魔王 威徳天
59 魔王 威徳天
ダイダラボッチを撃退した俺たちの前に、今度は魔王が現れた。
朝の寂光に輝く大きな海を背に、緊迫した空気が流れる。
魔王威徳天と呼ばれた男は、リトを抱きながら俺たちに歩み寄ってきた。
威徳天の腕の中で、リトはご機嫌で喉を鳴らしている。
なついている?
「何のつもりだ」
物凄い怖い顔で、雅が問いただす。
額に青筋立てて、目が血走っていた。
「いえ、たいしたことではないのです。筑波に行かれるのでしたら、ご一緒できればとお声がけしたのです」
「寝ぼけて――」
雅が、肩を震わせ怒りを爆発させる直前だった。
「良いにょー、てんちゃんも一緒に行くにょー」
リトが、快諾した。
「――り、リト様! 何をおっしゃっているのです!」
リトの発言に、雅は驚きを隠せないというか、信じられないと言いたげな顔をした。
カメのゲンは、無表情で首を伸ばして威徳天を眺めている。
思い出している最中なのかな?
「魔王などと呼ばれたのは、ずいぶん昔の事です。多くの陰陽師の皆さんは、折り合いをつけてわだかまりなく今を過ごしています。あなただけなのですよ・・・土御門雅さん」
「お前の罪が・・・他の陰陽師が許したとしても、私は許さない!」
「私の罪が消えることはありませんから、許さないというのは理解します。ですが、恨みを糧に長い年月を過ごすあなたは不幸です。許さないまでも、恨みを忘れて幸せに生きてほしい。それが私の願いです」
威徳天は、やたら白い顔に少しだけ笑みを浮かべた。
「どの口がそれを言う! 私の幸せを奪ったのは、お前だ!」
雅は叫んで、濡れた着物の袖を振り上げる。
「十二神将は騰蛇」
雅は、額に左手の指を当てて呪文のような言葉を発した。
「式神ですか、あなたには困ったものです」
威徳天はそう呟くと、雅に対して目を見開いた。そのとたん、雅は空を見上げて痙攣する。
そして、何故か威徳天も呻きながら砂に膝をつく。
いったい何が起きた?
対峙していた雅と威徳天が、突然苦しみだしたのだ。
「リト様・・・私に敵意はありません。雅さんの攻撃を防ぐため痺れさせただけです・・・」
苦悶の表情を浮かべながら、威徳天は自身の腹に抱えているリトに言った。
「そうかにょ」
リトは、威徳天の腕を離れ砂浜に飛び降りると、膝をついて肩で息をする雅にすり寄った。
「思い知ったか、お前如きリト様には敵わぬぞ・・・」
呼吸を落ち着かせながら、雅は威徳天を嘲笑する。
「当たり前です・・・争う気など毛頭ありません」
威徳天は、みぞおちの辺りを押さえながら立ち上がった。
どうやら、雅が何かをしようとしたときに、威徳天が何かをして、リトが威徳天の腹に何かをしたようだ・・・。
いや・・・何だ?
誰か説明してくれないか。
茶色のタイルの上に、皿に盛られたイワシ、それを遠慮がちに食す俺・・・。
ここは、昨日泊まった宿の食堂だ。
宿のおばさんが、俺の朝食を用意してくれた。
雅は、ゲンとリトだけを連れて部屋に着替えに言っている。
俺が、落ち着かないでいるのは、そう・・・隣でコーヒーを啜っているおじさんの所為だ。
何で魔王と一緒に朝ごはん!?
おばさんも、何故この男の足元に俺のご飯を置くの!
嫌な気分だ。
美味しいイワシも、美味しさ半分だ。
「シロさん・・・あなたは不思議な妖猫ですね」
威徳天が語りかけてきた。
いきなり俺の事を妖猫だなんて、失礼な奴だ。
「愛さんから、あなたの事を聞いて大変興味深く思いました。是非お会いしてみたいと思っていたのです」
俺は、食べるのを止めて威徳天を見上げた。
思いっきり俺を見ていた。
吸い込まれそうな、真っ黒い目だ。
俺は、慌てて目をそらす。
愛さんって、邪界鬼の半身の綺麗な女の人だ。
それと知り合いってことは、絶対悪い奴じゃん・・・コイツ。
俺は、くわえていたイワシを皿に落としてしまった。
リトとも知り合いのようだし、いったいどういう関係なのだろう。
「リト様との関係ですか・・・そうですねー」
心も読むのか――
俺は、無心になった。
何も考えない。何も聞かない。何も見ない。
「シロさん! シロさん!」
気が付くと、俺は威徳天に摘まみ上げられていた。
「そんなに警戒しないでください。言ったでしょう。私はリト様やあなたに危害を加えたりしません」
綺麗な顔が、目の前にあった。
白いというより、青白い。
曇りのない目をしていて、悪人には見えない。
年齢の分かりにくい顔立ちをしている。
若くもなく、年寄りでもない。
賢そうな、おじさんだ。
威徳天は、俺を床に降ろすとコーヒーに口をつけた。
「あのさ・・・魔王って本当なの?」
最大限の勇気を振り絞って、俺は訊ねた。
声が震えてはいないだろうか。
「不本意ながら、昔はそう呼ばれていました。魔王は大袈裟だと思いますけどね。昔はちょっとワルだったのです」
陽気な声だったので、俺はちらりと威徳天に目を向けた。
満面の笑みで俺を見ている。
怖いと思った。
俺たちの前に現れた理由は何なんだろう・・・筑波に一緒に行きたいだなんて、気味が悪い。
俺は、不用心にもそんなことを考えてしまった。
「ああ、そこはちょっと順番が違うのです」
しまった・・・こいつは、心が読めるんだ。
「私が皆さんの前に現れたのではなく、皆さんが私の前に現れたのです」
え? どういうこと?
