら訊ねる。

 加藤さんの飲んでいるお酒より、夜笑さんの飲んでいるお酒の方が、匂いがきつい。


「えーと・・・。まず今日、うちのお店に強盗が入ったの」


 え! 

 俺と夜笑さんは、びっくりした。

 リトは、エサに夢中。


大事おおごとじゃない。それで警察の人が来ていたのね」


「店長がお金を要求されていたんだけど、もうビビリすぎちゃってレジも開けられないし、通報もできないしで、私が応対に向かったわけですよ」


 加藤さんは、酒臭い吐息を吐いた。


「お客様、どういったご用件でしょう? って、刃物を持った男に声掛けて・・・」


 加藤さん。気も座っているなぁ。

 俺だったら、隠れちゃう。


「そうしたら、金出せって言ってんだよ。早くしろよ! って、何故かあたしにキレて飛びかかってきたわけ」


 やばいよ! それ、どうやって加藤さん無事で切り抜けたのだろう?


「店長に怒鳴り散らしていた人が、まさか私に飛びかかってくるとは思わないじゃない。女だし・・・」


 俺と夜笑さんは、大きく頷いた。


「まぁ、不意を突かれたというか、咄嗟の出来事だった言うか・・・」


 加藤さんは、お酒の缶を置いて軒下を飛び降りると、華麗な上段蹴りを披露した。

 バシン! と、空気が切れる音がする。


 俺は、口に含んでいたニャウニュールをボタボタとお皿の上にこぼしてしまった。

 人間の、しかも女性から放たれる蹴りとは思えない音がした。


「加減はしたつもりだったんだけど、強盗は頸椎損傷で救急車で運ばれて・・・」


 加藤さんは、石畳の上で項垂れた。


「後から来た警察が、過剰防衛だ傷害罪だとまくしたてて・・・」


 項垂れていた加藤さんに、怒りのオーラが沸き起こる。


「あの女警官めぇー」


「でも、結局逮捕はされなかったんでしょう? 良かったじゃない」


 夜笑さんが、なだめるように言った。


「警察署のベテランお巡りさんと、兄が来てくれなかったらどうなっていたことか」


「お兄さんが来てくれたの?」


「ええ、あちこち頭を下げてくれて・・・。立つ瀬がないわ」


「良いお兄さんよね。優しそうだし、カッコいいし」


 夜笑さんが、にんまりと笑う。


「ええ、自慢の兄よ」


 「うちゃん。強いのは良いけど、格闘技少し控えないとね。お嫁に行けなくなっちゃう」


「私だって、控えたいの! くぅそーあのしょぼい強盗めぇー、あの程度で頸椎損傷するぐらいなら、真面目に働けってんだ」


 加藤さん・・・。格闘技やっていたんだ。

 人は見かけに寄らないものだ・・・。


「そうだ、里うちゃん。今度お兄さんと一緒に厄を払いましょうよ」


 夜笑さんは、加藤さんに微笑みかける。


「あれ・・・。夜笑さん。もしかして私のお兄ちゃん狙ってる?」


 加藤さんが、眼鏡の奥の冷たい目で夜笑さんを見る。


「や、やだー。そんな訳ないじゃない」


 夜笑さんは、引きつった笑みを浮かべた。


「そうよねー。兄と一緒になる女性ひとは、少なくとも私より強い人でないと」


 加藤さんがそう口にした瞬間、辺りの雰囲気が変わった。


「あら・・・。じゃぁ、勝負してもらおうかしら・・・」


 夜笑さんが、少し怖い声で言った。

 目が笑っていなかったし、背中からどす黒い妖気が漏れ出ている。


「やだなぁー。夜笑さん、本気にしてぇ」


 加藤さんは、クスクスと笑い出した。


「か、からかわないで下さい」


 夜笑さんは、顔を真っ赤にそめてオロオロした。


