いざ鹿嶋へ
56 いざ鹿嶋へ
朝食を食べている途中で、夜雲と夜摩がやって来た。
夜雲はいつもの青い煙管服姿だが、夜摩は緑色カーゴパンツに白い長袖のシャツの上に黒いTシャツ姿で、ちょっとだけ女の子っぽい。
二人は、ホテルで朝食を済ませてきたようで、缶コーヒーを飲みながらテーブルについた。
リトは、ツナ缶を唸りながら食べていてご満悦だ。
さんざん待たされたけど、うまく誤魔化しきれて少女カシンは安堵したことだろう。
「そうかい。結局、雅さんだけで鹿嶋に行くんだな」
ああ、夜雲に河童を見たことを早く言いたいのに、みんなが喋っているから切り出せない。
「あたしが行っても、何の役にもたたないだろうさ」
すでに食事を終えた鶴姫は、少し離れた場所で煙草を吹かしていた。
「いや、鶴姫にはここに居てもらったほうが助かる。今日、河童の長老と会う事になっているんだ」
「何であたしがいると助かるのさ?」
鶴姫は、振り返って怪訝そうに訊ねた。
「やはり・・・年寄りの話は、年寄りがーーー」
「あんた、その首叩き切って沼に浮かべてやろうか?」
夜雲が言い終わる前に、鶴姫が凄んだ。
夜雲は、頭を掻きながら苦笑いをする。
「フフフ、鶴姫も若い姿になれば良いのに」
口元を隠しながら、雅は上品に笑う。
どういう意味だろう?
「えー、鶴姫はわざとお婆さんに化けてるの?」
あどけなさの残る顔で、夜摩が遠慮のないことを訊く。
「・・・めんどくせーだろうが、若いと色々とよ」
鶴姫は、煙草を携帯灰皿で揉み消しながら言った。
「いや、その化けてるって言い方止めろ!」
煙草を消している途中で、鶴姫は夜摩を叱る。
「たまにね、うっかり若くなっちゃう時があって・・・綺麗なのに勿体ない」
雅は、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「止めろ!」
鶴姫は、すねてそっぽを向いてしまった。
「そうだろうなぁ。きっと美しいのだろう」
夜雲は、ジロジロと鶴姫を見た。
「それだよ、それ! 男供のその目が嫌なんだ」
鶴姫は、夜雲を睨み付けた。
夜雲は、小さくなって下を向く。
「あら、花は見られるために美しく咲くのよ」
雅は艶っぽく言う。
「寄ってくる虫が嫌いなのさ」
鶴姫は、踵を返してバスに向かった。
「ほら、下らないこと言っていないで、さっさと仕度しな! 急ぐんだろう?」
鶴姫に言われて、雅は肩をすぼめる。
若い鶴姫も、ちょっと見てみたいと思った。
でも、喋り方や性格までは変わらないだろうから・・・。
見なくても良いか。
みんなの朝食がすむと、俺とリトとゲンは、スポーツカーの後部座席に乗せられた。
この車、扉が前の座席にしかないの。
変な車だな。
「運転、大丈夫? 極力、ぶつけないでね」
運転席に乗り込んだ雅に、少女カシンが窓越しに言う。
「大丈夫よ。前後左右にしか動かないんだから、上下がないだけ簡単よ」
そう言う雅に、俺は一抹の不安を感じた。
それはカシンも一緒のようで、やっぱり私がーと、言いたそうな顔をしている。
「じゃぁ、早ければ明日の夜にも合流します」
雅は、そう言って窓を閉めた。
車は走りだし、すぐさま目の前のバスにぶつかった。
「ちょっとーーーーーー、何でいきなりぶつけるのよ!」
少女カシンが、血相を変えてやって来て車のドアを叩く。
「ごめんなさーい。ハンドル引っ張ったんだけど・・・」
雅は、窓を開けておかしなことを言う。
「引っ張るんじゃなくてーーー、曲げるの、こう」
少女カシンは、ハンドルを切る仕草をする。
「そうだったわねー、もう大丈夫よ」
雅は窓を閉めると、車をバックさせた。
再び前進させると、雅は左にハンドルを切る。
ガリガリという音がして、背後でカシンの叫び声が聞こえた。
車は、停まらずに進む。
俺は、後部座席の背もたれをよじ登って後ろを見た。
カシンと千代さんが、走りながら叫んでいる。
「あの・・・カシンが何か叫んでるよ」
俺は、雅に伝えた。
「フフフ、すぐ会えるのに、大袈裟なお別れね」
ルームミラー越しに、雅と目があった。