「ダイダラボッチが、現れると聞きましてね。私は、ダイダラボッチに乗って筑波に行こうと思っていたのです。ところが、リト様がやっつけてしまったでしょう。それで、ご一緒しようかなぁ、という流れになったわけです」
ダイダラボッチに乗るだなんて、こいつ、やっぱりおかしい・・・。
「えー、そうですか? 筑波になんて一瞬で着きますよ。一歩ですよ。経済的じゃないですか」
もう何も考えない・・・無心だ。無になるんだ!
「そうだ。シロさん! 私とお友達になってください」
え!! 何だって!!
唐突に言われたその言葉は、聞こえていたけど、理解できていたけど、驚きのあまり心を乱してしまった。
「雅さんには嫌われすぎていて会話になりませんし、リト様は何事にも無関心ですから、私と雅さんの間に入っていただけると助かります」
それが狙いかよ・・・。
おじさんに、お友達になりましょうなんて言われたって、ときめいたりしないけどね。
「ええ、それにあなたは色々知りたいのでしょう? 私なら、色々知っていますよ」
いやらしい口ぶりだった。
でも・・・魔王とお友達・・・悪い気はしない。
「じゃぁ、お友達という事で、よろしくお願いします」
威徳天は、満足そうに笑っている。
俺は一言もしゃべってないのに、お友達成立しちゃったよ!
「あら! 似合うじゃない!」
2階へと続く階段の上の方から、このお宿のおばさんの声がした。
「申し訳ありません。大事なお着物でしょうに・・・」
雅の声が、階段を下りてくる。
見れば、宿のおばさんと薄紅色の着物を着た雅が階段を下りてきた。
小袖と言うのだろう。
簡素な着物だが、先ほどまで着ていた派手な着物よりも、こちらの方が清楚な感じがして雅には似合っていると思った。
「女将さんから、お着物をお借りしたのです」
俺は、どんな顔で雅を見ていたのだろう。
俺の視線に気づいた雅が、そう説明した。
「お着物で海に落ちるなんて、災難でしたねー」
おかみさんは、思い出し笑いをして奥に消えていった。
「とてもよくお似合いです」
威徳天が、席を立って雅の姿を称賛する。
「黙れ鬼畜、見るな穢れる」
雅の美しい顔から、怖い言葉が発せられると、残念な気持ちになる。汚い言葉が、自らの美しさを穢していると思う。
「その恰好では、車の運転はできないでしょう。私が運転しましょう。外に止めてあるスポーツカーですね?」
威徳天は、にこやかに言った。
雅は、威徳天を一睨みして車のカギを投げ渡す。
すぐそばで咀嚼音がしたので、足元の皿に目を落とすと、いつの間にかリトがそこにいて、俺のイワシを食べていた。
「俺の朝ごはんだぞ!」
俺は抗議したが、リトは答えない。
おかみさんの見送りを受けて、俺たちは宿を後にした。
威徳天の運転は、快適だった。
静かで丁寧だ。
後部座席に、俺とリトと、膝の上にカメを乗せた雅が座っている。
雅は、不機嫌でにこりともしない。
リトは、雅の太腿にもたれながらイビキをかいていた。
何とも居たたまれない気分だ。
威徳天には心を読まれるから、余計な事は考えられないし、雅には話しかけにくいし・・・。
仕方なく、俺はシートの背によじ登って車窓の景色を眺めることにした。
大きな水たまりと、田んぼばかりだ。
大きな水たまりは、霞ヶ浦と言うらしい。田んぼの稲は、少し黄みがかって実りが頭を垂れている。
昨日と同じ景色を、逆に進んでいるだけだ。
「もうすぐ夜刀神様のお社ですが、寄らなくて良いですか?」
車を運転しながら、威徳天が誰かに訊ねた。
雅は答えない。黙って外を眺めている。
「寄らない・・・よ。」
仕方がないので、俺が答えた。
「夜刀神様をお見掛けしませんが、まだ京から戻られていないのですね」
「うん。まだ戻ってきてない」
「そうですかー、戻られたら教えてください。あの方も私のお友達なのですよ」
「うるさい! 黙れ!」
何が雅の癇に障ったのか、雅に一喝され俺はシュンとなった。
威徳天も、口を一文字に絞めて押し黙る。
霞ヶ浦に架かる朱色の大きな橋を渡った。
昨日は、あっという間の道のりだったけど、今日は遠いなぁ。
隣に座る雅が、スマホを取り出しいじりはじめた。
「あれ・・・充電切れたのかしら・・・」
どうやら、スマホの電源が入らないらしい。
さらに機嫌が悪くなるんじゃないか?
俺は、早く筑波についてくれと、切に願った。