「さて、私は一応お店に戻って店長に報告してきます」


「大丈夫なの? 顔赤いよ」


「大丈夫、大丈夫。少々お酒が入ってたって、咎められはしないわ。あの根性なしにそんな事できないし、させない・・・。」


 最後の方は、ちょっと怖い口調になっていた。

 加藤さんは、来た時よりは機嫌よく夜刀神社を去って行った。


 まぁ、加藤さんの気が紛れて良かったんじゃないだろうか。

 さすが夜笑さん。


 俺は、気を取り直して食事の続きをと、足元を見る。

 そこには、すっかり自分の分を食べ終えたリトが、俺の分も食べつくして皿を舐めまわしているところであった。


「あああぁぁー、ひどい! なんてことをー」


 ちょっとしか食べていないのに・・・。

 悲しくなって、目がぼやけてきた。




 日が沈んだ後の商店街は、仕事終わりであろう男たちと、夕食の仕度に慌てて買い物に出てきた女たちで混みあっていた。


 この商店街には、ちらほらと飲み処があって、買い物客と酔いどれが行き交うのだ。

 滅多に見ない光景に、俺の心は弾んだ。


 ニャウニュールを食べ損ねた俺を、夜笑さんが買い物に誘ってくれたのだ。

 ニャウニュール、買ってくれるんだって!

 リトはもうお腹いっぱいだから、お留守番。


「ねぇ、夜笑さんはどこで加藤さんとお友達になったの?」


 これが不思議でしょうがない。

 こう言ったら悪いんだけど、妖怪と人間だしね。


「里うちゃんも、小さいころに神社に遊びに来てくれていたんですよ」


「へぇー、じゃぁそれからずっと?」


「いえ、10年ほど間をあけました。私、歳を取らないから、ずっと夜刀神社にいたら妖怪だってばれちゃうじゃないですか」


 10年って・・・。微妙だな。


「じゃぁ、加藤さんは夜笑さんのこと憶えていなかったの?」


「いえ、憶えていました。久しぶりって言われました」


 ダメじゃん。


「加藤さんに、バレてるんじゃないの?」


「んー。たぶん、お肌のお手入れが上手なのね。ぐらいにしか思われていないんじゃないかと・・・。」


「いやー、そんな事ないでしょうー」


「蛇って、バレているんでしょうか?」


「それは大丈夫だとは思うけど、まぁ怪しいよね」


「ショックですー。どうしましょうー」


 ショックっと言っている割に、余裕を感じるんですが・・・。


「まぁ、愛や友情って形のあるものじゃないですから、目で見えている姿形なんてどうでもいいのですよ。きっと」


 夜笑さんは、そう言って微笑んだ。

 素敵な蛇だな。


 その時、前方の飲み屋さんらしきお店から大きな声がした。


「二度と来るな! このろくでなし!」


 歳をとった女の怒鳴り声がする。


「なんだとー! 酒の一杯や二杯、神仏への賽銭だと思えばたいしたことねぇーだろうが」


 酒でしゃがれた男の声が言い返す。


「あほんだらー、あんたに飲ます酒があったら、酒で皿でも洗った方がまだましだ!」


「いや、皿洗った酒で良いから飲ませてくれよー」


「うるさい! 二度と来るなー」


 恰幅のいい中年の女が、店の奥からほうきで禿げ頭の老人を殴りつけている。


「いて、痛い。このぉー、呪ってやる! いや、祟ってやるからなー、憶えとけよ」


 禿げのお爺さんは、捨て台詞を吐きながら這うようにして店先から逃れてきた。


「夜刀様!」


 俺の隣にいた夜笑さんが、悲鳴のような声をあげて飛び出していく。

 え? 夜刀?

