行け! シロ
68 行け! シロ
黒鷹の操る黒いバイクは、爆音で爆走する。
あっという間に市街地を抜け、稲田の中の国道をぶっ飛ばしていた。
揺れと振動もすさまじく、鶴姫の乳房でだいぶ緩衝されているのだろうけど、頭が痛くなってきた。
「黒鷹! あっちは車だ! 急げば追いつけるぞ!」
鶴姫が、黒鷹を鼓舞する。
あっちとは、たぶんカシンたちが乗るスポーツカーの事だ。
しかし、千代さんがハンドルを握るスポーツカーも早そうだけど・・・
激戦の後は、車とバイクのレースか――
忙しい一日だ。
夜の田園風景が、ずっと続いている。
西を目指しているようだけど、どこに向かっているのか正確な場所は俺にもわからない。
百鬼夜行は御山を目指しているって言っていたから、そこに向かっているのだろうけどなかなか山には入らなかった。
遠くにそびえる山は見えているけど、大きく迂回して進んでいるように思える。
「姫! 高速道路に入ります! 高速に入ったらアレを使います」
黒鷹が、後ろを振り返って叫ぶ。
「ああ、わかった――シロ! シロ!」
鶴姫は、了解して胸元にいる俺を呼んだ。
「これから高速でぶっとばすから、あんたは奥に入ってな」
鶴姫の顔を見上げながら、俺は頷いた。
面頬で顔のほとんどが隠れているのだけど、鶴姫の美しさに胸がキュっとなる。
吸い込まれそうな涼やかな瞳に、潤いのある果実のような唇、黙っていれば世界で一番の美女だ。
バイクが田園沿いの道から、高速道路へと上がった。
何台かの車を、縫うように追い抜くと前方が開ける。
「発動します!」
黒鷹が叫ぶ。
鶴姫が、俺を胸の奥へと押し込んだ。
何が始まるのだろう?
――アフターバーナーを発動します――
聞きなれない女性の声がした。
大きな声だ。
俺の足元から聞こえる。
――周囲の車両は、ご注意ください――
――燃料系ライン作製完了、バーナー点火確認良好――
――システムオールグリーン。アフターバーナー発動可能――
――後方車両は、退避してください。後方車両は退避してください――
「発動!」
黒鷹が、叫んで身をかがめた。
鶴姫も、黒鷹に抱きつくようにして伏せる。
バイクの後ろで、爆発音がした。
同時に、飛行機に乗った時のような衝撃に全身が押される。
何だこれは・・・俺は呼吸が苦しくて・・・意識が遠のいていく――
バイクは、闇の中を走っていた。
急な上り坂と急なカーブが続く。
俺は、意識を失って――その後は心地良くなって眠ってしまったようだ。
鶴姫の胸の中でもぞもぞしていると、声をかけられた。
「いやな気配がプンプンする。いつ何が起こるかわからないから、用心しな」
俺には、夜闇と木々の影しか見えない。
それからしばらく、登ったり下ったりを繰り返し、小さな集落に出て、また山道のカーブを繰り返した。
随分遠いなぁ――
俺は寝ていてわからないけど、だいぶ時間も経ったようだ。
そろそろ・・・飽きてきた。
最初は心地よかったこの場所も、狭くて抜け出したくなる。
「シロ! あまり動くな。着物が乱れるだろう」
鶴姫が着物の袂を開いて、中にいる俺を叱る。
バイクが止まった。
着いたのかな?
俺は、鶴姫の胸元が開いているのを好機と、鶴姫の乳房を掴んでよじ登った。
鶴姫の注意も、どこかに向いているようだ。
そこは、峠道の登りきった所で、眼下に山間の窪地に田畑が広がっているのが見える。
黒鷹と鶴姫が、黙ってそちらを見下ろしているので、俺も目を凝らして眺めてみる。
田畑の畦道や農道に、うごめく何かがいた。
何だあれは・・・。
人のようだった。
大勢の人・・・でも、様子がおかしい。
「何なの?」
俺は、鶴姫の顔を見上げて訊ねた。
「何てことだ・・・してやられた・・・」
鶴姫が、悔しそうに呻く。
「あいつら・・・人に化けて、各個に移動していやがったんだ」
俺は、眼下の田畑に目を戻す。
人のようだが、それは違う。
あれは、人に化けた魑魅魍魎たち・・・。
百鬼夜行は、分散してここに集結したのだ。
黒鷹がスマホを取り出して、どこかに電話をかけている。
「出ないかい?」
鶴姫が訊ねると、黒鷹は首を振って、スマホを操作する。
「カシン・・・」
鶴姫は、空を見上げて呟いた。
そうだ・・・カシンとリトが先に来ているはずなんだ。
どこにいるんだろう?