美しい笑顔だった。
この人、すごく綺麗だけど・・・何かがおかしい・・・。
俺の隣に、リトも背もたれをよじ登ってきた。
リトが、ニコニコしながら手を振る。
俺も、一生懸命に手を振った。
もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれない。
みんなと別れて、キャンプ場を出発してからしばらく経つ。
今のところ、車はどこにもぶつかっていない。
ただ、右へ左へすごく揺れて、座席に爪を立ててしがみついていないと、あちこちに吹っ飛ばされてしまう。
とても窓の外など見ている余裕などないのだが、すごいスピードで走っているのは感じた。
リトは、ご機嫌でキャーキャー言っているが、亀のゲンは甲羅の中に引っ込んで転がるに任せている。
あちこちにぶつかって、その度にゴンゴンと音をたてた。
「着きましたよ」
突然車が停まったかと思うと、急発進でバックして、急ブレーキで静止した。
みやびは、車から降りると前の座席を倒して俺たちを外に出した。
そこは、砂利の駐車場だった。
結構いっぱい車が停まっているのだが、何故かここだけ駐車スペースが広い。
「さぁ、行きましょう」
雅は、ゲンとリトを抱き上げて歩き出した。
俺は・・・自分で歩けと言うことか・・・。
「ここは?」
大きな木がいっぱい生えている。
「鹿島神宮です。鹿嶋に来たら、ここに来ないと・・・明日の必勝祈願をいたしましょう」
どうやら、有名な神社のようだ。
人も大勢往き来している。
夜刀神社とは大違いだ。
とても広い。そして、ものすごく大きな木がいっぱいだ。
ずーと先まで石畳が続く。
「どうして、こんなに大きいんだろう」
俺は、独り言のつもりだったけど、雅が答えてくれた。
「昔から、多くの人々の信仰を集めていましたし、戦や戦いにご利益があることで知られていますから・・・塚原卜伝という剣豪は、この鹿島神宮の出身なのですよ」
あれ・・・どこかで聞いたことのある名前だな。
「あとは、フツノミタマと言う、それは大きな刀が納められているのです」
「へぇー」
刀には全く興味がない。
「ミャビー、木登りしたいにょー」
リトが、ひときわ大きな木を見つけた。
ビルみたいに高くて太い巨木だ。
いったい、何年枯れずに育ったらこんな巨木になるのだろう?
「リト様、この木はとても大事な木なので、木登りはできません」
雅は、胸の中のリトを諭すように言った。
「わかたにょー」
珍しく聞き分けが良い。
「さぁ、ここで祈念しましょう」
雅は、大きなお社の前で立ち止まった。
人間たちが、並んでいて先頭の人が手を叩いたりお辞儀したりする。
夜刀神社に訪れる人も、たまに同じようにする人がいる。
雅は、人間たちの列には加わらず、端で頭だけを垂れた。
手が、亀で塞がっているからか・・・。
俺も、雅の真似をして頭を下げた。
帰りも無事に帰れますように・・・。
駐車場に戻ってくると、制服を着たおじさんが俺たちの乗ってきた車の前で立っていた。
「ん・・・あんたかい? この車の持ち主は?」
おじさんは、俺たちに気づくとそう問うてきた。
ちょっと怒っているみたい。
「ええ、そうですが・・・」
「あのね、こんな駐めかたされたら困るんだよ!」
おじさんは、地面を指差している。
こんなと言われても、曲がって駐めているわけでもなく・・・ただ、不思議とこの場所だけ両脇が広い。
不思議そうな顔をしている雅に、おじさんはため息をついた。
「わからない? ここ、2台分なの。お姉さん、2台分の駐車スペースの真ん中に駐めちゃっているのよ」
「あー」
雅は、車の下を覗き込んで感嘆の声をあげた。
「本当だ。気が付きませんでしたわ」
「まぁー、わざとじゃないみたいだし、短時間だから大目に見ますが、気を付けて下さいよ」
おじさんは、そう言い残して去っていった。
「では、行きましょう。カシンさんが用意してくださったお宿にはすぐそこです」
雅は、俺たちを後部座席に乗せてくれた。
何をするにも、所作が美しい。
優しい微笑は、女神か観音様か・・・。
わざとじゃないのか?
