愛は愛で愛であり、愛のための愛だ
66 愛は愛で愛であり、愛のための愛だ
氷の大鎧に身を包んだユキさんは、氷の愛馬アンズに跨り氷の大太刀を振るっている。
受ける威徳天も、金色の鎧に身を包み青い狐を操りながら稲妻の走る槍を振り回す。
両者の武器がぶつかるたびに、稲妻が飛び、氷が飛び散った。
「あなたには、驚かされてばかりだ。いったい何者なのです?」
両者の距離が離れると、威徳天は雷弧を歩かせながら訊ねる。
「わたしは、わたし、それ以外の何者でもない」
ユキさんは、大太刀を左手に持つと、空いた右手を宙に広げた。
空気が凍りつき、形を成して行く。
それは、もう一本の太刀となり右手に持たれた。
「やぁぁぁぁ」
気合と共に、ユキさんは鐙を蹴った。
氷の愛馬が、威徳天めがけ突進する。
「氷刃のイナバウアー」
ユキさんは、馬から身を乗り出し、背を反って両手の太刀を振りかぶった。
「雷撃の進軍!」
威徳天は、その場に留まり天に槍を突く。
大きな雷が、ユキさんの乗る氷の馬に落ちた。
その瞬間、ユキさんは馬の腹を蹴り威徳天に飛び掛かる。
右手の太刀で威徳天を、左手の大太刀で雷弧を切る。
威徳天は、間一髪でユキさんの一撃を槍で受けたが、雷弧は一刀に両断された。
氷の馬は粉々になり、雷弧は地に吸われるように消えていった。
ユキさんは、宙で身をひるがえし、氷の上に滑りながら着地する。
「よくもわたしのアンズをぉぉ」
ユキさんは、歯をきしませながら威徳天を睨む。
「お互い様です」
威徳天は、涼しい顔で突っ返す。
すさまじい戦いだ。
これはもう近づけない。
両者の闘いを止めさせたかったのだけど、近づいたら死ぬ・・・。
俺は、遠くから2人の闘いを観ることしかできないでいた。
夜雲は良庵の薬で急をしのいだが、陰の調との戦闘は膠着状態が続いている。
鶴姫と黒鷹も疲弊してきているので、何とか打開しないと、このままでは・・・。
良庵は、俺以上に臆病で弱そうだし、夜雲の治療もあるから動けない。
雅は、夜雲の枕やっているし、他の陰陽師らも陰の調の動きを封じるのに必死だ。
俺だけか――
俺だけ・・・暇だ。
行こう。
俺は、意を決した。
死ぬかもしれないけど、もう一度2人の闘いを止めに行こう。
(ユキさん、ユキさん、ユキさん、お願い聞いて)
俺は、遠くからユキさんに心の中で呼びかけた。
(ユキさん、ユキさん!)
死ぬのが怖くて、2人の元に行けなかったのではない。
直前で、ユキさんが心で会話ができるのを思い出したからだ。
(ユキさん、ユキさん――)
(どうしました?)
来たぁぁぁぁ――
ユキさんから、返事が来た。
(こっちが大変なんだ。夜雲が大怪我をして、陰の調とかいうめちゃくちゃ強いのとみんなで闘っているんだ)
しばらくの沈黙があった。
(威徳天と闘うのを止めて、助けてよ)
俺は、無言のユキさんに語り続ける。
(――わかりました。次で仕留めます)
え、いや、そうじゃなくて――
俺は、再び呼びかけたけど、ユキさんはまた闘いに集中して、心を閉ざしてしまったようだ。
ああ、仕方がない。
俺は、ちょっとだけユキさんたちに近づいて池の畔まで移動した。
くぅぅぅ、これ以上はだめだ。
これ以上は、行ってはいけないと、俺の動物的本能が言っている。
「遊びはここまでです。次で決めます」
ユキさんが、右手の太刀を威徳天に突き向けて言う。
心なしか、表情が和らいでいつものユキさんに戻ったように感じる。
「良いでしょう。しかし、その前に一つよろしいでしょうか」
威徳天も、その微細な変化に気づいたのだろうか?
