ダイダラボッチ上陸する
57 ダイダラボッチ上陸する
薄ら闇の中、物音で俺は目を覚ました。
布団から這い出ると、雅が全裸で窓の外を見ている。
両手で髪を括り上げ、側に置かれた白い着物を羽織った。
どうやら着替えているようだが、まだ日出にもなっていないのに、早すぎないか?
「あら、起こしてしまいました?」
振り返った雅は、片手で両の乳房を持ち上げて帯を巻いた。
「早すぎない? まだ暗いよ」
俺は、欠伸をしながら言った。
雅は、帯に小さな金具を挟んでその上に薄紅色の着物を羽織る。
雅の近くに置かれたテーブルには、金具やら短刀やらがいっぱい置かれていた。
「それ、全部身に付けるの?」
「ええ、すべて・・・魔除けの効果がありますの」
雅は、うっすら笑って小声で答えた。
「仲間から連絡がありまして、ダイダラボッチの上陸が早まりそうなのです」
雅は、薄紅色の着物の上に帯を巻き、丁度胸の谷間辺りに短刀をねじ込んだ。
俺は、壁に掛けられた煌びやかな着物に目を向けた。
その着物には、亀や鶴の刺繍が施され裏地には赤や黒の文字がいっぱい書かれている。
次はこれを羽織るのだろうと、眺めていたが、雅は薄紅色の着物姿で化粧台に向かった。
括った髪をほどいて、また括り直す。
いったい、いつ仕度が終わるのだろう・・・。
俺は、飽きてしまって布団に潜り込んだ。
布団の中で、リトが丸まって寝息をたてている。
「そうだ、シロさん。リト様を起こしていただけます? 今日はリト様頼りですから、しっかり精をつけていただかないと・・・」
化粧台の前で、後ろ姿の雅が振り返りもせずに言う。
美しいこの人は、それがどれだけ大変なことかを知らないのであろう。
命がけの任務だ。
「おい、リト・・・。起きろ」
俺は、布団の中で気持ち良さそうに寝ているリトを、突ついては離れるという動作を繰り返した。
その度に、リトは不機嫌な唸り声を上げる。
まずい・・・そろそろ危険だ。
俺は、布団の中から出て部屋の隅に避難する。
「もー、何しているのです? 時間がないのです」
雅は、しびれを切らしてリトの眠る布団を引っ剥がし、リトの身体を乱暴にゆさっぶった。
眉間にシワを寄せたリトの目が開く。
狭い和室の中に、旋風が沸き起こる。
俺は、隅にいたから被害はない。
雅の体が、畳の上で何回転かして、どさりと落ちた。
倒れたままの雅は、ピクピクと痙攣している。
死んだかもしれない・・・。
それぐらいの衝撃だ。
眠れる獅子を揺さぶり起こすなど、愚の極みだ。
俺は、瀕死の雅のそばまで歩みより様子を観察する。
「ふぁぁぁー、良く寝たにょー」
リトは、気持ち良さそうに伸びをした。
「おはよう。今日はダイダラボッチと闘うから、精をつけましょうって雅が言ってたよ」
俺は、痙攣する雅を傍目にそう教えてあげた。
「わーい。嬉しいにょー」
リトは喜んでいる。
雅は、死にかけている。
どうすれば良いのだろう・・・。
雅は生きていた。
コクテイ様の加護と、式神の守護によると雅は言っている。
何の事かわからないが、雅は色々なものに守られているようだ。
とは言え、腫れた顔を隠すため、雅はフンドシのような白い布で顔を隠した。
何やら模様と文字が書かれていて、決してお洒落ではない。
折角の美しい顔も、目しか見えないので残念だ。
「さぁ、お食事が済みましたら出発しましょう」
雅は、背を向けて大好物のイカを食べているリトに言う。
「わかったにょー」
リトは、元気良く返事をする。
大好物にありつけてご機嫌だ。
逆に、雅は大人しい。
相当なダメージを受けて、口を開くのも大変そう。
俺もイカを頂いたし、ゲンも海苔を食べた。
この辺りの海産物は美味しいらしい。
食事を準備してくれたお婆さんが言っていたよ。
本当にその通りだ。
食事を終えると、俺たちは宿を出発した。
まだ薄暗い。
ずいぶん早起きをさせられた。
「海岸はすぐそこですので、慌てなくても大丈夫です」
海の気配を感じて、走り出したリトに、雅は言った。
リトが人の話しなど聞くわけがない。
あっという間にリトはいなくなってしまい、俺はその後を追いかけた。
松林があって、そこを抜けると一気に視界が開ける。
右から左に、ずーーーーと 白い砂浜が広がっていた。
その先には、どーーーーんといっぱい海がある。
「わーーーー」
何故か俺の心は躍りだし、海に向かって駆け出していた。
波打ち際まで来ると、壁のような大きな波が現れる。
俺は、慌てて引き返した。
「あぶない、あぶない。波にのまれるところだったよ」
後から来た雅に、俺はそう言ってはしゃいだ気持ちを誤魔化した。
ん?