 夜笑さんは、這いつくばっているお爺さんに駆け寄ると、労わりながら抱き起こした。


「おお、夜笑か。久しぶりじゃねぇか」


 俺も、警戒しながらそのお爺さんの傍に近寄った。


 藍染の半纏に、同じく藍色のニッカポッカに足袋を履いている。

 どれも、ボロボロで継はぎだらけで汚れている。


「どうなさったのです? このような所まで」


 老人を抱きかかえている夜笑さんの顔は、今にも泣きだしそうだった。


「おめぇーに会いに来た! 訳じゃねーけど、まぁー野暮用よ」


 夜笑さんが夜刀と呼ぶその老人は、じっと夜笑さんの顔を覗き込む。


「どうしたのです?」


「いや、おめぇーずいぶん綺麗になったな」


 夜刀のお爺さんがそう言うと、夜笑さんの堪えていたものが溢れた。


「おいおい、なんだよしけたツラすんじゃねぇよ」


 夜刀爺さんは、照れくさそうに笑って夜笑さんの頭を撫でる。


「でだな。ちとお前に頼みがあるんだが・・・」


 夜刀爺さんは、言いにくそうに切りだす。

 顔をあげた夜笑さんは、慈愛に満ちた女神のような顔で爺さんを見つめる。


「ちと金貸してくんねぇか。いやよ、どこもツケがきいちまって酒飲ませねえんだわ」


 夜刀爺さんは、頭を掻きながら豪快に笑った。

 夜笑さんは、先ほどまでの美しい顔を一変させ、醜いものを見るような、冷めた目で夜刀の爺さんを見下ろす。


「はぁー、また酒? 久しぶりにあったと思ったら、土産を渡すどころか金を貸せですか・・・」


 夜笑さんは、老人の体から手を放し立ち上がる。

 抱かれていた老人は、アスファルトの地面にドスンと落ちた。


「ぐぅほ、おい雑に扱うんじゃねぇよ」


 夜刀の爺さんは、咳き込みながら抗議する。


「もうお帰り下さい。あなた様に渡す無駄なお金など持ち合わせておりません」


 夜笑さんは、毅然と言い放つ。


「バカ言え、お前その顔に塗りたくっている化粧品買う金があるんだったら、酒の一杯や二杯どうってことないだろう」


 夜刀の爺さんがそう言うと、夜笑さんは、顔を真っ赤に染めて怒り出した。


「私の稼いだお金は、私のお金です! だいたい、あなたを養うのに一族の者たちがどれだけ苦労したと思っているのですか!」


 夜笑さんは、大きな声でまくしたてる。


「あなたが不甲斐ないばかりに、一族の者たちがどれだけ惨めで辛い思いを・・・」


 そこまで言って、夜笑さんはその場にうずくまり、手で顔を覆い泣きだしてしまった。

 商店街を往来する人々が、足を止めて様子を見ている。


「おいおい、みっともねぇーだろうが、泣くんじゃねぇよ」


 夜刀爺さんは、夜笑さんを慌ててなだめようとするが、夜笑さんの口からは取り留めのない愚痴が溢れ出る。


「あなた様の所為で、一族は住んでいる土地を奪われ、全国に離散しました。たまに姿を見せれば金をせびり、何とか一族の再建をと皆頑張っているのに・・・なのにあなた様は」


「わかったわかった。すまなかった」


 周囲には、足を止めて見物する人で人だかりができていた。


(おいおい、あの爺さん若い娘泣かしているぜ)


(一家離散ですって可愛そうに・・・)


(酒と博打と女か、ろくでもね爺さんだな)


 はたから見れば、若い女を泣かせている極悪ジジイに見えることだろう。 

 俺は、夜笑さんの袴の裾を噛んで引っ張った。


「ああ、ごめんなさい。みっともないところを・・・。そうだシロさんのニャウニュール買いに来たんでしたね」


 夜笑さんは、俺に気づくと泣くのをやめて立ち上がった。


「夜刀様、お酒はほどほどに。どうかお体を大切に」


 夜笑さんは、座り込む老人に軽く頭を垂れると歩き出した。


「おいおい、今生の別れみたいな事言うなよ!」


 老人は立ち上がると、去り行く夜笑さんの背ににっこり笑って手を振った。


「またなぁぁ」


 夜笑さんは、振り返らなかった。





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