駐車場所の話である。
この美しい笑顔の向こうに・・・うっすらと影が見えたような気がした。
うっすらと、潮騒が聞こえる。
いや、波の音か・・・。
宿は古びた旅館であった。
めちゃくちゃ古いわけではなく、そこそこ古い。
何て言ったら良いのか・・・。
中途半端に古いのだ。
老舗というほど古くはないし、外壁の剥がれた塗装からすると、そこそこなのだ。
これに対し、雅は不満顔でトイレが汚いとか、部屋がカビ臭いと文句ばかり言う。
「カシンめぇー、コクテイ様がお泊まりになると言うのにぃぃぃ」
怒っているが、決してゲンを思ってのことではない。
「俺とリトは気にならないよ。夜刀神社のお社と比べたら、豪邸だよ!」
俺はさ、何とか雅の機嫌をなおそうと言ってあげた訳だよ。
「あなたたちのあの掘っ建て小屋と、比べないでください」
ピシャリと言う雅に、俺は少々腹が立った。
きついことも言うその口は、薄紅色をしていて潤いが輝いている。
不機嫌に揺れる長い黒髪は、それが命を持っているかのように、しなやかだ。
悔しいほどに、美しいんだわ!
また、古びた浴衣も味があって良いと思うのだが、生地が薄いと雅は言う。
でも、そんな不機嫌な雅を一瞬で黙らせた物がある。
ゲンや、リトじゃないよ。
カビ臭い畳の部屋で、遠くに聞こえる波の音を聴きながら食す食事が絶品だったのだ。
雅は、蛤のお吸い物を一口すすり目蓋を閉じる。
「ああ・・・」
焼き魚と煮物と漬け物の、質素な食事なのに、雅は涙をいっぱい溜めた目で、ただ美味しいとつぶやくのだ。
それからは、いっさい不平を口にしなかった。
「ごめんなさいね。大したものお出しできなくて」
食事の片付けに訪れた老婆が、そう言って詫びる。
「いえ・・・絶品でした」
雅は、目を瞑って料理を反芻するかのように唇を舐めた。
ちょっと仕草が厭らしい。
わざとじゃないのだろうけど、そう見えてしまう。
「深いお出汁でした。少し味の濃いお魚も、決して塩辛い訳ではなく、里芋の煮物は果実のように甘く感じました・・・御馳走様でした」
雅はそう言って畳に手をついて老婆に頭を下げる。
「そうですか、それは良かった」
老婆は嬉しそうに部屋を出て行った。
そこに、雅のスマートフォンがブルブルと鳴る。
(ごめんねー雅ちゃん! ペット、オッケーな宿見つからなくてー)
カシンであった。
少女カシンの声が、微かにきこえる。
「いえいえ、最高のお宿ですわ。ありがとうカシンさん」
さっきまで怒っていた雅が、嬉しそうに話す。
(え? ああ、そうなの? それなら良かった)
「そちらはどうですか? 変わりありませんか?」
(うんー、河童のお爺さんたちと会ったよー、キュウリいっぱいもらった)
「そうですか・・・どうやら説得は成功したようですね」
(うーん・・・どうだろうねー)
カシンの声が聴こえていたのは、そこまでだ。
雅が窓辺に移動したことで、聴こえなくなった。
「さて、お風呂に行きましょうか」
カシンとの通話が終わると、雅が提案しリトとゲンを抱き上げる。
俺はお留守番していようと思ったのだけど、雅は胸の袂にリトを忍ばせ、空いた手で俺を抱き上げる。
「みんなで行きましょう。貸し切りのお風呂があるそうです」
イヤイヤ、こう言うときだけ抱っこしないで!
俺は逃れようと暴れたけど、駄目でした。




