威徳天さらに陰の調
65 威徳天さらに陰の調
「まったく、雅さんもあなたも、困った女性だ。人の話を全く聞かない」
威徳天は、氷の付いた上着の袖を払いながら言う。
「わたしは、腹を立てているのです。あなたの弁解を聞く必要はありません」
ユキさんは、池のほとり付近にいた。
広場で闘っていたけど、池のあたりまで来ていた。
今しかない。
二人の闘いを止めさせないと!
俺は、鶴姫たちから離れて池に向かって駆け出した。
「まってぇぇぇ」
俺は、叫びながら走った。
「どうやら、本気を出さなければならないようですね・・・女性を傷つけたくはないのですが・・・」
威徳天は、仁王立ちで深く息を吸い込む。
「やめてぇぇぇ」
俺は、必死で叫んでいるのだけど、2人ともこっちを見てくれない。
「あなたの本気など、たかが知れています。あきらめなさい」
ユキさんは、氷槍の柄を肩上に穂先を下に向け構える。
「はぁぁぁぁ」
威徳天は、拳を両脇に絞って飛び出した。
ユキさんが構える槍の直前で、威徳天は拳を突き出す。
「雷砲!」
威徳天の拳から、青い衝撃が放たれた。
それは、ユキさんの氷槍の脇を通ってユキさんの甲冑の腹に直撃する。
「ぐはぁ」
ユキさんの身体がくの字に折れ、身に着けていた氷の甲冑が粉々になった。
ユキさんの身体は、宙高く飛ばされ池の中央付近に叩き落される。
ああ、何てことだ――
間に合わなかった。
俺は、凍った池に進路を変え走る。
「くぅぅぅ」
ユキさんは、苦悶の声を漏らしながら身を起こそうとしている。
「大丈夫? ユキさん!」
俺は、池の氷に飛び乗ったとたんユキさんの元にたどり着いた。
氷で滑って、何もしなくてもたどり着いのだ。
ユキさんは、身を起こすと横座りで氷の上に項垂れる。
「フフフ・・・」
俺は、ユキさんの顔を覗き込んだ。
笑っている?
ユキさんは、顔を上げると空を見上げた。
「アハハハハハハハ――」
ユキさんは、気でも狂ったかのように笑い出す。
こんなユキさん、見たことがない。
俺は、不安に駆られた。
「なるほど・・・雷の衝撃か・・・」
ユキさんは、氷の上にスッと立ち上がった。
「フフフッ、人神ごときがやるではないか・・・」
あれ、何だかいつものユキさんと感じが変わった?
俺は、足元からユキさんの表情を窺った。
目を見開いて、うっすら笑っている。
「人神ごときと、おっしゃいますか――」
そこまで言った威徳天の顔色が変わった。
「もしや、あなたは・・・」
怪訝そうな面持ちで、威徳天は甲冑姿の少女を観察する。
ユキさんは、凍った池の上をゆっくりと歩き出した。
一歩一歩歩くたびに、池の氷がユキさんの足を伝い、破損した甲冑を修復していく。
さらに、手に持っていた槍は大太刀に変化した。
氷の大太刀――
刀身は、ユキさんの背丈と同じくらいで、冷気が白く霞を放っている。
ユキさんは、それを甲冑の肩の上に乗せ、嘲るような顔で威徳天を眺めた。
「もしや・・・あなたは・・・いえ、あなた様は龗様では?」
威徳天は、言葉を発しながら恐れおののいている。
「知らん・・・わたしは、わたし」
ユキさんは、感情のない目で威徳天を見る。
威徳天は、探るような眼でユキさんを眺めながら後退さった。
「そうですね・・・さすがにそんなはずはありませんね」
威徳天は、自分に言い聞かせるように呟く。
「しかし、雷砲を受けて平然と立たれては、もう手加減のしようがありません」
威徳天は、後ろ向きに下がりながら、広場の中央辺りまで移動した。
深呼吸をして空を見上げる威徳天に、巨大な稲妻が落ちる。
衝撃で大地が揺れた。
「雷神の装い――」
氷の粉塵の中から、黄金色の甲冑を身にまとった威徳天が現れる。
「出でよ、雷狐!」
威徳天が叫ぶと、再び稲妻が落ち、そこに金色に輝く巨大な狐が現れた。
威徳天は、その金色の狐に跨ると、右腕を伸ばして手を広げる。
まるで、最初からそこにあったかのように、その手はパチパチと小さな稲妻の走る槍を掴んでいた。
「フフフッ、騎馬戦か――良いではないか、そうしよう」
池の畔にいたユキさんは、踵を返して池の中に戻る。
「おいで、アンズ――」
ユキさんは、屈みこんで池の氷を撫でた。
すると、池の氷はバキバキと音を立てながら盛り上がり、ユキさんを持ち上げる。
それは次第に形を成して行き、青白い馬の形になった。
馬は、前足を上げ嘶く。
青白い甲冑に、同色の戦馬――
傍で見ている俺には、大昔に戦場で散った亡霊に見えた。
「オン ア ボ キャ ペイ ロ シャ ノウ――」
役小角は、額に指を当て呪文のような言葉を唱える。
片手に紙片を持ち、黒い人型――陰の調にかざす。
見れば、陰の調を取り囲むように、前鬼と後鬼も同じように呪文を唱えていた。
「助力は助かるがね、さっきの雨みたいに強力な技はないかね?」
陰の調と鍔迫り合いの最中にある鶴姫が、苦笑しながら訊ねた。
「動きを封じるので、手いっぱいだ」
叱るように、小角は言い放つ。
皺だらけの顔は、苦悶の表情だ。
前鬼、後鬼も頑張っている顔をしている。
夜雲と雅は、少し離れた木陰にいた。
膝の上に乗せた夜雲の顔を、雅が心配そうな面持ちで撫でている。
小角らが加勢して、こっちは一旦ピンチを脱したようではあるが、夜雲の治療は放置されているようだ。
このままでは、夜雲が死んでしまう。
俺は、救いを求めて辺りを見渡す。
人の気配など皆無だ。
人間たちも、本能でここが危険と感じるであろう。
それに、普通の人間がいたところで助けにはならないか・・・。
諦めかけたその時、俺は公園の隅に何かの気配を感じた。
影中人か!?