「何でしょう?」
「神と争うということは、あなたにとっても、あなたの御一族にとっても益のないことです」
威徳天は、槍を構えず両手に持っているだけだ。
攻撃の意思はないと、体で表しているのだろう。
「神の御意志です。神の声を聴きなさい」
威徳天の口調は、子供を諭す親のような響きだった。
「神なんて・・・知らない」
ユキさんは、右手の太刀を捨てると左手の大太刀を両手で持ち下段に構えながら歩き出した。
「神の言葉など聞こえない。私が聞くのは、愛する者の言葉だけ――」
ユキさんは、威徳天に向かってゆっくり歩きながら続ける。
「神がそんなに偉大? わたしには愛する者の存在や、愛する者の言葉の方がもっと尊い」
先ほどまでの、怒った顔ではなく、今のユキさんの顔は穏やかだ。
「わたしの全ては、愛でできている。愛されながら生まれ、愛され愛しながら育ち、生き、そして願わくは愛されながら死にたい」
ユキさんの言葉を、威徳天は槍を構えようともせずに黙って聞いている。
「世界は、愛に溢れていて、愛でできていると言いても過言ではない」
ユキさんは、威徳天のすぐ前まで来て足を止めた。
「愛が絶対! 愛が真理! 神などいらない! 愛がすべて! 愛に召されろ――」
ユキさんは、下段に構えた大太刀を上段に構えなおす。
――違う――
俺の身体が、わなわな震えた。
そして、さらに振りかぶって振り降ろそうとしたその時――
威徳天は、雷の槍をその場に捨て、両膝を凍った地面に着いた。
さらに、金色の兜を脱ぎ自分の傍らに置く。
「何のつもりです?」
大太刀を振りかぶったまま、ユキさんは怪訝そうに訊ねた。
「――感服いたしました。あなた様の真理、まさにおっしゃる通り、この道真かねてより真理を追究してまいりましたが、愛を尊ぶその真理に夜が明けるのを見た思いです」
威徳天は、首を差し出すかのように項垂れる。
「感無量――」
「心意気やよし」
ユキさんは、両足を大きく開くと大太刀をさらに振りかぶった。
――ダメだ! 違う! 違うよ、ユキさん!
俺は、心の中で叫んでいた。
俺は、遠くから心の中で叫ぶことしかできないけど、でもお願い。
ユキさん、訊いて――
今、と言うのがわかる。
ユキさんの呼吸が止まった。
次の瞬間には、ユキさんの大太刀が振り下ろされる。
その直前の今だ。
遠くから、わなわな震えていることしかできない俺なのに、俺はそういうヤツのはずなのに、身体が勝手に動いていた。
「やめろ――」
一瞬って、こんなに長い時間だったのか・・・。
走る俺の目に、ユキさんが振り下ろす大太刀が、ゆっくりと弧を描いて威徳天の首に近づいていくのが見える。
「シロさん!」
どちらが言ったのか、俺の名を呼んでいる。
威徳天が、俺を驚いた眼で見ている。
ユキさんは、俺の頭上に顔があるから見えなかったけど、ユキさんの声だったかもしれない。
俺は、威徳天の頭に飛びついた。
何故、そんなことをしたのか?
わからない・・・威徳天を突き飛ばそうとしたのかもしれないけど、俺にそんな力はない。
威徳天の後頭部にしがみついた俺の背に、冷たい気配が迫っていた。
俺なんかが、かばったって威徳天は救えない。
二人とも、まっぷたつだ。
「違うでしょぉぉぉぉ」
恐怖の叫びだ。
威徳天の後頭部にしがみついたら、恐怖が泉のように噴き出した。
俺は、必死で泣き叫んだ。
死への抵抗でも、正義の気持ちでもない。
怖い――怖い――怖い。
俺の背中に、凍ってしまいそうな冷たい気配が触れた。
――終わった。
ああ・・・不思議? あんなに怖かったのに、身体の震えが消えた。
威徳天の頭と、上半身だけになった俺の身体が、宙を飛んで地面に転がる――
はずなのに・・・。
あれ・・・。
俺は、背中に痛いほどの冷たさに我に返った。
「何をするのです!」
ユキさんが、珍しく声を荒げる。
振り返ってユキさんの顔を見上げると、その目はやはり怒っていた。
「・・・違うでしょ・・・」
生きていて嬉しかったのか、安堵すると同時に何かがこみあげてきて、みっともない液体が目からいっぱい出てきた。
「愛とか、神様とか、よくわからないけど・・・闘うことをやめた人を――」
目と鼻が、びしょびしょで言葉にならない。
俺は、威徳天の後頭部の髪の毛で顔をぬぐった。
「それは、愛じゃないでしょう!」
言いたいことの途中が抜けちゃった。
でも、ユキさんには伝わったようだ。
氷の兜の中のユキさんの顔が、白い歯を見せて笑った。
