円点線角――発動――
72 円点線角――発動――
俺は、リトの怒りに触れ吐き気をもよおした。
こんなに小さい体のどこに、これほどまでの怒りをしまっていたのだろう。
いったい、どれだけの悲しい思いや、苦しい思いをしたら、これほどまで怨念を募らせられるのだろう・・・。
どっちが、悪で正義なのか・・・
それすら曖昧になるほどの、どす黒い感情だった。
突然、箱の中の闇が晴れた。
俺の心を、鷲掴みにしていたリトの感情も晴れた。
俺は、短い呼吸を繰り返して呼吸を整える。
箱の中のリトの顔は、涼やかだった。
何気ない顔で、苦悶の表情でうち伏せる邪界木に歩み寄る。
邪界木の直前で立ち止まったリトは、感情のない目で目の前のそれを見やる。
――縁天占郭――
穏やかな声だった。
――悠久の時の一端を、すれ違いし縁ある者たちよ――
優しい感情が、俺の中に満ちてくる。
リトの声も穏やかだ。
春の日差しに、ほんのり冷たくも花の香を含んだ風のよう。
――我が点につながりし、結いある者たちよ――
何だろう・・・
ぽつぽつと、小さな光の粒が漂い始めた。
白や青、黄色や赤いのもある。
色々な色の光の粒が、いつの間にか無数に漂い始めた。
森の木々から、夜闇の空から、大地から――
それは、どんどんと増えていく。
光の粒に触れた邪界鬼たちが、バタバタと倒れ、消し炭のようになって消えていった。
「ああぁ、いやだぁぁ、いやだぁぁ」
真っ赤な花弁の邪界木は、戦意を喪失したのか、リトの前でうろうろしている。
俺は、少しだけ邪界木を哀れんだが、リトの悲哀を知ってしまった以上、止めることは適わない。
――我は行く――
光の粒子が、リトを中心にグルグルと回る。
渦潮のように、中心に集まった光はどんどん濃くなっていった。
――我が行く先の形なき道を照らせ――
リトが両手を天に掲げ、邪界木の根元に進む。
――塵を払え――
リトの手から、小さな虹色の光の粒が1粒、放たれた。
その粒に、周囲の光が飛び込んでいく。
赤や青、黄色や緑の光が、次々に飛び込んでいき光の塊となり、はじけて飛んだ。
それは、一条の光となり夜空を割る。
線は柱になり、俺たちもその光の柱に飲み込まれる。
すべてが、光の中に消えて何も見えなくなった。
光が消え、あたりに闇が戻ると、気味の悪いほどの静寂が訪れた。
真っ暗で、何も見えない。
俺は、死んで無の空間に来たのかと思うぐらい、何も見えなかった。
「リト様、大成功です。お疲れ様でした」
闇の中で、スーの羽ばたく音と声がした。
「初めてじゃねぇか? この技、まともに決まるの」
下の方で、セイの声がする。
俺の肉球に、堅い岩の感覚がある。
どうやら、俺は生きているし、みんなも無事のようだ。
「前回は、結界なしでぶっ放して、山消し飛ばしているからな」
ハハハっと、みんなが笑っている。
星空が見えてきた。
目が慣れてきたようだ。
俺は、自分のいる岩場から、みんなのいる方を見下ろす。
リトの周りに、みんな集まっている。
俺も移動しようとしたけれど、何か勝手が違う。
あっ・・・体が元の猫に戻っていた。
白虎の姿で登った時は、一瞬で駆け登れたけど・・・降りられないよ・・・
しかし、何者かにうなじを掴まれ、俺は宙に浮いた。
「シロさんも、良くやってくれました」
スーだった。
俺は、スーに摘ままれてリトたちのいる場所まで運ばれる。
「にゅー、ちかれたにょー、おうちに帰ってねんこしたいにょー」
リトは、大の字に寝転がった。
あたりに、俺たち以外は何もいなくなっていた。
邪界木の生えていた場所に、邪界木はいない。
大勢の邪界鬼もいないし、妖怪たちもいない。
「しかし、シロが白虎だったなんて、出来すぎだな」
トカゲのセイが、俺の背中に飛びついた。
「ぼぉぉぉくぅぅはぁぁぁ、しぃぃてぇぇたぁぁよぉぉぉ」
亀のゲンが言う。
ゲンは、俺よりも先にスーに運ばれていた。
「嘘つくなカメ!」
セイが言うと、ゲンは不服そうな顔をする。
「さて、あなたはタイガさんなのでしょうか?」
スーが、俺の顔を覗き込んで訊く。
どうなんだ・・・俺は、誰だろう?