俺は、訝りながらも身を隠しながらその気配へと近づいてみた。
傍まで行くと、それが危険な存在でないことが分かった。
怯えている。
臭いと気配でわかる。
「誰だ!」
俺は、その者の前に飛び出して誰何した。
「ぎゃぁぁぁぁぁ」
絹を裂くような悲鳴に、俺は顔をしかめそいつを睨む。
「女みたいな声出すな!」
頭にきて俺は、そいつを怒鳴りつけた。
「び、びっくりするじゃないですかぁ~」
そいつは木にしがみついて、顔だけ出して抗議する。
頭頂部が、街灯に照らされ眩しい。
「ピンチなんだよ! 見てないで助けてよ!」
それは、河童の良庵であった。
すらりとしていて、モデルのような美形の男だが、色の薄い金髪の頭頂部は禿げている。
「わたしだってピンチなのですから! 様子を見に来たら、激戦区じゃないですか!」
良庵は、非難がましく言う。
「夜雲が、怪我をしているんだ!」
「ええ、そのようですね。夜雲さんとは長い付き合いですから――これでお別れと思うと悲しいです」
こいつ――
俺は、頭にきて良庵の足を思いっきり噛んでやった。
「イタタタタ――何をするのですか!」
俺は、良庵の足を噛みながら、何かを思い出した。
「ねぇー」
俺は良庵の足から口を放して、良庵の顔を見上げる。
痛そうな、迷惑そうな顔で足を撫でる河童の良庵・・・。
良庵を眺めていたら、アヤメという河童の幼い女の子を思い出した。
アヤメ・・・良庵・・・河童・・・。
―― 薬 ――
「薬だ! 良庵さん、薬持っているでしょう!?」
俺は、良案の足に飛びついた。
「や、やめてー」
良庵は、また噛みつかれると思ったのか、足を振って俺を振り払おうとする。
「薬だよ! く・す・り・ 河童の秘薬だ!」
「ええ、持っていますよ。わたしも、先ほどから届けるタイミングを見計らっているのです」
良庵は、残念そうな顔で遠くの夜雲を見つめる。
「行けよ!」
俺は、唸り声をあげて良案を脅した。
それでも動こうとしないから、長くスラリとした足を、思いっきり噛んでやった。
陰の調と鶴姫が切り結ぶ度、刀と刀がぶつかって火花が散った。
黒鷹が背後から切りかかっても、まるで背中にも目があるみたいに、陰の調はひらりとかわすのだ。
小角らが、陰陽師の術で陰の調の動きを押さえているようだが、それで何とか戦況は均衡している。
「急いでよ!」
俺は、良庵の足を噛んだり、お尻を引っ掻いたりしながら夜雲と雅の元までやってきた。
「大きな声出さないで、見つかるでしょう~」
良庵は、涙声で訴える。
「雅さん! 薬だ、薬があるよ」
俺が雅にそう告げると、少しだけ雅の顔が輝いた。
夜雲は、うつ伏せで雅の太ももに顔を預けている。
一瞬、ちょっと羨ましく思った。
雅は、夜雲の胴体に巻き付けてある着物の帯を解き始めた。
背中の傷が露になると、俺は思わず顔をそむけてしまった。
切断された肋骨が見えていた。
夜雲が呼吸するたびに、身体の奥の方から血が噴き出す。
よくこれで生きている。
俺は、太ももの上にある夜雲の横顔を見た。
険しい目――
今も、闘っている。
「うげぇぇぇぇ」
あろうことか、夜雲の背中の傷の上に、河童の良庵が嘔吐した。
「何してんだ、お前!」
俺は、頭にきて良庵の頭をぶん殴った。
「痛い! 治療ですよ」
吐瀉物を、夜雲の背に塗りたくりながら、良庵は俺を睨む。
「河童族の胃液には、強い消毒作用があるのです!」
良庵の抗議に、俺は小声で謝罪した。
先に言えと、思うでしょう?
引き続き、良案は緑のジャケットのポケットから、お酒用の金属の水筒を取り出す。
それを自らの口に含むと、夜雲の背に吹きかけた。
治療がさ、汚らしいんだよな。
俺は、顔をしかめて様子を見ていたが、その効果はすぐに表れた。
背の傷は塞がり、出血が止まった。
心なしか、呼吸も楽になったようだ。
夜雲の顔から険がとれ、苦痛も和らいだのだろう。
「ありがとうございます。良庵さん」
雅が礼を述べた。
声は普通だったけど、雅の目は涙が今にもあふれ出そうだった。
とっても心配していたのだろう。
「礼にはおよびませんではこれで」
良庵は、早口でそう言うと立ち去ろうとする。
すかさず、俺は良庵のズボンの裾に嚙みつき、雅はジャケットの袖を掴んだ。
良庵は、無言で振り払おうとしたが、俺も雅も離さなかった。
俺も雅も、無言で良庵を睨みつける。