先ほどまで、雷が落ちたり、大地が凍ったりで爆音の発生源であったこの公園だが、少しは静かになった。
雅と黒鷹、陰陽師たちはまだ闘っているけど、先ほどまでの激しさはない。
陰陽師の術で、陰の調の動きを鈍らせているのだ。
俺は、ユキさんに抱っこされて威徳天を見下ろしている。
威徳天はうなだれたままで、何を思っているのか、何を考えているのか、伺い知ることはできなかった。
「さあ、行きましょうか」
ユキさんは、胸に抱く俺の頭を撫でながら威徳天に背を向けて歩き出す。
寒い、冷たい。
俺は、ユキさんの腕の中でガクガク震えた。
氷に抱かれているのだから、寒いに決まっている。
俺は、ユキさんの腕から逃れたくて、氷の鎧に爪を立ててユキさんの肩に登る。
ユキさんの肩越しに、まだうずくまったままの威徳天が見えた。
「討って!」
雅の声だ。
振り返って声に目を向けると、池の近くの木の根元に、夜雲の顔を膝に乗せた雅が、悲痛な面持ちでこちらを見ていた。
「討って! 討って――」
雅は、気が狂わんばかりの金切り声で叫んでいる。
威徳天は、雅にとっては仇なのだから気持ちはわかるし、申し訳ない気もするけど・・・。
俺は、ユキさんの肩越しに威徳天へ視線を戻した。
そこに、さっきまで項垂れて膝をついていた威徳天の姿はなかった。
「真夜中のアイスバーン――」
歩きながら、ユキさんが両手に持っている大太刀を掲げる。
すると、激しい攻防を繰り広げていた鶴姫や黒鷹、陰の調らの足元が凍りつき、みんなこけてしまった。
「何しやがんだ――」
氷の上に這いつくばりながら、鶴姫がユキさんに抗議する。
「どうして! どうして逃がしたの!」
夜雲の顔を膝に乗せたまま、雅は激しくユキさんをなじる。
「あ――、やっぱり逃げましたか」
ユキさんは、悔しがるわけでもなく言う。
「まぁ、大丈夫です」
ユキさんは、にっこりと笑みを浮かべると、掌にフッと息を吹きかける。
ユキさんの白い息が掌にかかると、青白い蝶が現れてひらひらと舞い上がった。
細かい氷の鱗粉を撒きながら、氷の蝶が夜の闇に消えていく。
「蝶に追わせました。いつでも捕まえられます」
ユキさんが雅にそう言うと、雅は少しだけ安堵したようで、黙って目を落とした。
「おい! 何とかしろ!」
氷の上で、バタバタと暴れながら鶴姫が怒鳴った。
「はいはい。暴れたってしょうがないのですよー」
ユキさんは、暴れる鶴姫をおかしそうに笑いながら、チョンと押す。
鶴姫の身体は、氷の上を滑って行き、凍っていない所で止まった。
黒鷹も同じようにして滑って、前鬼と後鬼にそれぞれ抱き起される。
「さて、あなたはどうしましょう?」
ユキさんは、氷の上に屈みこんで暴れる陰の調を眺めた。
鶴姫と黒鷹、それに小角ら陰陽師たちで闘っても勝てなかった陰の調を、ユキさんは一瞬で動けなくしてしまった。
可愛い顔しているけど、儚く弱弱しく見えるけど、めちゃくちゃ強いのだ。
俺は、氷の上で暴れる全身真っ黒の陰の調を観察した。
服を着ているのか、いないのか、全部真っ黒だからよくわからないけど、身体の線がしっかりしていて、氷の上であがく姿はいやらしく見えてしまう。
「お仲間を大勢失ったあなたにも、思うところはあるのでしょうけど、今日のところは、わたしに預からせていただけませんか?」
ユキさんは、陰の調の目を見つめそう語りかける。
陰の調は、氷の上で膝をそろえて座り、暴れるのをやめた。
しばらく無言で2人は見つめあっていたが、陰の調は手を膝に置いて姿勢を正すと、そのまま氷の地面に吸い込まれていった。
「いったい、何をしたんだい?」
怪訝な面持ちで、鶴姫が訊く。
「いえ、何も・・・気持ちが通じたのだと思います」
ユキさんは、微笑して答えた。
「あ、ごめんなさい。シロさん寒いですよね?」
ユキさんは、抱きかかえている俺がガクガク震えているのにやっと気づいたようだ。
ユキさんは、俺を凍っていない地面に降ろすと、少し離れて雪の歌を歌い、吹雪に包まれる。
吹雪から出てきたユキさんの姿は、裸ではなかった。
臙脂色の袴に、藁色の小袖姿だった。小袖には氷の結晶の刺繡が施されている。
ユキさんの袴姿は初めて見るけど、鎧を着るから袴にしたんだね。
武装を解いたユキさんは、まっすぐ俺のところにやってきて、俺のことを抱き上げる。
とても大事なものを抱きしめるように、ユキさんは俺のことを抱きしめた。
ああ、何だか安らぐなぁ。