よく思い出せない・・・みんなと闘ってきた光景は何となく覚えてはいるのだけど、音がないのだ・・・自分の声がない。
「よく覚えていないんだ・・・タイガだったという自覚が、乏しい」
俺の持っている記憶の殆どが、シロの記憶なんだ。
でも・・・考えてみれば、子供の時の記憶がない。
子猫だった時の記憶や、両親の記憶もない。
途中からの記憶だ。
どこからだろう・・・一番古い記憶は、どこだ・・・
俺が、真剣に悩んでいると、疲れた顔をしたリトが口をはさむ。
「どーでもいいにょ」
どうでもいいのか・・・どうでもいいか。
今はまだ、どうでもいいか。
少し不満はあるが、その言葉に救われた気もする。
「みなさん。お友達同士で称えあうのは良いのですが、一番の功労者に感謝の意を示しても良いのじゃありません?」
少し離れた所に、不機嫌そうな顔で佇む黒いドレスの淑女がいる。
天地愛さんだ。
俺も、彼女に救われた。
俺は、一言礼を述べようと愛さんの元に駆け寄った。
「ありがとう。愛さん」
俺は、恐る恐る頭を下げる。
「フフフ、それでいいのです」
愛さんは、俺に微笑みかけた後、他の者を睨みつけた。
「気に入りませんね。その態度」
愛さんは、リトらを見下すように見やる。
「もう半分、残っていたぜ・・・」
セイが、不快そうに言う。
もう半分・・・
そうだ。
愛さんは、邪界木の半身・・・もう半分の邪界木なのだ。
でも、俺たちを助けてくれた。
何故なのだろう?
「残しておくわけには、行かねぇぜ!」
セイが凄んだ。
「恩知らずめ!」
愛さんは、黒いドレスの裾を広げ、戦闘態勢になる。
「しかし、我々に加勢したことは事実です。理由をお聞きしましょう」
警戒しながらも、スーが頭上を旋回しながら訊ねた。
愛さんは、腕組みをして冷笑する。
「私は、美しいものが好きなのです」
そう語る愛さんの言葉に、みんなは胡散臭そうな目をする。
「答えになっていません・・・」
スーは、冷たい声音で言った。
「おだまり! 話は最後まで聞きなさい」
愛さんはスーを叱ると、リトに目を向ける。
「先の闘いで、あなたに消し飛ばされた後、私は種で生き残り、樹体を離れて単体で行動しました」
少しざわついた。
セイたちは、そのことに気づいていなかったようだ。
「人間たちの中で身を潜ませ、多くの憎愛を見てきたのです。愛しているのに憎んだり、憎みながらも愛したり・・・私は、人間の中に美を見出したのです」
クククと、愛さんは思い出し笑いをする。
「もう半分の私とは、価値観が違ったのです。今日、久しぶりに我が半身を見て、絶望しましたわ・・・醜くて・・・」
「話が長くなるようでしたら、もう結構です・・・」
スーは、宙に停止し戦闘態勢に入る。
「良いわよ。価値観の合わない人とは、語り合えないのだから」
愛さんも再び身構えた。
どうしよう・・・また、闘いになってしまう。
「何故、助けてくれたの?」
俺は、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
俺がさっき助けられたこともそうだが、リトが黄泉から助け出されたこともある。
沈黙があった。
みんな黙ってしまった。
「わたしも、それを聞きたい」
スーがやっと口を開いた。
不機嫌そうな顔をしていた愛さんが、チラッと俺を見て微笑する。
「あなたの怒りと憎悪・・・美しかったわぁ」
思い出すように空を見上げ、愛さんはうっとりとした顔をする。
「わかったにょ・・・」
ずっと何も言わなかったリトが言った。
「リト様・・・見逃すということですか?」
不服そうにスーが訊いた。
「にゅん・・・もう、ちかれたにょ」
リトは、しょんぼりする。
確かに、疲れているのだろう。
俺もそうだ。みんなだってそうだろう。
もう一戦なんて、考えられない。
「それが妥当だな・・・」
セイが愛さんを睨みつけながら言う。
「おい、見逃してやるからさっさと消えな。次に会ったら・・・」
「気に入りませんね・・・それが恩人に対する態度かしら?」
愛さんは、不服そうだ。
これじゃ・・・収まらないよ・・・
「愛さん・・・俺は・・・心から感謝しているよ。おばさんて言ってごめんなさい」
俺は、愛さんの足元に進み出て頭を下げた。
記憶がない分、俺は感謝できた。
みんなには、過去の記憶があるから、そんなことできないのだ。
「・・・フフ・・あははははは」
愛さんは、大きな口を開けて高らかに笑った。
そして、俺を見て優しい笑みを向ける。
「良いわ! 好きよ、あなた!」
愛さんは、笑んだままリトたちに向き直る。
「貸しにしておくわ。何かの際には返してくださいね」
その言葉に、誰も何も言わなかった。
背を向け去っていく愛さんを、無言で見送る。
こうして、俺たちの邪界木討伐は終わった。
勝利したけど、歓声をあげて喜ぶ者はいない。
愛さんを逃したことを、不服に思っているのかもしれない。
失ったものも大きかった。
ここまで来るのに、俺たちは大事な者を失ったんだ。
それを思えば、俺が抱くはずであった愛さんへの憎悪は、後からやってくるのだろうか・・・
夜笑さんを失って、鶴姫と黒鷹もやられてしまった。
夜雲は、大怪我を負ってしまった。
雅や、役小角ら天狗の一族がいるから、大丈夫だとは思うが心配だ。
終わったけど・・・
成果よりも損失の方が大きく感じてしまうのは、俺に過去の記憶がないからなのかな。
俺たちは、何も語らず静かに山を降りた。