雅の顔を見上げると、雅は遠い目をして何かを見ている。
「どうしたの?」
俺は、雅の見てる先には目を向けた。
波打ち際の黒い砂の上に、何者かが力無く立っていた。
「あれが、ダイダラボッチか!」
俺は、ビックリして叫んだが、叫んでいる途中でそれが何者かわかってしまった。
ダイダラボッチにしては、小さい・・・。
「リト様!」
雅が慌てて走り出す。
「どうしたのです? こんなに濡れて・・・」
雅が、濡れて痩せネズミのようなリトを抱き上げた。
「海に食われたにょー」
物悲しそうな顔で、リトは言う。
前にもあったな、こんなこと・・・。
「リートさーまー、あーわーてーーたーらーー、あーぶーなーーい」
左手で抱えられているゲンが、呑気な口調で言う。
「にゅー、突然襲いかかってきたにょ―」
リトは、雅にハンカチでグシャグシャに拭かれ、不快そうだ。
「では、はじめます」
雅はそう言うと、砂浜に座り込んだ。
懐から紙を取り出すと、鼻にかかる声で読み上げる。
「何をしてるの?」
少々気味が悪くて、俺は雅に訊ねた。
雅は砂の上に膝をついて、懐から錫杖を取り出す。
「海を静めるのです。ダイダラボッチは、動くだけで災害を引き起こしますから、大いなる海神の力をお借りして、災害とならぬようにいたします」
え?
俺は、海を見た。
どこまでも続く広い海が、視界いっぱいに広がっている。
まだ、海は鉛のような色をしていたけど空はうっすらと、明るくなってきた。
「掛けまくも畏き海神の大神の御前に、恐み恐み、吾は土御門雅と白すー」
錫杖を時折振りながら、雅は祝詞を捧げた。
さっきまで、高かった波が、小さくなっていく。
「荒ぶる大海を静めたまへ、荒ぶらんとする大太郎法師を静めたまへ、治めたまえ」
雅は激しく錫杖を降った。
海が光った。
日の出が近い。
空が赤と紫に変わった。
白い雲が山吹色に輝いて、水平線に光が走る。
振り鳴らされる錫杖が、いっそう激しく音をだす。
水平線が光輝いてーーー。
次の瞬間、光の壁が飛んできた。
強くはないけど、圧を感じる。
眩しい。
それは、雅の顔を真っ赤に染めた。
日出だ。
「来ます」
雅は、祝詞をやめて海の遠くを見つめた。
視線の先に、大きな違和感がある。
最初それは、黒い太陽かと思った。
不吉な予感がして、鳥肌が立つ。
しかし、そうではなかった。
太陽を背に、大きな岩のようなものが陽光を塞ぎ水平線に浮いているのだった。
「にゅー、ぼっちにょー、久しぶりにょー」
リトは、はしゃいで遠くの何かに手を振っている。
「ぼーーーちぃーだーーー」
ゲンも、目を輝かせながら首を伸ばす。
岩のようなそれは、少しずつ大きくなっている。
まだ水平線の上にあるが、それは腰から上の人の形をしていた。
何て大きさだろう・・・。
俺は、それから目を離せなくなった。
確実に近づいてきているのに、水平線の上で背だけが伸びていくのである。
誰だ・・・あれを妖怪だなんて言ったのは・・・。
とんでもない。
神々しく輝く日を背に、現れたそれは・・・。
神だ!