「姫!」
黒鷹が、慌ただしくスマホを懐にしまう。
それは、俺にもわかった。
周囲の木陰から、大勢の気配を感じたのだ。
「とりあえず出しな! 行けるところまで行くんだ!」
鶴姫が叫ぶと同時に、バイクは道路を蹴って走り出した。
大勢の気配が、背後に迫っているのを感じる。
どうして・・・
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
俺の前には、兜も面頬も脱げ、うつろな目をして倒れている鶴姫の顔があった。
口端から、赤い線が地面まで伸びていて、顔の下の土を黒く染めていた。
黒鷹が、俺を覗き込んで必死の形相で何かを叫んでいる。
「シロ! しっかりしろ!」
黒鷹の声が、聞こえた。
返事はできなかったけど、俺は黒鷹を見た。
俺は、路肩の小さな祠の中にいた。
そうだ・・・。
突然、俺たちは窮地に追い込まれたんだ。
俺たちを乗せたバイクは、下りの峠道を降りきって田畑の広がる農道に出た。
そこで、突然雪崩のような妖怪たちの群れに襲われたのだ。
俺たちは、バイクごと跳ね飛ばされて、蕎麦の香る畑の中に落ちて、鶴姫と黒鷹が必死に闘いながら、この小さな祠の前まで逃げてきたのである。
人間の姿をした者もいたが、顔が牛だったり、狸だったり、首の長い女だったり、妖怪の姿に戻りつつあるものもいた。
一人だけ、人語で叫ぶお坊さんがいた。
服がボロボロだけど、周囲の妖怪たちに指示を出しているように見える。
「あいつだ・・・あいつが野寺坊だ」
鶴姫が、逃げながら言っていた。
火の玉がいっぱい飛んでいて、あたりは山間にあっても夕暮れ時のような明るさだ。
二本足で歩く、爪の長い狼が執拗に鶴姫を襲う。
黒鷹も、鶴姫を助けようとするのだけど、包丁を持った老婆と、美しい女の顔を持つ巨大なクモに阻まれて近づけない状況だった。
鶴姫は、何とか狼を倒したけど左腕を切られ負傷した。
鶴姫は、路肩にこの小さな祠を見つけると、俺を祠の小さな扉を開けて放り込む。
猫の俺が、1匹やっと入れるぐらいの小さな祠だ。
扉を閉めると、鶴姫は屈みこんで手を合わせる。
「この地を守りし土地神様よ。この小さな命を護りたま――」
そんなこと、そんなことしなくていいのに!
鶴姫は屈みこんだ背後から、牛の顔をした武士に切りつけられた。
「姫!」
黒鷹が叫んだが、黒鷹の周りにもいっぱい妖怪がいて鶴姫に近づけない。
鶴姫は立ち上がり、振り向きざまに牛顔の武士を刀で切り払った。
鶴姫の鎧は、肩の紐が切れて斜めにぶら下がっている。
背中の小袖が、血に染まっていた。
俺を胸元に入れるために、鎧の紐を緩めたから・・・
俺を祠に避難させるために、背中を向けたから・・・
二人は、一生懸命に闘った。
俺は、祠の格子窓からそれを見ていた。
鶴姫は兜を飛ばされ、面頬は自分で外して敵に投げた。
黒鷹は、黒いスーツが切り刻まれてボロボロになった。
俺は、二人の名前を何度も呼んだ。
でも・・・でも・・・
「シロ!」
黒鷹が、祠の中の俺を見てにっこりと笑う。
初めて見た黒鷹の笑顔――
その顔には、額を切られて赤い線がいっぱい流れている。
「シロ、行くんだ。お前は勇敢な漢だ。行くんだ」
時折顔をしかめながら、黒鷹が言う。
行けって・・・どうして・・・どうやって・・・
黒鷹の背の先に、横たわる鶴姫の顔がある。
鶴姫は、うつろな目をしていてピクリとも動かない。
黒髪が目にかかっているのに、気にする様子もない。
鶴姫――
大好きだよ。鶴姫――
黒鷹は、祠から俺を出すと山の上を指さす。
「この方向だ・・・まっすぐ駆けあがれ」
黒鷹は背後に近づく狸の顔をした僧侶と、狐の顔をした僧侶を続けざまに切った。
「振り向かずに、駆けあがれ! お前ならやれる・・・」
黒鷹は、肩越しにそう言って左手の親指を立てる。
やめろよ――いつも寡黙でちょっと怖い黒鷹なのに・・・
怖い顔していてくれよ――
黒鷹は、右手の刀を引きずりながら鶴姫の傍に歩み寄る。
「姫、某もすぐに参ります」
黒鷹は、じわじわと迫りくる妖獣たちを警戒しながら、鶴姫を片手で抱き起し、唇に口づけをした。
そのときだけ・・・
ほんの一瞬なんだけど、時が止まったように思えた。
一瞬が、長く感じられた。
「行け! シロ!」
黒鷹は、振り向いて叫ぶ。
その顔は、覚悟を決めた男の顔だった。
やだよ!
嫌だよ!!
俺は、二人に背を向けて駆け出す。
嫌だけど、嫌なのに・・・
黒鷹の雄叫びが聞こえ、妖怪どもの悲鳴や怒号が聞こえた。
急な勾配を、俺は爪を立てながら走った。
黒鷹が指示した方向を、ただまっすぐに駆け上った。
振り向くなと言われたから、俺は振り向かない。
黒鷹の声も、妖怪たちの声も、すぐに聞こえなくなった。
一度、足を止めたけど、俺は振り向かない。
俺は、叫んで自分を奮い立たせながら山を駆けのぼった。




